川口市にある江戸時代に築かれた赤山陣屋(赤山城)跡は、城跡・屋敷跡としてはそれほど有名ではないかもしれません。
ですが、かつての空堀や土塁が整備されて残っており、アクセスもしやすく気軽に城跡散策ができるスポットです。
さらに赤山陣屋を築いた伊奈氏は、徳川家家臣として関東で大規模な治水工事をおこない、幕府に多大なる貢献した注目すべき一族なんですよ!
そんな伊奈氏の功績をふり返りつつ、赤山陣屋跡の見どころ・歩きどころを紹介します。
目次
赤山陣屋跡(赤山城跡)について
江戸幕府で12代にわたり関東郡代という役職をつとめ、関東の国整備に貢献した伊奈氏。
埼玉県川口市には、その伊奈氏の拠点だった赤山陣屋跡(又は、赤山城跡)が、県指定史跡として残っています。
赤山陣屋の大きさは東西約1.6km・南北約1.7kmにおよぶ広大なもの。
外側は低湿地などを自然の外堀とし、さらに本丸周辺には人工的な空堀が配置されました。
現在は本丸エリア周辺が整備・保存されており、空堀と土塁の痕跡が広範囲にわたり残っています。
そんな陣屋跡を歩いてみたので、見どころ・歩きどころを紹介します。
ところでこのスポットは赤山陣屋跡とも赤山城跡とも呼ばれ、実は呼び名が少々悩ましい。
史跡登録名は赤山城跡でしたが、のちの調査で赤山陣屋とする方がふさわしいとされてます。
それにならい、赤山陣屋の呼称で以下統一します。
治水で江戸幕府に貢献した伊奈忠治
赤山陣屋跡へは、最寄りの埼玉高速鉄道・新井宿駅から徒歩でアクセスしました。
駅からは約1.7~1.8kmくらいかな。
その手前には「イイナパーク川口(赤山歴史自然公園)」という施設があり、施設内の歴史自然資料館に立ち寄ります。
初めてきたイイナパークですが、緑地公園をはじめ歴史資料館や物産館、全天候型のあそび場などまで入った複合施設でした。
高速道をおりずにアクセスできる、首都高初のハイウェイオアシスという特徴も持っています。
へぇ~、こんな施設があったんですね。
車の場合はこちらに駐車場するのもオススメ。帰りにお土産も買えるしね。
その一角にある歴史自然資料館は、シャレた感じのつくりでした。
館内では赤山陣屋跡についてを中心に、周辺の歴史や自然に関する資料が展示物や映像で紹介されてます。
資料館前には赤山陣屋を築陣した伊奈家3代目の伊奈忠治(いな ただはる)の像が。
カンの良い輩は、イイナパークの”イイナ”は伊奈氏からきていることにお気付きかも。
伊奈家初代の忠次(ただつぐ)は、三河国(現、愛知)で徳川家康に仕え、河川改修や新田開発により信頼を得ました。
そして家康が関東へ移った際、代官頭のひとりとして関東の領地管理をおこないます。
忠次死去ののちは、次男の伊奈忠治が代官の仕事を引き継ぎます。
寛永19年(1642年)には関東郡代に任命される。
その後は幕府の直轄地(天領)の管理をはじめ、河川改修などの開発事業に取りくみました。
伊奈氏は当初1万石の領地を得て、現在の伊奈町に陣屋をかまえました。
忠治の代に、さらにここ赤山に7千石の領土を受領。
そして寛永6年(1629年)ごろ、赤山陣屋をもうけ拠点を移したとされます。
その後、12代忠尊が寛政4年(1792年)に改易され廃止になるまでの約160年間、赤山陣屋は伊奈氏の拠点として続きました。
陣屋の配置は、江戸時代の赤山絵図により知ることができます。
約3kmに及ぶ自然の外堀に、陣屋全体が囲まれているのが特徴。
さらに本丸・二ノ丸は周囲に人工的な空堀がつくられ、二重の堀に囲まれていました。
あとは縄張りが直線的なのが、城跡というよりやはり陣屋跡という印象を感じた。
「赤山陣屋跡」 かなり広範囲に残る空堀や土塁
本丸を囲む内堀(空堀)
予備知識を吸収したところで、いざ赤山陣屋跡へ向かいます。
パーク駐車場にあった標識にしたがって、道なりに北へ。
もの凄く一直線に真っすぐな道が続き、赤山絵図の直線的な縄張図が思い浮かびますなあ。
南側から陣屋に入れる入口は、この先の表御門ただ一ヶ所だったとのこと。
突きあたってクランクになっている道を抜けと場所が開け、「赤山城址の碑」が現れます。
碑が立つこの周辺が本丸の中心部。
右の道を挟んだ左右両側が、かつての本丸です。
ここで、赤山陣屋をつくった伊奈忠治の功績をふり返りましょう。
伊奈忠治のもっとも大きな功績は、「利根川東遷事業(とねがわとうせんじぎょう)」。
古来より利根川は、太平洋ではなく江戸湾(現、東京湾)にそそいでいました。
それを現在の流路へと改修することにより、江戸を水害から守り、新田開発をすすめ、さらに東北との舟運交通の確立にもつなげた、というものです。
利根川の流れを変えるって、ちょっと想像しただけでも難工事なのがわかりますねぇ。
凄いわあ。
現在位置を示す案内板。
この地図入りの案内板はいたる所に配置され、情報量も多くうれしい。
案内板情報をまとめたビラなんかあると、ありがたいなあ。。。
本丸はかなり広い。
現在は空き地と雑木林、一部畑地が組み合わさった空間かな。
曲輪っぽいといえば見えなくもないが、屋敷跡などの痕跡はなさそうだ。
一方見どころ多いのは、本丸周囲の空堀ですね。
本丸の南側には空堀跡が残されており、思わずおおっ!と。
本丸から二ノ丸の西側方面まで続いている堀。
こちらは東側に向かって続く空堀。
赤山陣屋跡の空堀はおおむね深さ5~6mで、上面幅は9.5mほどあったそう。
堀沿いに土塁が設けられたり、堀内部に塀があった箇所もあったそう。
堀は当時からは大分埋めらてるようですね。
陣屋があったエリアは散策路が整備されており、ベンチなども設けられています。
さて、現在位置は本丸跡ですが(ピンクの箇所)、これから山王三社や二ノ丸などに立ち寄りながら周辺をグルっとまわってみます。
ちなみにイイナパークもある南側の家臣屋敷地ですが、植木の名産地・安行に近い土地柄もあり園芸屋が点在していました。
空堀廃土の台地に鎮座、赤山日枝神社
東側にある山王三社を祀る「赤山日枝神社」へ。
伊奈氏の創建社といわれ、江戸城鎮護の山王日枝神社から分社して祀られたと考えられます。
現在は日枝神社・天神社・八幡神社の三社が合祀されています。
元々は各々鳥居をかまえた別棟で、境内は陣屋内の広範囲にわたったそうです。
ちなみに社殿のある高台は、空堀掘削時の廃土で築かれた山らしいです。
ふ~む、陣屋内ならではの鎮座地ですな。
境内には宝永4年(1707年)に伊奈氏7代目の忠順(ただのぶ)が、伊奈家の繁栄を願い建碑した石祠が残ります。
神社隣には遊具のある山王公園になっています。
公園内にはトイレもあり、向かいには見学者用の駐車場があります。
ちなみにこちらに駐車する場合は、入口を確認してからのアクセスをオススメします。
車で本丸正面から入るとこちらには抜けられず、道も細いし焦ります。(経験者は語る、苦笑)。
日枝神社脇の東堀は、本丸と日枝神社エリアを区切る役割だ。
こちらは南堀。
本丸向かいの堀まで、ず~っと続いています。
北側の鬼門に御陣山稲荷を祀る
本丸のさらに北には出丸と呼ばれる曲輪がありますが、その境目に位置する北堀にきました。
本丸の背後は出丸と、出丸周囲の自然低湿地の水堀によって守られてました。
本丸と出丸は土橋でつながっていたそうです。
ちなみに本日は本丸中心部からスタートしているので、東や北へ移動する都度になんども本丸前を素通りしてます(苦笑)。
北堀に沿って進んで登っています。
地形に起伏があるのを結構実感できますね。
ここは陣屋の北東部にあり、鬼門と呼ばれる方角。
現われた小さな祠は、鬼門の守り神として祀られた御陣山稲荷です。
このへんで堀の中歩きを楽しみましたが、その先で北堀は終わっていました。
起伏に富んだ二ノ丸周辺の空堀
最後に二ノ丸周辺へ。
こちらは本丸と二ノ丸間にある西堀。
西堀は地形に合わせて、深めに掘られていたそう。
このあたりが二ノ丸跡ですね。
西堀をさらに北へたどると、その先に結構な下り坂があらわれる。
この先は出丸。
低地だった出丸との高低差はかなりあったことを認識できたところで、本日の赤山陣屋跡の探索を終了します。
「源長寺」 伊奈家の菩提寺
赤山陣屋跡の散策は以上ですが、近隣にある伊奈家の菩提寺「源長寺」に立ち寄りました。
元和4年(1618年)に、伊奈忠治によって再興されたそうです。
こちらは伊奈家歴代の墓所です。
伊奈忠次、伊奈忠治をはじめ代々の五輪塔があります。合掌。
関東周辺の山城攻めをトレッキング視点でまとめた、ありそうでなかったタイプの城攻め本。
これから山城歩きをする人は、東京都にもタフな山城があったりするのには超驚くと思いますよ!
赤山陣屋跡(赤山城跡)の詳細情報・アクセス
赤山陣屋跡(赤山城跡)
住所:埼玉県川口市赤山字陣屋敷(GoogleMapで開く)
トイレ:山王公園の中にあります(専用駐車場向かい)
アクセス:
電車)
・埼玉高速鉄道「戸塚安行駅」又は「新井宿駅」から徒歩約20分
・JR京浜東北線「西川口駅」から国際興業バスの鳩ヶ谷行き乗車、「曲輪」バス停下車、徒歩約5分
・ JR武蔵野線「東川口駅」から国際興業バスの鳩ヶ谷行きに乗り、「曲輪」バス停下車、徒歩約5分
車)
・東京外環自動車道「川口東IC」から約5分
・首都高速川口線「新井宿IC」から約10分
・駐車場あり(約10台)、県道161号の植木屋・しばみち横の赤山城趾入口の石柱が立つ細い道を入った先。
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川口の気軽な城跡歩きに出かけませんか?
近年台風が大型化してますが、現在の我々の生活も伊奈氏の治水工事の恩恵をうけてるんだろうなぁ、なんて天気予報を見ながらふっと思ったりする今日この頃です。
赤山陣屋跡はつぶさに見てまわると、意外と歩きごたえがありました。
それと、思っていた以上に屋敷跡の痕跡を体感できましたよ。
そんな、赤山陣屋跡を歩いてみませんか?
記事の訪問日:2023/7/17
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