かつて日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが、「日本最大にして最も有名な大学」と世界に紹介した場所をご存知でしょうか?それが栃木県足利市にあった「足利学校」です。
ここは単なる古い学校ではありません。戦国時代には軍事戦略に欠かせない”易学”を学ぶ軍師たちが全国から集い、徳川家康が国宝級の書物を救うために奔走した、日本の知の最前線でした。
本記事では、歴史ファンなら絶対に見逃せない足利学校の奥深い魅力と、今も息づく先人たちの学びの足跡を徹底レポートします。
目次
足利学校とは?ザビエルも認めた「坂東の大学」の謎
創設者は誰?小野篁・足利義兼・上杉憲実…諸説あるロマン

入徳門
足利学校跡は「日本最古の学校」「日本最古の総合大学」の遺跡といわれています。
しかし、実はいつ誰が創設したかについては諸説あり、ハッキリとは分かっていません。
主な創設者・創設時期に関する説
■奈良時代創設説(国学遺制説):奈良時代の国学(地方の教育機関)が、その後も廃絶せずに残ったとする説。
■平安時代初期創設説(小野篁説):平安時代の文人・小野篁(おののたかむら)が創設したという説。古くから語られてきた説であるも、史実としての証拠は乏しいとされる。
■鎌倉時代初期創設説(足利義兼説):足利氏2代目の足利義兼が創建したとする説。
足利学校が「足利氏の氏寺」である鑁阿寺と深く関わっていることから、歴史的に最も説得力があると見なされることが多い有力説の一つです。
いずれの説も確たる証拠はなく、創設に関しては未だミステリアスな謎に包まれているといえます。
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なぜ、ザビエルより「坂東の大学」と呼ばれたのか?
入口に立つ入徳門を抜け、参観料を払った後に場内へ。

入場券が足利学校の入学証になっているのがユニーク。一日限りの短期入学ですが、本日は歴史を色々学んで帰りたいと思います!

入口すぐの場所に孔子像があることからも伺える通り、足利学校では主に儒学が学ばれました。
足利学校の学問の灯は戦国時代に入っても絶えず、学徒数は3千名にも上り、その隆盛振りは海外にも伝わることとなります。
天文18年(1549年)、宣教師フランシスコ・ザビエルがイエズス会への書簡の中で、「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と記して世界に広めたんですね。
ここで注目したい点が2つ。
■一つは、ザビエルは足利学校を単なる”School”ではなく、教育機関を指す”Academia”と呼んだこと。
⇒西洋の視点から見ても、高度な教育機関だったことが伝わってきます。
■さらに、それ程のレベルの学問所が、なぜ「京都(西国)」ではなく「足利(東国)」にあったのか?
⇒鎌倉時代以降、政治の中心が東国へと移っていった中で、関東における教育・文化レベルが向上していた証。
海外という鏡に映った当時の日本が垣間見れる点でも、興味深いエピソードだと感じました。
史跡概要:遺構と復元で蘇った足利学校

休憩所にあるジオラマ模型
足利学校の周囲は土塁(どるい)と堀で囲まれており、平面は台形状で、あたかも武家屋敷のような景観です。総面積は17,000m2に及ぶもの。
そして史跡は大きく2つの建物群によって構成されます。
孔子廟(こうしびょう):江戸初期に建築された現存建築物・・・模型左手側の建物
方丈や庫裡など:平成になって復原された建物・・・模型右手側の建物群
明治になって足利学校は廃止されますが、その後、敷地は長らく小学校として使用されます。
昭和後半に遺跡保護の声が高まり、昭和57~63年に掛けて敷地東半分の発掘調査を実施。
平成2年(1990年)、調査成果を文献資料・絵図等と照合して江戸時代中期の姿に復原したのが、現在の史跡・足利学校の姿です。
足利学校の敷地と現存建物が国の史跡に指定されています。
現存する孔子廟と孔子像は日本最古!
「学校門」足利学校を象徴するシンボル
場内を進むと「学校門」と呼ばれる高麗門が見えてくる。シンプルに”學校(学校)”とのみ書かれた扁額が印象的。

これは寛文8年(1668年)築造の現存門とのこと。足利学校のシンボル的な建造物が残っているのは、喜ばしいことですね。
扁額に書かれた「學校」の文字は、中国・明の書家であった蒋竜渓(しょうりゅうけい)が来日した時の書を、当時の江戸国史館助教授・狛高庸(こまたかやす)が縮模したものとのこと。
ちなみに”學校”という言葉は、儒学の教科書の一つ「孟子」の中にある言葉なんだそうですよ。

学校門
足利学校の創設時期が不詳なのは前述の通りですが、室町時代になるとその歴史上の存在が明らかになってきます。
永享11年(1439年)に関東管領・上杉憲実(のりざね)が、足利学校における学則や庠主(しょうしゅ)制度を定めました。庠主とは、今でいうところの校長先生にあたるもの。
初代庠主として招かれたのは、鎌倉の円覚寺の僧侶・快元(かいげん)でした。
さらに上杉憲実は、現在は国宝指定されている貴重な書籍等を寄進しています。
孔子廟と入徳門・学校門・杏壇門の3門が国指定史跡

さらに「杏壇門(きょうだんもん)」を抜けると、その先が孔子廟です。
杏壇の呼び名は、孔子が学問を教えた壇のまわりに杏(あんず)の木があったことに由来しているとのこと。

明治時代に屋根と門扉部が焼けたため一部修復されていますが、学校門と同じく寛文8年の現存建築物です。

杏壇門を抜けた先に現れるのが「孔子廟(こうしびょう)」。
孔子廟とは孔子を祀る建物で、中国明(みん)時代の聖廟を模して造られたもの。こちらも寛文8年に造営された建物です。
江戸時代初期の建物というだけでも希少ですが、さらにこれは現存する日本最古の孔子廟でもあるというではありませんか。
歴史のある大変貴重な建造物として、入徳門・学校門・杏壇門とともに国指定史跡を構成する一部として保護対象となっています。

孔子廟は足利学校第13世庠主・伝英元教の時代に造営されたもの。建物の名は大成殿。

大成殿の中央に祀られている木造の「孔子坐像」。
像の胎内銘から製作年は天文4年(1535年)だとわかっており、これにより日本最古の孔子の彫像といわれています。孔子廟の築造よりさらに古い時代のものなんですね。

その右手には、延享3年(1746年)に作られた小野篁の像。
小野篁(802~852年)は平安時代の公卿・歌人。学問にすぐれた人物とされ、足利学校の創建者とする説もあります。
孔子廟は歴史ロマンを感じさせてくれる空間でした。
禅宗様式の美!復元で生々しく蘇った学びの空間
「方丈・庫裡・書院」学生たちが学び、生活した空間
続いて東側にある、学習や生活の場として使用された建物群を見学します。

手前が「方丈(ほうじょう)」、奥の建物が「庫裡(くり)」。庫裡の裏手には「書院」があります。
それぞれの建物はつながっており、内部で行き来できる構造です。
元々の建物は宝暦4年(1754年)の落雷で焼失。
現在ある建物は平成2年(1990年)築の新しいものではありますが、学校の全体像を知るうえで貴重な建物群といえます。

方丈は寄棟造りで屋根は茅葺き。禅宗寺院の住職が住む建物(方丈)の形式を取り入れているのが、大きな特徴です。
学習や講義はこちらの方丈でおこなわれました。
サイズは一般的な住宅と比較すると非常に大きく、造りは重厚。
●建物の広さ:奥行き11m x 幅17m (広さ約56坪)
●高さ:軒先までの高さ 5m、屋根の頂上(大棟)までの高さ 13.8m
●屋根の張り出し:外側の柱から軒先まで2.8mで、深い軒が特徴的

方丈の東側にある庫裡と呼ばれる建物は、日常の生活空間でした。
竃(かまど)のある土間や板敷の台所、畳敷の4部屋があり奥には湯殿があります。
煙を排出するための換気の役割と思われる、屋根にある三角形の開口部が印象的です。

方丈と庫裡の間には、瓦葺仕上げの唐破風屋根付き玄関が設けられています。
「衆寮・木小屋・土蔵」復原された付随建築物群
方丈・庫裡の周囲には、付随する建物も復原されている。

衆寮
6畳間と土間で構成された部屋が4部屋続く長屋形式の「衆寮」は、僧房や学生寮として使用されたもの。

木小屋
「木小屋」には、薪や日常使う用具や食糧などを保管。

土蔵
耐火建築物である「土蔵」には、貴重品などが収納されました。
なぜここに徳川家康の位牌が!?知られざる足利学校との強い絆
書物奪還の背後に徳川家康の力があった

方丈・庫裡・書院については、建物内部の見学ができます。
脇玄関の孔子とその高弟たちの像に迎えられつつ、中へ。

襖が開け放たれた方丈は、広々として開放感が感じられました。
それにしてもここの畳は、えらく長~いサイズですね。

北側と南側には庭園があり、落ち着いた景観が楽しめます。向かいに見えるのは孔子廟。

方丈には「仏殿の間」があり、その脇仏殿には徳川家康(東照大権現)の位牌が安置されていました。
なぜここに徳川家康の位牌が!?なんですが、足利学校と徳川家康の間には、実は深い繋がりがあったんですね。
発端:豊臣秀次が書籍の一部を京都に移送させた
豊臣秀吉・秀長兄弟の甥にあたる豊臣秀次は、天正18年(1590年)の小田原征伐では山中城(三島市)攻めの総大将として参戦。
学問好きで書籍に強い関心を持っていた秀次は、翌、天正19年の東北地方の平定後、足利学校に立ち寄り、書籍の一部と第9世庠主・閑室元佶三要(かんしつ げんきつ さんよう)を伴い京都へ戻ります。
奪還:徳川家康が足利学校の書籍返還を取り持つ
秀次は秀吉から関白として跡継ぎに指名されますが、後に謀反の疑いをかけられ切腹。その際、閑室元佶三要は秀次と共に高野山にいましたが、連座を免れます。
文禄4年(1595年)、徳川家康が書籍返還を取り持つと共に、足利学校の所領を安堵し運営を保証しました。
この後、閑室元佶三要は慶長4年(1599年)に家康の命を受け「標題句解孔子家語」(伏見版)を京都伏見において刊行。
また、その翌年には関ヶ原の戦い随行するなど、徳川家康の厚い信任を得てブレインとして活躍しました。

「尊牌の間」には、2代~11代の歴代徳川将軍の位牌も安置されています。
家康以降も、元和3年(1617年)に2代将軍・秀忠が足利学校に寺領100石の朱印状を下したのをはじめ、災害発生時には復興の援助を受けるなど、江戸幕府の手厚い保護を受けました。
武田氏や北条氏も注目、戦国武将たちが頼った軍師養成所としての顔

庫裡は展示室となっており、資料を通じて足利学校の歴史を知ることができます。

こちらは北条氏政によって寄贈された、中国南北朝時代の詩集・文集「文選(もんぜん)」で、国宝指定されているもの(展示は複製品)。書物は北条氏の虎の花押が押されたもの。
ところで足利学校で学んだ人物の中には、意外な人物たちの名も刻まれている。
僧侶・涸轍祖博(こてつそはく)は足利学校で学んだ後、上杉家家老・直江兼続(かねつぐ)に招かれています。
また、徳川家康の側近として知られる天海僧正も、実は永禄3年(1560年)から4年間、足利学校で学んでいるんですね。
どうやら戦国時代の足利学校には、武将に付く軍師としての易学を習得する場としての側面もあったようです。
一方、それらの時の権力者たちの後ろ盾があったからこそ、足利学校の発展が続いたともいえるでしょう。
見逃注意、忘れずに立寄りたい3スポット
読めない字を教えてくれる?不思議な「字降松(かなふりまつ)」

敷地の一角には「字降松(かなふりまつ)」と呼ばれる松の木がありました。
これは第7世庠主・九華和尚(1550~1577在任)の時代のこと、学生が読めない文字に出合った際、紙に書き込んで松の枝につけておくと、それを和尚が見てふり仮名・注釈を付けてくれたのだそうだ。
なんだか文通のような、奥ゆかしい世界だったんですね。
「歴代庠主の墓」庠主制は23代・約430年間に渡り続いた

敷地の西側にある「歴代庠主の墓所」。
17基ある墓のうち文字が刻まれている8基の主は判明しており、残り9基は不明とのこと。
足利学校は明治時代には藩校になりますが、庠主制はそれまでの約430年間続き23代にも渡りました。
足利学校の長い歴史を刻んできた、歴代庠主の方々に合掌。
「遺跡図書館」貴重書籍と郷土資料の展示

「遺跡図書館」は足利学校廃校後に、貴重図書の管理をおこなう目的で開設されました。現在の建物は大正時代のもの。
書籍の閲覧のほか郷土資料の展示もおこなわれており、見学することができます。
【記事の参考にした情報】
・足利市ホームページ「史跡足利学校」 足利市
・足利市ホームページ「史跡足利学校企画展 豊臣秀次と閑室元佶(三要)」 足利市
・日本最古の学校 国指定史跡「足利学校」(史跡足利学校事務所発行)
室町幕府初代将軍・足利尊氏を真田広之が演じ、高視聴率で話題を呼んだ伝説の大河ドラマ!
関東の強力なパワーを持った神社を、その位置関係から紐解くなど読み応えのある本。
関東周辺に沢山の素晴らしい神社があることに改めて驚きますね。写真も綺麗!
アクセス・周辺スポット情報
足利学校のアクセス情報
足利学校
公式ページ
住所:栃木県足利市昌平町2338(GoogleMapで開く)
参観料:一般 420円、高校生 220円
受付時間:
・4月~9月:9:00~16:30
・10月~3月:9:00~16:00
アクセス:
電車)
・JR両毛線「足利駅」から徒歩約10分
・東武伊勢崎線「足利市駅」から徒歩約10分
車)
・北関道自動車道「足利IC」から約15分
・境内無料駐車場50台
足利市市内の移動情報
市内を循環する足利市路線バス「あしバスアッシー」が利用できます。
主な観光スポットの最寄りバス停:鑁阿寺「大日西門」、足利学校「足利学校東」、織姫神社「通5丁目」、あしかがフラワーパーク「あしかがフラワーパーク駅入口」など
足利市のあしバスアッシーのページ
足利市へのアクセス方法
足利市へのアクセス
電車)
・東武鉄道「浅草駅」から東武伊勢崎線の特急りょうもう号利用で約70分乗車。「足利市駅」下車(乗り換えなし)。
・JR「上野駅」から東北新幹線又は宇都宮線で「小山駅」下車、両毛線に乗り換えて小山駅から約40分、「足利駅」下車。
・JR「高崎駅」から両毛線乗車にて約60分、「足利駅」下車
車)
・北関東自動車道「足利IC」から市内まで約10分。
周辺の立寄り情報(観光・グルメ)
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鑁阿寺(足利氏宅跡)
足利市は足利氏発祥の地とされ、足利氏2代目の義兼が建てた鑁阿寺には、鎌倉時代の本堂が残っており国宝指定されています。史跡・足利氏宅跡でもあり、日本100名城の一つに数えられます。
足利学校の直ぐ近隣にあるので、併せて必ず立寄りたいスポット。
公式ページ
住所:栃木県足利市家富町2220(GoogleMapで開く)
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足利織姫神社
街を一望する高台に鎮座する、鮮やかな朱色の社殿がとても美しい神社。縁結びの御利益を頂け、恋人の聖地としても知られます。さらに、珍しい七色の鳥居にも出会えますよ。
足利学校からは約1km程の場所。
公式ページ
住所:栃木県足利市西宮町3889番(GoogleMapで開く)
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あしかがフラワーパーク
広大な敷地を持つ花のテーマパーク。パークのシンボルである大藤と白藤のトンネルが楽しめる春の大藤まつりを中心に、四季折々の花が楽しめます。
足利学校からの距離は約10km、車で約20分程。電車の場合、JR足利駅から両毛線で一駅。
公式ページ
住所:栃木県足利市迫間町607(GoogleMapで開く)
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【めん割烹】 なか川
足利学校から徒歩すぐの場所にある、風情ある蕎麦の名店です。
書家・相田みつをが通い詰めた店として知られており、店内には彼の作品も飾られています。学問の府・足利学校の後に「言葉」の重みを感じながら蕎麦をいただけるのは、非常に贅沢な体験です。
公式ページ
住所:栃木県足利市通2丁目2659(GoogleMapで開く)
【釜飯】銀釜
昭和初期創業の、足利を代表する釜飯の老舗です。
注文を受けてから一釜ずつ炊き上げる釜飯は絶品で、かつて足利の織物産業が栄えた時代の賑わいを想像させるような、落ち着いた昭和レトロな空間が魅力。
公式ページ
住所:栃木県足利市通2丁目2627(GoogleMapで開く)
【カフェ】プラザ ハマダ(カフェ・ラボ・ハマダ)
大正時代の建物を活かした、レトロモダンな雰囲気漂うカフェ。
店内には懐かしいレコードが流れ、足利の文化的な奥深さを感じさせます。こだわりのコーヒーを飲みながら、ザビエルを驚かせた「坂東の大学」の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
公式ページ
住所:栃木県足利市通2丁目12-11(GoogleMapで開く)
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足利学校に出かけてみませんか?
かつてフランシスコ・ザビエルが世界にその名を轟かせ、徳川家康が激動の時代に守り抜こうとした「足利学校」。ここは単なる教育の跡地ではなく、日本の知性の源流ともいえる場所です。
復元された方丈の縁側に座って庭園を眺めていると、戦国を生き抜いた軍師たちの熱気が伝わってくるような気がしました。この学び舎を訪ねる旅は、きっとあなたの歴史観をより豊かにしてくれるはず。
次の週末は、知のロマンを求めて足利の街を歩いてみませんか?

記事の訪問日:2022/8/19



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