教科書では詳しく語られない、奈良時代の役人たちの“暮らしの現場”が府中に残されています。
武蔵国国府の中心施設であった国司館跡では、整然とした建物配置や貯蔵庫跡が発見されており、当時の行政と生活の実像が浮かび上がりました。
史跡広場では国司による儀式を再現した模型などを通し、その様子がリアルに再現されています。
さらに江戸時代には徳川家康による御殿が築造されたことにより、歴史の舞台として引き継がれていった場所でもあるんですよ。
目次
「武蔵国国府 国司館跡」奈良時代の国司の生活を垣間見る
武蔵国府は全国で最も詳細が明確な国府跡

JR府中本町駅
飛鳥時代~奈良時代の始め頃から平安時代にかけて、奈良や京都を都とした中央政府(朝廷)は、地方を統治するために各国に中央官吏を派遣して政治を司りました。
その国司が政務をおこなった場所が「国府」で、今でいうところの都道府県庁のような役所ですね。
国府は長らく所在地や詳細が不明な存在でしたが、1960年代以降になると全国で発掘が進み、徐々にその実態が分かってました。
かつて武蔵国府があった府中市でも昭和50年(1675年)から約40年に及ぶ発掘調査がおこなわれ、その結果、国府の具体的な様相が国内で最も明らかになった地域となっています。
そんな武蔵国府の痕跡を知ることができるスポットがJR府中本町駅の目と鼻の先にあるということで、歴史探訪に出かけてみました。
「国司館と家康御殿史跡広場」国司の居宅跡

駅を出て東に歩くと直ぐに、四方100m弱の広さの「国史跡・国司館と家康御殿史跡広場」が現れます。これは超駅チカなスポットですね!
奈良時代の頃の日本は五畿七道の地域に区分され、その中は60余りの国に分けられました。
そのなかで現在の東京都・埼玉県全域と神奈川県の一部は、東山道(とうさんどう)地域に属する武蔵国と呼ばれる国でした。
国司館とは都から派遣されて来た国司の住居のことですが、ここはかつて武蔵国の国司館があった跡ということになります。
さらにこの場所には近世になると徳川家康による御殿も築造されており、2つの時代がクロスするスポットとしても注目ですよ。
「東山道武蔵路」東山道と国府を繋ぐ規格外のメガロード!

広場内の案内板に記載の地図
かつての武蔵国府の中心部は現在の大國魂神社とその周辺にあたりますが、領域全体としては東西約2.2km・南北1.5kmにわたるかなり大規模なものだったようです。
さらにインフラ面でも特筆すべき点があります。
都のある畿内から陸奥国(東北方面)までは、東山道という道が通じていました。
※「東山道」は地域名として使われる場合と、道の名前として使われる場合とがあります。
武蔵国もこの東山道沿いの国で、東山道から武蔵国府へは「東山道武蔵路」という枝道が通っていたのですが、実はこの道が凄い!
東山道の標準的な道幅は約6~9mといわれますが、対して東山道武蔵路の道幅は12mもあったというんですね。これは現在でいうと、4車線の国道に匹敵する広さですよ!
そんな道が1.8km以上にわたり続くという、まさに規格外のメガロードでした。
これは武蔵国府の重要性を象徴するような施設といえそうですよね。
国司館は正殿と脇殿で構成されていた

大國魂神社の南側に位置するここ国司館跡では、東西棟の大型建物跡が1棟とその西側に建つ東西棟跡が1棟発見されています。
ちなみに建物はもう一ヶ所、大國魂神社の神社境内とその東側でも、東西棟の大型建物跡が1棟と東西棟跡が2棟発見されており、そちらは「国衙(こくが)」と呼ばれる役所の中枢地区と見られています。
広場には当時使われていた柱を原寸大で復元。
写真は主屋(正殿)と呼ばれた東西棟の大型建物跡で、国司の住居兼執務室でした。

もう一棟の副屋(脇殿)と呼ばれる建物は、国司以外の役人の執務に使われたとのこと。
国司や役人たちは物凄く巨大な建物で執務していたわけでもなかったんだなあと、そんなリアルを感じました。
ちなみに実際の遺構はこの地下に眠っている、ということになります。
国司は総社・大國魂神社で何を祈った?

そしてもう一つの見どころが、国司館の様子を1/10サイズで再現したこちらの模型。
柱の大きさや位置のほか、四方に廂(ひさし)が付く四面廂建物(しめんびさしたてもの)と呼ばれる建物だったことも発掘調査で分っているそうです。
それ以外の部分は、建築史学などの視点により想定で復元されているとのこと。

模型では国司が着任した際の儀式が再現されています。
主殿前の中央に立っているのが国司ですが、国司は守・介・掾・目の四等官で構成されていました。
濃いオレンジ色の服を着てこちらを向いて立ってるのが、筆頭国司の「守」。
こちらに背を向けた側の先頭に立つのが2等官の「介」(明るいオレンジ色)、その後に立つのが3等官の「掾」(濃い緑)、その後ろが4等官が「目」(薄い緑)です。
着ている服で権威付けされているなんて、分かり易いですね。
国司は徴税・司法・軍事などにおける幅広い権限を持ち、通常任期は4年でした。

国府施設が武蔵国総社・大國魂神社に隣接していたことからも分かるように、国司の政務において”拝むこと”は重要政務の一つだったようですよ。
最優先であった祈願事項は「五穀豊穣」と「疫病退散」。
当時、自然災害や流行病は”神のたたり”と考えられていましたが、それらによる不作が発生すると即座に徴税の失敗につながるんですね。
祈りの目的は民衆の思惑とも合致するもので、”拝むことは”国の安定運営においては非常に重要なことだったといえます。
一方、都から遠く離れた地で勤務する国司の胸の内には、「無事に任期を終えて、都に帰れますように」という切実な個人的な祈りもあったことでしょうね。
\ 大國魂神社についてはこちら!/
貯蔵庫として使用された大型円形土坑跡

広場の西側半分は芝地風(芝ではない)の空間が広がっていますが、その中に茶色の円形にマーキングされた箇所があります。

ここは直径約5.5m・深さ約3mに及ぶ、円形土坑(どこう)と呼ばれる大型の穴があった場所。
土坑はすり鉢状をしており、底に近い部分はさらに直径約1.6mの範囲で円筒状に落ち込んだ形状だったとのこと。
建物と同時代に造られたもの考えられ、主な利用目的は食物や氷の貯蔵庫だったようですよ。
「府中御殿」徳川家康が天正期に築造

そしてこの歴史広場をさらに興味深いものにしている点が、かつてここに徳川将軍家の府中御殿があったこと。
徳川家康が天正18年(1590年)に御殿を築造したといわれますが、豊臣秀吉家臣として関東に領地替えされた直後の時期ということになりますね。
御殿は徳川家康・秀忠・家光の3代にわたり、鷹狩の際の宿舎として使われました。

掘立柱建物跡・柵跡・厩らしき建物跡・井戸跡が見つかっています。
現在公開されているこちらの井戸跡からは、三葉葵紋の鬼瓦も発見されているそうですよ。

井戸跡
家康はたまたま御殿をここに造営したわけではなく、新しい武蔵国の領主として、かつての中心地だったこの地に象徴的な施設を築いたというわけです。
また、家康の死後、静岡の久能山から栃木の日光山に遺骸が移葬されましたが、その際、一行はこの地に滞在して法要がおこなったといいます。
どうやら府中は、徳川家康とゆかりの深かい地だったといえそうですね。
武蔵国府スコープでVR映像が見られる

広場にある管理事務所で”武蔵野国府スコープ”を借りると、各ビューポイントで人物が動く映像を入れたVR映像を見ることができます。
是非こちらを借りて、奈良時代の世界観に没入してみて下さい。
武蔵国府跡 国司館地区への詳細情報・アクセス
武蔵国府跡 国司館地区
住所:東京都府中市本町1丁目14(GoogleMapで開く)
開園時間:9~17時(スコープの貸出:夏16:00・冬15:00まで / 返却:夏16:30・冬15:30)
定休日:年末年始
トイレ:有り
電車)
・JR南武線・武蔵野線の府中本町駅より徒歩1分
・京王線の府中駅より徒歩10分
車)
・駐車場無し
「武蔵府中熊野神古墳」武蔵国府との関係性も高い古墳
国内でも希少な上円下方墳

国司館跡を見学した後、府中本町駅から南武線で2つ目の西府駅へ移動。
こちらには武蔵国府の成立とも関係性が深いとされる、大変珍しい古墳があるとのことでやって来ました。
駅から住宅街を抜けて10分足らず歩いての到着です。

こちらがその「武蔵府中熊野神社古墳」で、7世紀後半に築造された上円下方墳(じょうえんかほうふん)と呼ばれる形状の古墳。
上円下方墳は東日本はもとより、全国的に見ても極めて希少で国指定史跡となっています。
確かに今まで見たことがないような、立体的な形状ですね。
ちなみに。。。実は近世の皇室の陵墓には上円下方墳の形式が採られており、明治天皇(伏見桃山陵)・大正天皇(多摩陵)、昭和天皇(武蔵野陵)のお墓にはこの形状が採用されています。これもちょっと意外ですねえ。
武蔵国を代表する首長の墓所

古墳の特徴
・3段構えの構造で1段目は1辺が約32mの方形(下の低い段差部分)、2段目は1辺が約23mの方形、3段目が直径約16mの円形。高さは約6mで復元されています。
・1段目の外周に切石が並べられており、2段目・3段目の墳丘の表面には石が葺かれていました。
・墳丘の中心部には、3室から成る複室構造の切石積横穴式石室があります。
築造当時の武蔵国においては最大級の墳丘規模、そして石室も大型であるため、武蔵国を代表する首長の墓だと考えられています。
古墳近辺には築造時期前後に東山道武蔵路が敷設されており、その直ぐ後に武蔵国府が成立していることから、被葬者は国府に深く関わった人物だと考えられています。

盗掘等があったようで残念ながら出土品は殆どなかったようですが、七曜文の銀象嵌文様(ぎんぞうがんもんよう)を7か所に配した、刀の鞘に装着する鞘尻金具が出土されています。
「武蔵府中熊野神古墳 展示館」石室復元展示室で探検家気分!?

古墳公園に隣接して、府中市市立「武蔵府中熊野神古墳 展示館」が設置されています。
2階建てのなかなか立派な施設で、トイレも完備されているので休憩所としての利用も良いでしょう。

1階の展示ホールではディスプレイなどによる古墳の解説や、府中市の歴史が年表で紹介されています。

2階では古墳断面の剥ぎ取り土層を壁一面に展示しているほか、石材や出土品のレプリカ展示などがおこなわれています。
墳丘は関東ロームと黒土を交互に突き固めて造られているそうです。

「石室復元展示室」は石室内の様子を推定で再現したもので、見学を希望するとライトとヘルメットを借してくれるというのがユニーク。
探検家気分で石室内の見学ができるので、子供連れでも楽しめそうですよ!
関東60カ所の古墳・古墳群を、わかりやすい実測図掲載にて紹介!
各県とも結構見応えのある様々な古墳があるんですね!
古地図と現代地図を見比べながら 江戸のなりたちを巡りませんか?
歴史好きならば、東京の街歩きが楽しくなる一冊!
武蔵府中熊野神古墳の詳細情報・アクセス
武蔵府中熊野神古墳
住所:東京都府中市西府町2丁目9-5(GoogleMapで開く)
電車)
・JR南武線西府駅より徒歩約8分。
・京王線府中駅から京王バス(甲州街道経由・第七小学校循環)乗車、「西府町2丁目」バス停下車、徒歩約4分。
車)
・駐車場なし
武蔵府中熊野神社古墳 展示館
開館時間:4月1日から10月31日:9~17時、11月1日~3月31日:10~16時
休館日:月曜日(祝日・振替休日に当たる場合は直後の平日)、年末年始(12月29日~1月3日)、 臨時休館日
府中のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
武蔵国府跡へ出かけてみませんか?
その名から府中市にはかつて国府があった場所ということは意識していましたが、武蔵国府の規模がこれ程大きなものとは知りませんでした。
また、近世には徳川家の御殿があったというのも、歴史は歴史を呼ぶものだなあ、と感じましたね。
そんな地下に眠っている古代の遺構に想いを馳せつつ、府中の歴史探訪に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2025/7/24



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