埼玉県春日部市に鎮座する春日部八幡神社。
地域の鎮守として親しまれている神社ですが、その境内には、春日部の歴史を知るうえで興味深い手掛かりが残されています。
鎌倉・鶴岡八幡宮とのつながりを持つ八幡信仰、南北朝時代の武士・春日部氏の館跡と伝わる境内、さらに珍しい河畔砂丘「浜川戸砂丘」など、見どころは社殿だけではありません。
江戸時代の粕壁宿や日光街道との関わりにも触れながら、春日部八幡神社を起点に、古代から近世へ続く春日部の歴史を歩いてみます。
目次
春日部八幡神社とは?春日部の総鎮守を訪ねる
鎌倉街道中道の支道沿いにあったと伝わる神社

埼玉県春日部市粕壁に鎮座する「春日部八幡神社」は、春日部の総鎮守として親しまれてきた神社です。
東武スカイツリーライン・春日部駅からは徒歩約15分、東武アーバンパークライン・八木崎駅からは徒歩約5分の場所。
周辺は市街地ですが、境内には緑豊かな社叢が広がっており、境内は落ち着いた雰囲気に包まれています。

境内で参拝するその前に、春日部八幡神社の歴史的な立地について少しご紹介。
春日部八幡神社の前を通る道は、かつての下総国から武蔵国へ向かう道筋で、鎌倉街道中道の支道であったといわれています。
※鎌倉時代の古利根川の東側にあたる春日部市内は、下総国に属していた。
鎌倉街道は、鎌倉幕府の成立後に鎌倉と各地を結んだ主要道路網で、上道・中道・下道の幹線を中心に成り立っていたもの。
交通の要所に鎮座していた春日部八幡神社は、昔より多くの人が行き交う場所にあったといえます。
中世に始まり、粕壁宿とともに発展した春日部八幡神社の歴史
新方荘總社|鳥居の額が伝える中世の歴史

参道を歩く際は、その入口に立つ「一の鳥居」の扁額に注目してみたい。
額には「新方荘總社(にいがたそうじゃしゃ)」とあり、かつて新方領四十余郷を治めた領主の守護神社だった時代の面影を残しているもの。
現在の春日部市に至る、地域社会の歴史を知るうえでの貴重な掛かりの一つとなっています。
江戸時代には日光街道「粕壁宿」とともに発展
江戸時代になると、春日部には日光街道の江戸から4番目の宿場町「粕壁宿」が設置されます。

鳥居脇の狛犬
江戸から9里2町(約35.6km)の距離にあった粕壁宿は、江戸からの旅人がちょうど一日に歩き通せるほどの距離にありました。
そのため、多くの旅人が1泊目の宿泊をする宿場として栄え、日光街道の中でも比較大きな宿場町へと発展していったんですね。
宿場町の成長とともに、古くから春日部一帯の鎮守であった春日部八幡神社も発展。
天保11年(1840年)頃の氏子の数は3,615人とされ、その範囲は現在の久喜市・杉戸町・白岡町・宮代町などを含む52ヵ村に及び、広域にわたって崇敬を集めてた特徴がありました。
\ 日光街道 粕壁宿についての詳細は、こちら!/
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鎌倉時代に春日部氏が創建した八幡さまを参拝
かつて春日部氏の館があったと伝わる境内
南北朝時代、当地を「春日部重行(かすかべしげゆき)」という武将が治めていました。
春日部氏は鎌倉幕府の御家人を務めてい家系で、重行は鎌倉の鶴岡八幡宮を篤く崇敬してたといいます。

元弘年間(1330年年代)に、重行は鶴岡八幡宮を遥拝するために、自身の館内に鶴岡八幡宮を勧請して八幡神社を創建。これが春日部八幡神社の始まりと伝わるもの。
中世の武士の信仰心の篤さが伝わってくる起源ですね。
現在の境内の一部も春日部氏の館跡地だったといわれており、その箇所の詳細は不詳ではあるものの、特に社殿周囲を歩くと、「なるほどな」と思わせる特徴的な起伏のある地形を感じとれます。
八幡様として武運や必勝の信仰を集めてきた

春日部八幡神社の御祭神は、誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神天皇)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)、武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)、豊受姫命(とようけひめのみこと)の四柱。
古くから、安産、長寿、家内安全、必勝の神として、地域の信仰を集めてきました。

また、武家との関わりが深い八幡神社として、武運や必勝の神としても崇敬されてきた。

社殿は拝殿と本殿を幣殿でつなぐ権現造りの様式。
昭和57年(1982年)に大修造がおこなわれたもの、と案内板にありましたが、元々の建立年代についての詳細はわかりませんでした。

社殿脇に飾られていた十二支の絵馬。
当年以外の干支の絵馬も揃って見られるのって、案外珍しい気がした。
春日部八幡神社の歴史に出会えるスポットを歩く
奥の宮|かつての旧社殿を再現

社殿の真後ろにあるのは「奥の宮」。

かつてこちらには、桃山時代の建築とされた旧本殿が保存されていました。
市内最古の建造物でもあったのですが、残念ながら平成7年(1995年)の不審火により焼失。
翌年に旧社殿を模した建物が再建され、奥の宮とされました。
焼失はとても残念ですが、かつての旧本殿の様式が見られるのはありがたい。
都鳥の碑|粕壁宿の文化的な豊かさを示す史跡
参道入口脇に立つ「都鳥の碑」は、嘉永6年(1853年)に日光街道・粕壁宿の名主であった関根孝熈氏が、京都在住だった貴族・千種有功(ちぐさありこと)に撰文を依頼して作った奉納品。

石碑は、平安時代の歌人・在原業平(ありわら の なりひら)が奥州に旅をした際、武蔵国・下総国境の隅田川の渡しで詠んだ歌が記されたもの。
この辺りが奥州への通路だったため、関連故事として残されました。
春日部八幡宮と粕壁宿の繋がりとともに、粕壁宿と京都の貴族との間に交流があったことを示す、文化史的な価値を持っています。
御神木|鶴岡八幡宮から飛来した!?樹齢700年の古木

参道の「二の鳥居」を抜けた先が社殿エリアですが、真正面に立っていたのが巨大な銀杏の大木。
参道から社殿が遮られているこの光景は、ちょっと不思議。

境内側から見るとこんな感じ。

樹齢約700年といわれるこの大銀杏には、伝承話があります。
鎌倉時代、鎌倉の鶴岡八幡宮の御神木の一枝が飛来してきた。それが一夜にして成長し、参詣人を驚かせたというもの。
春日部重行の信心深さが、鎌倉の八幡宮に届いたということでしょうかね。
なぜ春日部に砂丘が?春日部稲荷神社と浜川戸砂丘を歩く
春日部稲荷神社|春日部八幡神社より古い境内社

春日部八幡神社とは別の参道入口のある「春日部稲荷神社」は、とりわけ特別感のある境内社。
1100年程前の創建と伝わり、春日部八幡神社よりも長い歴史を持つといわれています。

春日部稲荷大明神とも呼ばれ、穀物・食物の神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀ります。
浜川戸砂丘|県天然記念物に指定されている、河畔砂丘群の一つ

その稲荷神社境内の一部は、「中川低地の河畔砂丘群・浜川戸砂丘」として県の天然記念物に指定されており、砂の様子や周囲との高低差を観察することができます。
えっ?こんな所に砂丘なんてあるの?って感じですよね。
これは群馬県の榛名山や浅間山の火山灰に由来する大量の砂が、平安~室町時代に発生した季節風によって吹き溜まった、内陸性の砂丘なんだそうだ。
歴史ある神社を訪ねたところ、実は貴重な地形も観察できる――これが春日部八幡神社の面白いところでもあります。
春日部の浅間山!? 江戸時代の「富士塚」に登ってみよう

春日部稲荷神社の南側にポツンと立っている鳥居があり、鳥居の先の道が小山へと続いている。

実はこれ、「富士塚」と呼ばれる人工的に造られたミニチュア富士山なんですね。
道の左手には、古い石碑が点在しています。
富士塚とは?
■江戸時代に、古代より崇高な山であった富士山への信仰登山が盛んとなった。しかし江戸から富士山までは、当時は相当の時間と費用が掛かりました。
■そこでできたのが、お金を集め代表者を選び祈願を託す「富士講」の仕組み。富士講は江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」と言われるほど、江戸で爆発的に流行りました。
■そんな富士講と結びついて広まったのが富士塚で、富士山を模して人工的に築造されたミニ富士です。
富士山に実際に行けない人々がそこで登山をし、その御利益を頂くというものでした。

富士塚は高さ82m・周囲200mにおよぶもの。
春日部市には多くの富士塚が残っていますが、これはこの辺りでは最も大きな富士塚とのこと。
さっそく登り始めると、すぐに5合目を通過。

割と傾斜があり、思いのほか急階段だった。ミニ富士といえども侮ってはいけませんね。
登り切ると、頂上に開けた空間が現れました。

「不弐大神」の石碑があるだけで、祠などはなかった。
木々が茂っており周囲の眺望は望めませんでしたが、その昔には本物の富士山も望めたことでしょう。
案内板によると、弘化2年(1845年)の修復工事がおこなわれた際には、粕壁宿をはじめ幸手領や岩槻領からも大勢の信者が集まったとのこと。
この小さな山には、江戸時代の人々の富士山への憧憬が詰まっていたことを感じました。
春日部八幡神社の御朱印

とても立派な書体のものを直書きで頂けました。
【記事の参考にした情報】
・春日部八幡神社の公式サイト
・文化遺産オンライン「中川低地の河畔砂丘群 浜川戸砂丘」 文化庁
神社に参拝に行くと、神々についてや神社施設の呼び名・役割について知りたいけど、聞ける相手もいない!
ってことありません?そんな時、網羅範囲が広い本書は結構頼もしいですよ!
関東の強力なパワーを持った神社を、その位置関係から紐解くなど読み応えのある本。
関東周辺に沢山の素晴らしい神社があることに改めて驚きますね。写真も綺麗!
春日部八幡神社の詳細情報・アクセス
春日部八幡神社
公式サイト
住所:埼玉県春日部市粕壁5597(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武スカイツリーライン「春日部駅」より徒歩15分
・東武アーバンパークライン「八木崎駅」より徒歩5分
車)
・駐車場約25台分あり
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春日部八幡神社から、春日部の歴史を歩いてみよう
春日部八幡神社は、地域の人々から信仰を集めてきた神社であると同時に、春日部の歴史をたどる散策のスタート地点としても興味深い場所です。
春日部氏の館跡と伝わる境内を歩き、浜川戸砂丘という独特の地形を眺め、さらに粕壁宿や日光街道へ足を延ばせば、中世から江戸時代へと移り変わってきた土地の姿が見えてきます。
次の休日は、春日部の街に残る歴史を探しながら、ゆっくり歩きに出かけませんか。
記事の訪問日:2022/3/6




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