松江城は豊臣秀吉・徳川家康に仕えた堀尾氏が築城した城で、山陰地方唯一の現存天守は国宝指定されています。
その天守は比較的初期の時代のものですが、実際見学してみると先進的な築城方法が取り入れられた、実に実用的で機能性に富んでいることに驚かされます。
そして天守のみならず、石垣職人集団の穴太衆により築成された石垣も大きな見どころの一つです。
松江城から出雲空港へ移動する際の注意点など、現地情報も記載していますので参考にしてみて下さい。
目次
「国宝 松江城」宍道湖を望む、水の街の美しい城跡
「ぐるっと松江レイクラインバス」で松江城へ
城跡歩きが好きで、関東を中心に城跡をめぐっています。
関東に多い土塁に囲まれた城跡は大好物なのですが、ふと、たまにはドン!と天守が立つ城跡が見たいな、と思った次第。
さらに、せっかくなら現存天守のある城郭に出かけてみるか、と思案。おっ、松江城なら行ってみたかった出雲大社にも立ち寄れるな、ということで松江を訪問しています。
JR松江駅から松江城までは、市内観光に便利な「ぐるっと松江レイクラインバス」を利用。
綺麗なデザインのバスに乗り込み、天気も良く気分も上々で出発!
松江市には国内で7番目の面積を誇る宍道湖(しんじこ)があり、河川も多く、”水の都”なんて呼ばれています。
バスは宍道湖にも通じる大橋川を越え、松江城の内堀につながる京橋川沿いを進みます。
松江城最寄りの大手前バス停で下りると、すぐに城跡が見えてきます。
二之丸の石垣や櫓を内堀の水面に映しだす、実に美しいロケーションですね!
豊臣秀吉・徳川家康家臣の堀尾吉晴が築城
松江城の入口では、「松江開府の祖・堀尾吉晴公の像」がお出迎え。
堀尾吉晴は息子・忠氏と共に松江藩を開き、松江城を築城した武将です。
堀尾吉晴と松江城築城について
~豊臣秀吉家臣として活躍~
・堀尾吉晴は尾張国(現愛知県)出身の武将で、豊臣秀吉に仕え活躍。
賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い、小牧・長久手戦いで武功を挙げ、近江国佐和山4万石、遠江国浜松12万石へ出世。三中老に任ぜられるなど、秀吉の信任も厚かった人物。
~子・忠氏の関ヶ原の功績で出雲国を得る~
・秀吉没後は徳川家康に仕えるが、吉晴は三河国池鯉鮒の刀傷事件で重傷を負う。
・家督を継いだ子の忠氏が慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで功績を挙げ、出雲・岐2国24万石を受領。
~松江城築城~
・堀尾氏父子は富田城に入るが、交通の要衝である松江への移築を決意。城地をめぐっては父子で意見が分かれた。
・慶長9年(1604年)に忠氏が急死。吉晴は忠氏が推した亀田山への築城を決定。
・築城に5年を費やした松江城は、慶長16年(1611年)に完成。吉晴は本拠地移転後まもなく、69歳で死去。
堀尾家亡き後の松江城には、若狭国小浜藩より京極忠高が入封するも3年余りで死去。
次いで信濃国松本藩より松平直政が入封した後は、明治維新まで松平氏の統治が続きました。
宍道湖を要害に持つ亀田山に築城
松江城は、南には宍道湖、西や北には山地があり自然の要害を持つ立地でした。
縄張りは輪郭連郭複合式と呼ばれる平山城です。
標高29メートルの山頂に本丸を置き、本丸南側に二之丸、東側に二之丸下ノ段(外曲輪)、北側には北ノ丸が配置されていました。
水堀に囲まれた主郭部分が、現在は城址公園として整備されています。
さらにその南側の島根県庁がある場所は、かつての三之丸跡です。
松江城は日本100名城の一つに数えられています。
「大手門」復元に向けて情報収集中
入口の石碑にあるように、松江城の現存天守は国宝指定されています。
その国宝天守の姿が高台にチラリと見えてくると、テンションが上がってきますね!
かつてこの場所には、枡形門を構成する大手木戸門が立っていました。
木戸門跡を抜けると、石垣に囲まれた枡形と呼ばれる四角い空間に入ります。
ここの枡形は一辺は46mもあり、かなりデカイ!この場所は馬溜(うまだまり)とも呼ばれたそうです。
勢いつけて枡形門を直進すると、正面は13mある二之丸の高石垣で行止まり。
枡形に閉じ込めたところを上から狙い撃ち、という防御の仕組みになります。
井戸跡があるので、戦乱期が過ぎるとまた違った用途で使われた空間なのかも。
枡形を右手に折れると、城内への入口にあたる大手門の櫓台跡が残ります。
かつては八間(約14.5m)の広い間口を持った、2階建ての巨大な櫓門があったそうです。
この大手門に関しては復元が検討されているのですが、門の礎石が残る以外、建物の復元根拠となる資料が揃っていないとのこと。
そのため明治時代に取り壊された門の古写真や設計図面などの資料を、なんと!500万円の懸賞金を架けて探している最中なんですって。有力情報が発見されて、復元につながると良いのですが。。。
詳細に興味がある方は「松江城大手門復元資料収集懸賞事業」で検索してみて下さい。
「二之丸下ノ段」観光案内所で御城印も販売
大手門を抜けた先には、広々とした「二之丸下ノ段」が広がります。
本丸東側の最下段にあたり、外曲輪とも呼ばれます。
こちらには洪水や飢きん対策の備蓄米を置く、米蔵屋敷がありました。
湖川に囲まれた土地柄、松江では水害が多かったようです。
また、江戸時代前期にはこの一角に「荻田配所」が建造されました。
越後国高田藩にて幕府も介入したお家騒動「越後騒動」が起きましたが、その中心人物の一人、高田藩忠臣・荻田本繁(主馬)の配流先として受け入れた際の施設が荻田配所でした。
二之丸下ノ段の入口には、「ぶらっと松江観光案内所」と「ちどり茶屋」があります。
ぶらっと松江観光案内所では記念品などの販売もあり、帰りに御城印を購入しました。
ちどり茶屋は喫茶だけでなく松江名物の割子蕎麦も頂けるので、こちらで昼食を頂くのも一考かと思います。
ぶらっと松江観光案内所の概要
所在地:松江城二の丸下の段(大手前から入って右側)
主なサービス:観光案内・観光パンフレット設置、手荷物一時預かり(有料)、観光グッズ販売、車イス貸出し(2台・予約可)
受付:8:30~17:00(年中無休)
TEL:0852-23-5470
ちどり茶屋
公式ページ
営業時間:開店 10:30~ ラストオーダー 16:30 ※そばの提供は16時まで
※臨時休業もあるので公式ページで確認してお出かけ下さい。
「中曲輪」石垣越しの天守を望めるビューポイント
二之丸・本丸に通じる通路は二之丸下ノ段方面ではなく、左手に折れたこの「本坂」になります。
城内の通路は左右に曲がりながら続き、常に横矢にさらされながら進みます。
さらに本坂では左手に二之丸の石垣がそそり立ち、銃や矢を持った城兵が上で待ち構えている様が目に浮かびますわ。
本坂を上り切るとやはり直進は行止まり。右折の後、さらに左にカクっと曲がった道が二之丸・本丸方面に続きます。
石垣で死角になっている右手には中曲輪があり、そこにも城兵が待機していたことでしょう。
本丸東側下に位置する「中曲輪」は、石垣越しの雄大な天守の姿を望めるオススメのビューポイントなので、素通りに注意です。
天守下の石垣は、特に緻密に組まれているように見受けられます。
角部は算木積みで固められ、その他は比較的小さめの石が丁寧に積まれています。
天守は入母屋屋根を持つ櫓の上に、望楼と呼ばれる物見櫓が載ったタイプ。
これは比較的初期の天守に見られる様式で、望楼型と呼ばれます。
お寺でよく見かける、丸みをもった花頭窓(かとうまど)が印象的。屋根にそそり立つ鯱(しゃちほこ)も見えますね。
石垣職人集団・穴太衆築成の石垣にも注目!
松江城の最大の見どころといえば国宝天守ですが、その次に注目したいのが表情豊かな石垣群です。
築城に5年の歳月が掛かった松江城ですが、そのうちの3年は石垣に費やされたといわれます。
その石垣の築成に際して招かれたのが、石垣職人集団の穴太衆(あのうしゅう)です。
織田信長の安土城の石垣普請でその名を全国的に広めた、滋賀県大津市穴太出身の職人衆のこと。
安土城後は各地の石垣構築に携わり、築城における石垣技術を広めた立役者ともいえます。
松江城の石垣は、約6割が野面積みと打込み接ぎによります。
堀尾氏以降の京極氏や松平氏の時代にも改修されているので、切込み接ぎによる綺麗な石垣はその時代のものかもしれませんね。
江戸時代に主として使われた石垣石は、松江市東部で採れる矢田石と大海崎石(おおみざきいし)と呼ばれる石。
それらの石材産地と松江中心部とは大橋川でつながっており、船による搬送をしやすい場所だったようです。
そして特に本坂周辺の石垣石には、様々な刻印が見受けられて興味深いです。
刻印は作業を円滑に行うために工事分担などをマーキングをしたものと考えられますが、こんなに沢山の種類があるとは!
ちょっとした絵が刻まれているのも興味深く、職人の遊び心という部分もあったりして!?
二ノ門跡を抜け本丸へ
ふたたび本丸に向かい進みます。
ニノ門跡の先を左手に曲がると二之丸跡で、右手が本丸方面。
本丸へと続く石階段を上ります。
坂を上がりきると本丸入口の一ノ門が現れます。坂下からはこの門が見えないのが、配置の妙ですね。
大手門からは都合5ヶ所の曲がり角を抜けてきましたが、城内の先を見通せない造りと横矢掛りが徹底されている構造を体感できました。
一ノ門跡では、赤味を帯びた巨石をダイナミックに積んだ石垣に目がゆきます。
赤っぽい石は大海崎石で、嵩山(だけさん)・和久羅山で採れる溶岩石だそうです。
一ノ門を抜けて本丸内へ。
本丸には無料で入場できますが、天守内の見学には入場券の購入が必要です。
「国宝天守」は慶長期を代表する現存天守
天守は実用性・機能性に優れた造りだった!
本丸に入ると、本丸の東北隅に築かれた国宝天守が見えてきました!
何を隠そう、実は現存天守を見るのは今回初めてだったりするので、やや興奮気味です、はい(笑)。
少し古風なフォルムと、独特の風合いの石垣が印象的です。
入母屋の破風が羽を広げた千鳥に似ているため、「千鳥城」とも呼ばれます。
松江城天守は慶長期を代表する天守で、全国に現存する12天守の一つ。さらに国宝指定の5天守の一つでもあります。
現存天守の中では、高さは姫路城・松本城に次ぐ3番目で、総床面積は姫路城に次ぐ2番目の広さです。
外観は4重で、内部は5階建てに地下1階付き。
天守入口部分に附櫓(つけやぐら)が設けられており、複合式望楼型天守に分類されます。
400年以上前のこんな複雑な形状の木造建築物が現存しているなんて、改めてその堅牢さに驚かされます。
天守附櫓の石垣には石切りの際の矢穴が見えたり、積み方も荒々しくて無骨な感じでした。
必要にあわせて開閉できる突き上げ戸が良く見える。
天守の西側から。
全体的が黒っぽくてシャープな印象。
豪華さは感じられず、質実剛健という表現が似合います。
全体が黒い下見板で仕上げられていて、白漆喰部分が少ないのが外装の特徴。
下見板とは横長の板材を階段状に重ね、その継ぎ目を固定させて仕上げる工法。
通気性が良く、板ごとに交換できるのでメンテナンス性にも優れています。
黒い染料には、湿気対策として柿渋や煤が混ぜられてるとのこと。
初期の時代の天守ながら、実用性・機能性が考慮されているのが素晴らしいですね。
地階の国宝指定につながった祈祷札
では、いよいよ附櫓から天守内に入城です。
天守の受付カウンターに、日本100名城スタンプが設置されていました。
入城するとすぐに薄暗い「地階」に入ります。
周囲に石垣が見えますが、ここは天守台の中にあたる階なんですね!
籠城に備えて塩や物資の保管場所として使用され、塩蔵とも呼ばれたそうだ。
天守台の石垣の中って、こんな使われ方もしてたんですね。知ってました?
地階の中央部には深さ約24mもの井戸もありました。
そして、実は左手の柱に貼られている祈祷札(きとうふだ)が注目ポイントで、これは平成27年(2015年)の天守の国宝指定につながった貴重な資料の一つなんです。
平成24年(2012年)に、松江神社(二之丸内に鎮座)で祈祷札が2枚発見されました。
祈祷札には松江城の築城年「慶長拾六年」の記載があり、築城時の祈祷の際に使用されたと考えられました。しかし、この札が松江城のものだったという確証がありませんでした。
しかしその後の調査により、この地階の2本の柱に祈祷札が掲げられていた釘痕が奇跡的に見つかったということです。
小さな釘穴を見つけるという大変な苦労が、国宝指定で実を結んだわけですね。
ちなみにこちらの祈祷札はレプリカで、現物は国宝指定されて松江歴史館で保管されています。
天守屋根の鯱は昭和30年に解体修理されており、工事の際に再利用できなかった部材の一部が展示されていました。
松江城の鯱は木彫り銅板張りで、高さが2.08m。木造の現存鯱の中では日本一の大きさを誇るそうですよ。
柱に注目!「互入式通し柱」「包板」が最大の特徴
階段はけっこう急勾配なんで渋滞を避けつつ、コケないように注意して上がってゆきます。
写真は1階に上がる階段の開口部ですが、右手にミゾがあるのが見えますよね?ここは引き戸を水平にスライドさせて、開口部を塞げる構造です。
敵兵の侵入時や籠城対策として、実践的な工夫が施されていますね。
松江城天守における最大の構造上の特徴は、「互入式通し柱(ごにゅしきとおしばしら)」という方式です。
これは長く大きな柱を用いずに、2階分を通す程度の長さの柱を使用。
さらに上階と下階の柱の位置をずらし荷重を分散させる、という当時の先進的な技法が取り入れられています。
なるほど、これが現存にも繋がった耐久性の秘密の一つだったんですね。
柱の周囲を板で包み鉄輪(かなわ)で止めて補強して使う、包板(つつみいた)と呼ばれる手法も独特です。
天守の柱の総数は308本で、その内の103本もの柱に包板が使用されているとのこと。
一方、1階にはその包板を使用していない「松江城天守最大柱」が、地階との通し柱として東西に2本あります。実はこの柱こそが、地階で祈祷札が打ち付けられていた柱なんですね。
構造上の大黒柱的な役割を持つとともに、中心部にあって城の象徴的な存在だったのだと思われます。
外側から内部が見えづらい格子窓(武者窓とも呼ばれる)。突き上げ戸が付いています。
防御のための石落としや狭間を装備
2階部は屋根の軒に隠れて外側から見つけづらいため、「石落」が多く設置されています。
石落を使用するケースって接近戦でかなり切羽詰まった状況だと思うんですが、実際どれくらいの命中率なんですかね?
壁の各所には、鉄砲や矢を放つための狭間(さま)と呼ばれる穴が設けられています。
これは鉄砲狭間で、縦長の矢狭間もあります。
2階には展示物やパネル解説が多くありました。
こちらの重厚な太鼓はかつて二之丸の太鼓櫓にあったもので、時を知らせたり城内の合図に使われました。
花頭窓が外観のアクセントに
3階には外観のアクセントになっている花頭窓(かとうまど)があります。
最上階の5階に通じる階段。
最上階の天狗の間からは宍道湖の絶景!
こちらが天狗の間とも呼ばれる、天守最上階の5階です。
壁がない部屋で、四方の視界が開けて景観が一変!開放感があります。
柱の太さが揃えられるなど、見栄えにも配慮。
敷居の痕跡や鴨居が残っており、かつては障子などの建具もあったようですよ。
360度の周囲が見渡せて、なかなかの眺望です。
かつての城主も、ここからの見晴らしを楽しまれていたことでしょう。
こちらは武家屋敷などが残る北側で、城周囲の内堀が見えます。
南側には、かつての三之丸跡に立つ島根県庁が見えます。(真ん中央右手、横長の建物と庭がある場所)
そして南側から西側にかけて望む、宍道湖の景色が最高でした!
飾られていた国宝指定書のコピー。
原本は祈祷札などとともに、松江歴史館に保管されています。
天守見学について
入場時間:4月1日~9月30日 8:30~18:30(受付終了 18:00)、10月1日~3月31日 8:30~17:00(受付終了 16:30)
入場料:大人 680円 / 小人(小・中学生) 290円
本丸開放時間
入場料:無料
開門時間:4月1日~9月30日 7:00~19:30、10月1日~3月31日 8:30~17:00
お得な共通券
3館共通券(松江城天守・小泉八雲記念館・武家屋敷):大人 1,100円、小人(小・中学生) 510円
※3館共通券提示で次の観光施設の割引あり。松江歴史館・堀川遊覧船・月照寺・普門院・八重垣神社宝物殿・明々庵・田部美術館・宍道湖遊覧船、松江堀川・地ビール館(お土産・飲食1割引)、袖師窯絵付け体験、小泉八雲旧居
2館共通券(松江城天守・松江歴史館の基本展示):大人 950円、小人(小・中学生) 430円
※松江歴史館の特別展の割引ができます
参考)
小泉八雲記念館 入場料:大人 410円、小・中学生 200円
武家屋敷 入場料:大人 310円、小人(小・中学生) 150円
松江歴史館 観覧料:大人 510円、小・中学生 250円
本丸には6つの二層櫓があった
天守見学後、本丸の外周に沿って歩いてみました。
本丸は東西約54m・南北約123mの長方形の曲輪です。
東側の石垣を見下ろすと、屏風のように折れ込んでいるのが良く見えます(下は中曲輪)。
侵入して来た敵兵からは、死角が多くて奥が見通せない形状です。
こちらは北西にある「乾(いぬい)櫓」の跡。
かつて本丸には6つの二層櫓があり、それらは横長の多聞櫓でつながっていました。
「二之丸」松江神社・興雲閣、そして復元櫓
「松江神社」初代藩主松平直政や堀尾吉晴を祀る
本丸南側の一段低い位置にある二之丸にやって来ました。
現在の二之丸跡には、明治時代に建てられた松江神社と興雲閣(こううんかく)があります。
2代藩主松平綱隆の時代までは、二之丸の御書院が藩主の住居でした。
その後、より広い敷地をもつ三之丸に御殿が建てられ、藩主の生活の場はそちらに移ってゆきました。
「松江神社」には松江藩の松平家初代藩主の直政のほか、徳川家康、松江藩7代藩主である松平治郷公(はるさと)、そして松江開府の祖として堀尾吉晴が祀られています。
地階に貼られていた祈祷札は、こちらで発見されたわけですね!
社殿は、堀尾忠晴が松江市西尾町の東照宮に祀った社が移築されています。
「興雲閣」明治天皇巡幸のために築造
松江神社の南側には、レトロな洋風建築「興雲閣」があります。
なんで城跡に洋館が?って感じですが、元々は明治36年(1903年)に明治天皇の行在所とする目的で建てられたそうだ(天皇の巡幸は実現せず)。
こちらでは華麗な装飾・彫刻が施された館内を、無料で見学することができます。
興雲閣の見学について
休館日:なし (年中無休)
開館時間:4月1日~9月30日 8:30~18:30 / 10月1日~3月31日 8:30~17:00
入館料:無料
「南櫓」「中櫓」「太鼓櫓」を復元
二之丸の東側には3つの櫓が復元されています。
南東角に立つ2階建ての「南櫓」は、最初に城外から内堀越しに見えた櫓でした。
城下町の南東を監視する役割の櫓だったと考えられます。
東側の「中櫓」は、幕末には御具足蔵とも呼ばれた平屋建ての櫓。
北東角の「太鼓櫓」は、本坂左手の石垣上に見えていた櫓です。
天守に展示されていた太鼓は、こちらに置かれていたようですね。
「水の手門」小泉八雲記念館に向かう際に立ち寄りたい
本丸北側には、北之丸方面への出入口である「北ノ門」があります。
現在の北之丸跡には、松江護國神社が鎮座しています。
北ノ門を抜けた先には、こちらの「水の手門」があります。
搦手側なのでコンパクトな造りの虎口ですが、堅牢な石垣積みが残る見逃がせないポイントです。
この傍には、馬を洗ったりするのに使われた「馬洗池」も残ります。
北側にあり見逃がしやすいポイントですが、小泉八雲記念館や武家屋敷へ向かう際に立寄るのがオススメです。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
松江城の御城印
ぶらっと松江観光案内所で購入した御城印です。
左は国宝指定の9周年を記念して作成された、ヒノキ製の御城印。300枚限定の通し番号入りのもので1,000円でした。ちょっとお高いのですが、限定という響きに弱くて購入(苦笑)。
右の通常の御城印は350円でした。
松江城の詳細情報・アクセス、現地での移動情報など
松江城の詳細情報・アクセス
松江城
公式ページ
住所:島根県松江市殿町1-5(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR山陰本線「松江駅」から「松江城」まで徒歩約30分(約2km)
・一畑電車北松江線「松江しんじ湖温泉駅」から「松江城」まで徒歩約15分(約1.2km)
車)
・山陰自動車道「松江玉造IC」から約5km(約10分)
・有料駐車場有り(大手前駐車場 67台 / 城山西駐車場 158台)
松江のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
松江市内の移動手段の紹介
ぐるっと松江レイクラインバス
市内の観光には、JR松江駅を起点する観光ループバス レイクラインが便利です。
観光ループバス レイクラインの公式ページ
路線バス
路線バスは市営バスと一畑バスがあります。
松江市交通局の公式ページ(市営バス)
一畑バスの公式ページ
堀川遊覧船
松江城を囲む約3.7kmの堀川を、約50分かけて遊覧する観光遊覧船です。
船頭さんの軽快なしゃべりと、低い橋を渡る時には屋根が下がり人も屈んで通過するというアトラクションt的な要素もあり楽しいです。乗船場所は3ヶ所にあります。
堀川遊覧船の公式ページ
空港連絡バス
出雲空港・松江市街間の空港連絡バスです。フライトの時間に合わせて運行されているので便利です。
松江一畑交通の空港連絡バスの案内ページ
帰りに焦った!出雲空港へ向かう方へのアドバイス
当方、帰りはJR松江駅から空港連絡バスで出雲空港に移動し、飛行機による帰宅でした。
その際、一部予定通りに移動できずにヒヤッとした部分があったので、空港利用に関しての情報と対応メモを共有させて頂きます。訪問時の参考にされて下さい。
【焦ったこと:その1】
帰りはタクシーで松江城から松江駅へ移動する予定でした。
しかし、大手門前のタクシー乗り場で待つも15分以上タクシーが来ない。まじか!
地元のボランティアの方に尋ねると、向かいの県民会館に路線バスが多く停まることを聞きダッシュ!事なきを得た。
【対応メモ】
・タクシーがこなければ呼んだ方が良さそう。
・路線バスの時刻や乗場をチェックしておいた方が良い。県民会館のバス停は松江城側とは反対にあり、冷や汗ものだった。
【焦ったこと:その2】
続いて松江駅に到着後、空港連絡バスのチケットを購入しようとしたが、購入場所が分からず焦った。
駅でチケットセンターの場所を聞き買いに向かうも、販売窓口が混んでいて焦った。(バスの出発は5分後に迫っていたのに。。。)
【対応メモ】
・松江駅にはバス券売機の設置が無い。さらに一畑バス のチケットセンターの場所はロータリーから離れており、少し分かりずらかった。場所を確認のうえ、事前購入しておくのがベスト。
・ちなみに現金支払であればバス車内でも運賃の支払は可。私はこれを聞いてバスに飛び乗り、間一髪セーフ。いやいや、ホントにギリギリでした。
■ 一畑バス 松江駅前チケットセンター(GoogleMapで開く)
■ 松江一畑交通 空港連絡バスの案内ページ
私の場合は事前の下調べ不足でした。準備万端て楽しい旅にしましょう!
国内旅行もHIS(エイチ・アイ・エス)がプラン豊富!
松江城跡に出かけてみませんか?
初めての現存天守の見学でしたが、やはり復元の天守と比較すると生々しさを感じられる部分が多く、非常に良かったです。
城跡自体は1.5~2時間程度で一通りめぐれると思いますが、城址公園周囲にも色々と見どころがります。
武家屋敷や小泉八雲記念館、そして城を囲む堀を船でめぐる堀川遊覧船も外せません。
ということで、時間の余裕を持っての訪問をお勧めします。
松江城に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2024/7/21
日本100名城の城跡をさらにチェック!
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