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埼玉県さいたま市岩槻にはかつて岩槻城があり、城下町として知られています。
一方、城跡の面影を残すものはほとんどないのかな?とも思ってました。
ところがつぶさに歩いてみると、案外隠れた城跡・旧城下町スポットが見つかりこれが楽しいんですね!
岩槻城の歴史や特徴を振り返りながら、土塁の遺構や跡碑、そして江戸時代の藩校跡や時の鐘までを紹介。
『岩槻城とその歴史について』
城下町として知られる埼玉県のさいたま市岩槻ですが、はたしてどれだけの城郭の遺構や面影が残っているのかな?
ふと確かめてみたくなり、今回岩槻の町を歩いてみました。
「太田道灌が築いた岩槻城」といわれるが

岩槻城の築城者については、実は明確になっていません。
扇谷上杉家の家宰・太田道灌(どうかん)とする説、その父・太田道真(どうしん)とする説、後に忍城(おしじょう)城主となる成田氏とする説などがあります。
- 岩槻城の歴史概略
- 室町時代末:築城、16世紀前半には太田氏が城主となっていた。
- 永禄10年(1567年):城主・太田氏資(うじすけ)が戦死、小田原北条氏の支配となる。
- 天正18年(1590年):5月20日から豊臣秀吉方の総攻撃を受け、2日後の22日に落城。
- 同年:豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼすと、徳川家康が江戸に入る。
岩槻城も徳川の家臣・高力清長(こうりききよなが)が城主となる。 - 江戸時代:江戸北方の守りの要として重要視され、幕府要職の譜代大名の居城となった。
- 明治維新後:廃城。
城の歴史はおよそ400年続きました。
川越城、忍城とともに、埼玉県内の三名城の一つといわれます。
『岩槻城址公園』 遺構門や土塁を巡る
外郭で囲まれていた城下町

旧岩槻城だった場所の一部は、現在「岩槻城址公園」になっています。
まずはこちらへ足を延ばしてみました。
城址公園は県内有数の桜の名所で、花見に来たことがあります。
でも城の遺構のようなものがあったような記憶はないなあ。。。

公園入口には、岩槻城の概要説明の看板がありました。
特に左の地図は興味深く、江戸時代の城下町絵図に、現在の公共施設などを表示させたものだ。
これから城跡を歩こう、って者にはうってつけの地図ですな。
*地図のアップはこちらのパンフを参照下さい。(絵図で知る岩槻城と城下町)
説明板により、岩槻城の特徴や、現在の町との位置関係に関して以下のようなことが分かった。
- ■城の北東から南東は、元荒川を自然の外堀としている。
- ■本丸などの城の中心部分は、自然の沼を堀に見立てた造りとしている。
- ■石垣は造らず、土を掘った堀と、土を盛った土塁による城郭だった。
- ■城郭周囲は、約8kmに渡る大構(おおがまえ)と呼ばれる外郭で囲まれていた。
- ■現在の城址公園は、新曲輪・鍛冶曲輪と呼ばれる一部の曲輪跡にとどまる。
- ■城の中心だった部分は、現在は市街地に変わっている。
町全体を大きな城に見立てる造りは、江戸城や小田原城でも見られる特徴ですね。
岩槻城址公園イコール岩槻城跡くらいの感覚だったので、この時点で既に新発見!
「岩槻城城門・岩槻城裏門」 貴重な遺構建築物

そして、公園の一角には建物の遺構もありましたよ!
こちらの「岩槻城城門」は、岩槻城関係の数少ない貴重な現存遺構です。
木材が黒く塗られており、通称「黒門」と呼ばれます。
岩槻城内のどこにあったかは不明。
この門は廃城後に撤去。
その後、浦和の埼玉県庁や県知事公舎の正門、岩槻市役所の通用門などとして使用されました。
そして、昭和45年(1970年)に再びこの地に移築されたそうです。
転々とする中で、良く残ってましたねぇ。

門扉の両側に小部屋がある、長屋門形式と呼ばれる門だそう。
幅約13m・奥行約3.7mで、屋根は寄棟造(よせむねづくり) で瓦葺き。
アップでみるとだいぶ使い込まれた感があります。
修復した方が良さそうだが。。。

黒門から少し離れた場所に、もう一つ、城の裏門と伝わる城門が残ってました。
こちらも城内での位置は不明。
サイズは間口約3m・奥行約2m。
向かって門扉左に戸が設置されています。

こちらの門は江戸時代後期の明和7年(1770年)に、当時の岩槻城主・大岡氏の家臣、武藤弥太夫らを奉行として改修されたことが分かっているそうです。
また、文政6年(1823年)には、板谷官治らを奉行として修理されているそうです。
それらは本柱の墨書銘により分かったそうで、建築年代が明確な遺構として貴重なんだそうですよ。
廃城後は、民間で大切に保存されていたそうです。
しかし、こんな遺構が岩槻城址公園にあったなんて、知りませんでした~。
岩槻城黒門・岩槻城裏門
住所:埼玉県さいたま市岩槻区太田3丁目4(岩槻城址公園内)(GoogleMapで開く)
「堀障子」 小田原北条氏の痕跡

説明板には、城址公園内には当時の空堀や土塁などの遺構が残っている、とありました。
どこに?とウロウロ探すと、なるほど、先ほどの城門にも近い公園内に堀切っぽい土塁を発見。

そしてこちらの遊歩道では、曲輪間の「堀障子」と呼ばれる空堀(からぼり)跡が見つかっているそうだ。
空堀は防御のための水の無い堀のこと。
調査の結果掘底まで3m程度埋まっており、掘底には堀障子があることを確認。
堀障子は堀に設けられた障害物のことで、小田原北条氏特有の築城技術とみられています。
それにより、戦国時代に城は小田原北条氏に使われ、堀が造られたことが判明しました。
堀障子を復元して公開とかできないのかなあ。。。
公園の歴史的な価値が上がると思うのですがねえ。
憩いの場としての城址公園

園内の菖蒲池にかかる八ツ橋は、アクセントとして公園のトレードマークとなっています。
公園内には芝生のピクニック広場、遊具のあるわんぱく広場、ロマンスカー展示広場などがあり、市民の憩いの場となっています。
アクセス
岩槻城址公園
住所:埼玉県さいたま市岩槻区太田3-4 (GoogleMapで開く) ※住所・Mapは岩槻城城門に近い第一駐車場のもの
入園:24時間可、入場無料
アクセス:
電車)
・東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩23分(1.8km)
・月曜日から金曜日のみコミュニティバスの運行アリ(岩槻区コミュニティバスルートガイド)
車)
・東北自動車道「岩槻IC」から約10分
・駐車場:約300台(無料)
『本丸跡・三ノ丸跡』 街中の城痕跡

旧岩槻城の中心部は、現在は市街地になっているのが分かった。
ということで、街中に城郭の痕跡を探しに出かけました。
中心部を通る県道2号線沿いの、足利銀行敷地内にある「本丸跡碑」を訪ねました。
敷地に史跡碑を置いて頂ける企業がいらっしゃるのは、ありがたい!
痕跡が無くなると、歴史の記憶もはかなく消えますからねえ。。。

説明板には、本丸の形状に関する記載がありました。
ほぼ正方形に外周を高さ6m前後の土塁が取り囲んでいた。
南西・南東両隅と南辺に張り出した桝形(ますがた)の三か所に、櫓(やぐら)を配置。
さらに桝形に開いた出入り口には、二階建ての櫓門が設けられていた。
枡形は防御しやすくする、出入り口の形状のこと。
なるほど、なんとなく本丸のイメージが思い浮かぶ。

こちらは本丸跡碑からほど近い、消防署前にある「三ノ丸跡碑」。
跡碑により、この辺りがかつての城中心部だったことが分かりました。

県道と交差する道を北に向かうと、久伊豆(ひさいず)神社があります。
写真だと、遠方に見える森のあたりが神社だ。
城下町絵図によると、三ノ丸と久伊豆神社の間には沼がありました。
久伊豆神社との中間地点にやけに窪んだ場所がありますが、どうやらあの辺が沼の名残っぽいですね。
岩槻城本丸跡
住所:埼玉県さいたま市岩槻区本丸3-19-20(GoogleMapで開く)
岩槻城三ノ丸跡石碑
住所:埼玉県さいたま市岩槻区太田1-2-11(GoogleMapで開く)
『久伊豆神社』 徳川家康も祈願した鎮守

次に岩槻総鎮守の「久伊豆神社」にやって来ました。
城址公園からだと約1kmの距離です。
久伊豆神社は岩槻城築城の際に、城の鎮守として城内に建てられた神社でした。

入口向かいには「新正寺曲輪(しんしょうじくるわ)」の標柱があり、城内だった痕跡が残ってました。
新正寺というお寺は今はありません。

久伊豆神社は、江戸時代の歴代城主の信仰も厚かったとのこと。
岩槻は江戸城の鬼門にあたるとして、徳川家康も鬼門除けの祈願をしたといわれてますよ。
「久伊豆神社」の詳しい紹介はこちらへ!

『愛宕神社』 大構の土塁跡

次に、久伊豆神社からは南西1.5km程の場所にある、「愛宕神社」にやって来ました。
かつての岩槻城には、土塁と堀で城下町を囲む外郭がありました。
愛宕神社はその土塁の上にあった神社で、現在の鎮座地は貴重な外郭の遺構となっているんですね。

土塁は現代的な手法で固められていますね。
神社の裏手には東武鉄道の線路が走っていますが、外郭の堀跡を生かして敷設されたものじゃないかと。
大構のヘリにいることを感じられる場所でもありました。
愛宕神社
住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町3-21-25(GoogleMapで開く)
『裏小路と岩槻藩遷喬館』
「裏小路」 昔の武家屋敷

こちらは県道と並行して南側に続いている、「裏小路」と呼ばれる通りです。
この一帯は武家屋敷だったエリアで、その雰囲気をもつ塀を持つお屋敷もありますね。
武家屋敷と町人の住む城下町とは区別されてたそうで、両者の境には木戸まであったようですよ。

裏小路公園の前にあった周辺地図。
城下町時代の通り名が残っており、興味深い。
ここの裏小路は、東側の大手門に繋がる小路だったそうです。
「岩槻藩遷喬館」 県内唯一の現存藩校

裏小路の一角には、江戸時代の藩校だった「岩槻藩遷喬館(せんきょうかん)」がありました。
岩槻藩遷喬館は江戸時代後期の寛政11年(1799年)に、岩槻藩の儒者・児玉南柯(こだまなんか)が開いた私塾。
後に藩校となり、岩槻藩の武士の子弟が勉学や武芸の稽古に励んだ場所です。
埼玉県内では唯一現存する藩校の建物で、埼玉県指定の史跡です。
へえ~、貴重な施設が残っているんですねえ。

建物の中は、綺麗で広々とした立派な日本家屋。
柱や梁などがしっかり残っていれば綺麗に復元できるんだな、と日本家屋の丈夫さに感心します。
手間とお金は掛かるんでしょうけどね。

藁ぶきの屋根が当時の雰囲気を思わせます。
岩槻藩遷喬館
住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町4-8-9(GoogleMapで開く)
開館時間:9時~16時30分
休館日:月曜日(休日を除く)、休日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)、その他特別整理期間・臨時休館日
入館料:無料
アクセス:
電車)東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」東口より徒歩10分、岩槻本町公民館向かい
車)駐車場施設は無いので注意
『時の鐘』今も時を告げる

裏小路を東に進むと、城下町に時を知らせるために設置された鐘楼「時の鐘」があります。
鐘は江戸時代中期である、享保5年(1720年)に鋳造された銅鐘です。
この場所は武家屋敷の外れにあたり、城の正面口である「大手門」にほど近い場所でした。

県内で「時の鐘」といえば川越が有名ですが、岩槻の時の鐘はあまり知られてないのでは?
岩槻の時の鐘は、川越のものよりも古い時代のものなんですよ!
そして、この時の鐘、現在でも現役の鐘として時を知らせています。
6時・正午・18時の、一日3回鳴らされているんですよ。
江戸時代の岩槻城内に響いた鐘の音色が、時を越えた今も毎日街に響くなんて。。。歴史のロマンを感じますよね。
時の鐘
住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町6-2-229(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩10分
車)駐車場施設は無いので注意
『岩槻城 御城印』記念にいかが?

城下町訪問の記念に、岩槻城「御城印」を購入。
現在、岩槻区内の2ヶ所で販売されており、1枚300円ナリでした。
岩槻人形博物館前の太田道灌公の像の前でパチリ。
岩槻城 御城印販売場所
水野書店
住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町4丁目2−10(GoogleMapで開く)
営業時間:10時~20時、休日:第2・第4日曜
田中屋本店
住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町2丁目2−43(GoogleMapで開く)
時間:9時~18時30分、休日:月曜、不定期の火曜休みあり
販売場所の最新情報は岩槻情報サイト「キラリいわつき」でチェック願います。
岩槻城 城郭巡りマップ
本丸跡周辺を訪ねる際は「岩槻本丸公民館」を、愛宕神社や岩槻藩遷喬館や時の鐘を訪問する際は「にぎわい交流館」(岩槻人形博物館隣接)を、それぞれ起点に歩くと良いと思います。
車の駐車も可。
![]() | 価格:1,980円 |

城下町歩きにでかけてみませんか?

岩槻城の城郭を巡る街歩きはいかがでしたか?
大構の外郭をイメージしながら街歩きを始めると。。。これがまたとても楽しいんですよね。
隠れていた遺構や面影を探す面白さ、ですかね。
まだ色々城郭の痕跡が眠っている気もしますので、機会があればまた城跡探索をしてみたいと思います。
城下町岩槻を歩いてみませんか?
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