普段、何気なく利用している飯田橋や市ヶ谷、四ツ谷の駅。
実はその足元には、かつて徳川幕府が築いた世界最大級の城郭「江戸城」の巨大な防衛システムが眠っていることをご存知ですか。
今回スポットを当てるのは、徳川3代将軍・家光の時代に完成した「江戸城外堀」です。
全長約14kmにおよぶこの巨大な堀は、単なる防御壁ではありません。そこには、諸大名の力を削ぎ、幕府の権威を盤石にするための高度な政治戦略と、当時の最先端土木技術が凝縮されていました。
本記事では牛込門から虎ノ門まで、今なお都心に力強く残る石垣遺構や見附(門)の跡を紹介。
普段見慣れている都心の景観も、古地図などと対比つつ歩くと、景色が違って見えてきますよ!
目次
外堀は「巨大な城塞」だった――江戸三十六見附による防御線
徳川家康が築いた江戸城の基盤
江戸城とその城下町の基盤を築いたのは徳川家康です。

江戸城跡の富士見櫓
天正18年(1590年)に入封した当時は、湿地帯だった江戸。
家康は神田山を切り崩して土地を造成し、日比谷入江を埋め立てて城下町の土台を造り上げます。
慶長8年(1603年)に江戸幕府を開き全国統一の実権を握ると、諸大名を動員する天下普請(てんかぶしん)により、江戸城の二の丸・三の丸の整備と石垣を築造。
慶長12年(1607年)には、本丸に天守を完成させています。
家光はなぜ江戸城に「外堀」を必要としたのか?
江戸城の城郭整備は、その後も徳川2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の代にわたり続きました。
その整備の中心となったのが、城下町外周への外堀の敷設です。

外堀敷設は秀忠の時代から始まり、家光が天下普請でおこなった寛永13年(1636年)の工事で完成に至ります。なんと、完成には約30年の年月が掛けられているんですね。
なぜそこまでして、江戸城には外堀が必要だったのでしょうか?
実は外堀構築には軍事・政治・都市計画という、3つの高度な戦略が重なり合っていました。
家光の江戸城外堀構築の目的
【軍事面】江戸を「難攻不落の要塞」にする
家光の時代、幕府は依然として西国大名や残党への警戒を解いていませんでした。
防衛ラインの確立:江戸全体を巨大な「総構え(そうがまえ)」に収めることにより、外敵を城下町の手前で食い止める。
「見附」による徹底検問:堀の門に見附と呼ばれる番所を設置し、人や物の流入を厳格に管理。
【政治面】天下普請による「大名の無力化」
これが家光の最も狡猾で強力な狙い。
経済的負担の強要:工事は全国の諸大名に手伝わせる「天下普請」で実施。資金と労働力を差し出させ、幕府に反抗する軍事力を枯渇させる。
忠誠心テストと権威付け:期限内に無理難題に応えさせることで、将軍家の絶対的な権威を知らしめる。
【都市計画面】水運インフラと延焼防止
当時の江戸は、世界最大の過密都市へと急成長していました。
物流ルートへの活用:軍事的な要害であると共に、物資を運ぶ「運河」としても利用。船が城下に物資を運び、経済を支える大動脈となる。
火除地としての機能:火災が多かった江戸において、延焼を食い止める防火帯としても期待。
上記により外堀は「守るための壁」としてのみならず、「支配するためのシステム」でもあったわけです。
江戸城内外を防御した「三十六の見附」
さて、本日の江戸城外堀歩きと見附跡めぐりは飯田橋駅から。

駅の西口には初めて降りましたが、駅前には江戸城外堀に関する解説パネルがあるほか、石垣石の展示まであるんですね。
へえ~、って感じで、まさに外堀歩きをスタートするのにうってつけの場所だった。

まずは「江戸城外堀跡 散策案内図」で、外堀の概要と見附の配置を確認。
江戸城外堀は現在の北の丸公園の東側にあたる雉子橋(きじばし)門から始まり、時計回りで”の”の字を描くように一橋門・神田橋門・常盤橋門などの諸門をめぐる。
そして呉服橋門から虎ノ門へ繋がったのち、四谷門・市谷門・牛込門を経て現在の神田川に入り、さらに小石川門から浅草門を経て隅田川へと繋がって、最後は江戸湾(現東京湾)に至ります。
外堀に囲まれた外郭の外周は約16km。それは中央区と千代田区が丸々入る広さといえば、その広大さがお分かり頂けるでしょう。
そして江戸城の内堀・外堀には、三十六の主要な見附があったといわれています。
【牛込見附跡】一対で残る城門跡が当時の枡形門を語る
切込み接ぎ・打込み接ぎ混合で組上げた門台
飯田駅を出るといきなり目に飛び込んでくるのが、こちらの巨大な石垣。

都心の駅前に、こんな立派な石垣がドド~ンと残っていたなんて、ちょと衝撃的だった。
これは三十六見附の一つ「牛込見附」の遺構で、牛込門が乗っていた石垣跡です。
見張り番所が置かれた見附には、譜代大名や旗本などが交代で詰め、通行人の監視・武器搬入の制限・不審者の取り締まりなどが厳しくおこなわれました。

石垣にガブリ寄ってみた。こちらは裏面(城内側)にあたります。
門台の4隅は、直方体に加工した石を短辺と長辺を交互に組み上げた「算木積み(さんぎづみ)」で固められている。
一方、中央部は「打込み接ぎ(うちこみはぎ)」によるもの。
これは石の角や面をある程度平たく整形して積み上げた後、隙間に間詰石(あいづめいし)と呼ばれる小石を打ち込んで固定させる方法。
正面側は、石を整形して隙間なく積む「切込み接ぎ(きりこみはぎ)」で見栄えが重視されていますが、表から見えない部分は効率的に仕上げられているようです。
高麗門と渡櫓門で構成された「枡形門」だった

通りを挟んだ反対側にも、草に覆われて少し分かりづらいのだが、同様な門台の石垣が残っています。
この一対の門台の上に、かつては高麗門が架けられていました。
高麗門を抜けた先には、石垣や塀で囲われた四角い空間(=枡形)があったため「枡形門(ますがたもん)」と呼ばれました。
枡形内は直進ができない構造となっており、侵入者の勢いを止め、包囲して横矢や銃で狙い撃ちすることができます。
直角に曲がった先には、さらに巨大な渡櫓門が待ち構えていました。
枡形門は、江戸城の多くの城門で採用された形式です。
浮世絵に描かれた牛込見附の姿

2つの門台は、牛込濠に架かる牛込橋を渡った先にあります。緑に覆われた箇所がそれです。

広重『牛込神楽坂之図』. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1306169 (参照 2026-04-30)
この牛込門を神楽坂から見た景観が、歌川広重の浮世絵に描かれています。
訪問の際には神楽坂に登って、かつての情景に重ね合わせてみるもの一考です。
江戸時代の牛込・神楽坂周辺は、江戸城の北西を守る広大な武家屋敷街でした。
特に神楽坂の急坂を上った先には、大老・酒井忠勝の下屋敷(小浜藩)などの有力大名や旗本の邸宅が建ち並んだ。
一方、18世紀末に神楽坂の坂下に善國寺が移転してくると、門前町としての賑わいも加わってきました。
「阿波守内銘の石垣石」天下普請による築造の証

牛込見附跡前にある交番脇には、「阿波守内(あわのかみうち)銘の石垣石」が展示されているので見逃しに注意。
門の基礎として使われていた石垣石ですが、”阿波守内”の銘文が刻まれており、阿波徳島藩の藩主・蜂須賀忠英(はちすかただてる)が工事を担当したことを裏付けるもの。
複数の藩が工事にあたる中、石に藩の印をマーキングするのは良く聞きますが、名前を彫っちゃうパターンもあったのですね。

牛込橋から望んだ牛込濠。
JR総武線・中央線の車窓からは見慣れた風景ですが、これ、川じゃなくて人工的に掘削された堀なんだよな、と思いつつ眺めると改めて驚かされる。
【市ヶ谷見附】地下鉄構内で石垣の仕組みを学ぶ!?
「外濠公園」散策路として蘇った土塁跡
飯田橋から市ヶ谷方面に向かって、牛込濠の外側にある外堀通りを歩きます。

改めて見るとけっこう綺麗に残っているのが、外堀の内側にある土塁。
これはちょっと電車の中からは分かりませんね。

外濠公園
途中から新見附橋(しんみつけばし)を渡って、その土塁の方へ行ってみた。
土塁跡は法政大学・市ヶ谷キャンパスの入口付近から北に向かって、「外濠公園」という遊歩道として整備されていました。
続いているのは桜並木で、花見スポットとしても人気の場所なんだそうだ。
木陰があるので、晴天の暑い日にはこちらが歩きやすそう。一方、堀側にも木があるため、外堀自体はあまり見通せませんでした。
石垣は美作津山藩・森長継が築造
外濠公園は500m程続き、堀の先にJR市ヶ谷駅が見えてくると一旦終点を迎えます。

終点地点にある市ヶ谷門の橋台の石の一部と案内板が、かつてこの辺りに市ヶ谷見附が存在したことを示しています。
市ヶ谷門を築造したのは、現、岡山県の美作津山(みまさかつやま)藩藩主・森長継(もりながつぐ)。ちなみに門は明治時代に撤去されました。
市ヶ谷は尾張徳川家の屋敷があった武家地

外堀の外側から、市ヶ谷濠に架かる市ヶ谷橋を望みます。道路の右手にあるのはJR市ヶ谷。
この橋のたもとに、かつて市ヶ谷門がありました。

景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』市ヶ谷牛込絵図,尾張屋清七,
嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館デジタルコレクション
江戸時代の古地図で、当時の周辺の様子を見てみましょう。
左手の青い部分が市ヶ谷濠で、そこに架かる市ヶ谷橋も確認できます。
その橋の手前に「尾張殿」と記された広大な敷地に目がゆきますが、これは徳川御三家の一つ、尾張徳川家の上屋敷です。
市ヶ谷は尾張徳川家以外にも旗本・御家人などの屋敷が密集した武家地で、軍事上の要衝地でした。
ちなみに尾張徳川家の屋敷地跡は現在は防衛省となっており、今も防衛に関する重要拠点といえます。
見逃がし注意!市ヶ谷橋下に眠る石垣

都市化された市ヶ谷周辺には、残念ながら江戸時代の面影は無さそう。。。と思うのはまだ早い!
実はこの市ヶ谷橋の下には、土橋を支えていた江戸時代の石垣が今も残っているんですよ。

草に覆われているので確認しづらいですが、こんな感じの石垣がずっと続いている。まさに街中に隠れた遺構だ。
「江戸歴史散歩コーナー」地下鉄駅構内に石垣出現!

もう一ヶ所、市ヶ谷で立ち寄りたいのが、地下鉄南北線・市ヶ谷駅内にある「江戸歴史散歩コーナー」です。
駅構内に大きな石垣が忽然と現れますが、これは実際に出土された石材で石垣を再現したもの。
地下鉄のトンネルを掘ってたら、石垣が出てきた!そんな雰囲気で展示されているのがユニークだ。
石垣の断面が見えるので、その構造を知ることができるのが特徴。
長い形状の石垣石が使われていることや、内部に裏込石と呼ばれる小さな石が詰まっている様子が分かる。
石垣内部に水が溜まると、石垣は崩れやすくなります。そこで裏込石を入れると、あら不思議、水捌け効果を発揮して石垣の耐久性を高めます。

矢穴
実際の石垣石をサンプルにした、石を割る工程の解説もあった。
石垣石の切り出し方
■割りやすいように、石の目にそって石切ノミで矢穴を掘る。
■次に矢穴に矢と呼ばれる楔(くさび)と、その両側にせりがねと呼ばれる薄い鉄板を差し込む。そして玄翁(げんのう)で矢を叩いて割る。
という具合。
一個ずつ手作業で切り出すのが、いかに大変な作業であったかは想像に難しくないですよね。

外堀普請時の大名の配置図などのパネルにもあり、ここはなかなか興味深いスポットでした。
江戸歴史散歩コーナーは改札内にあるのですが、空いている時間帯だったので、駅員さんにお願いして切符無しでちょこっと見学させて頂けました。
石垣の時期ごとの加工方法や積み方の特徴、そして各曲輪の石垣の丁寧な解説あり。
読めば、さらに興味深く江戸城跡歩きができますね。
【四谷見附跡】石垣は西国の大名たちにより築造
甲州街道沿いの要所だった四谷見附
引き続き外堀跡沿いを歩き、隣の四ツ谷駅へ。ちなみに市ヶ谷濠以降の外堀は埋められています。

こうして見ると、一見して四ツ谷駅の駅舎とホームが谷底にあるのがわかりますよね。
そう、四ツ谷駅は外堀の一つ、「真田濠」を埋め立てて造った駅なんですね。
真田濠はその名の通り上田藩主・真田信之らが開削した堀。
真田信之といえば真田昌幸の長男、真田信繁(幸村)の兄として知られ、真田ファミリーを描いた大河ドラマ「真田丸」で胸アツになったことを思い出します。
現在の真田濠跡は北半分が四ツ谷駅、南半分が上智大学のグラウンドとして使用されています。

そして駅北口には、四谷見附門の一部である「四谷門枡形石垣」が残ります。
四谷門桝形石垣は、寛永13年(1636年)に萩藩主・毛利秀就(ひでなり)によって築造されました。
門は高麗門と渡櫓門からなる枡形門でしたが、残っているのは高麗門北面の一部にあたるもの。
今は交差点になっていますが、かつてはここに、物々しい防御施設がそびえ立っていたわけです。
甲州街道沿いにあった当時の四谷見附は、町人や物資が行き交う交通の要所でした。
外堀普請では”堀方7組・石垣方6組”を編成

駅舎の脇には、四谷門の石材の展示があった。
案内板によると四谷門を担当した肥後国熊本藩・細川家は、計13,452もの石を江戸に運び入れたそうだ。
いやはや、もの凄い数の石が遠方から海を越えてやってきたのですね。
寛永13年の外堀築造の工事がおこなわれた際、大名は「堀方7組と石垣方6組」に編成されました。
堀方7組と石垣方6組の編成について
■関東・奥羽の大名52家を編成した「堀方7組」:牛込土橋から赤坂土橋にかけての、外堀掘削と土塁の構築を担当。
■西国・四国大名62家を編成した「石垣方6組」:江戸城西方の外堀の総石垣化と、枡形築造を担当。
石垣構築が発達していた西国の大名の技術が、惜しみなく注ぎ込まれたというわけです。
【赤坂見附跡】谷に挟まれた地形にある、特徴的な縄張り
大山詣りの起点として賑わった赤坂見附

四ツ谷から地下鉄で赤坂見附駅へ移動。青山通り沿いに150m程歩いた場所にある赤坂見附の「赤坂御門跡」にやってきました。
近くにはいい塩梅の歩道橋があり、そこから全体が俯瞰できますよ。

赤坂御門は寛永13年(1636年) に筑前福岡藩主・黒田忠之により石垣が造られ、寛永16年に御門普請奉行であった加藤正置・小川安則が完成させたもの。
石垣は切込接ぎによって隙間なく積まれています。

赤坂見附も枡形門で、石垣に囲まれた箇所がちょうど枡形部分にあたるとのこと。左手側に高麗門があり、右手側に渡櫓門がありました。
江戸時代、江戸庶民の間で大山阿夫利神社(現神奈川県)への「大山詣り」が流行りましたが、赤坂見附は参拝道である大山道の起点にあたり、大いに賑わったといいます。
こんな所に石垣鑑賞スポットが!?東京ガーデンテラスの散策デッキ
さて、江戸時代の赤坂見附周辺はどんなエリアだったのでしょうか?次の古地図を見て下さい。

景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』外桜田永田町絵図,
尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館デジタルコレクション
地図中央部の下の方に赤坂見附(赤坂御門)がありますが、その直ぐ左手に「紀伊殿」とあります。
これは徳川御三家の一つである紀伊徳川家の上屋敷です。
その近隣には尾張徳川家の中屋敷や、彦根藩・井伊家の中屋敷もあったため、明治時代になるとそれらの頭文字を取って「紀尾井町」という町名が付きました。地名に歴史アリですね。

では、現在の紀伊徳川家の屋敷跡には何があるのか?というと、そこには地上36階建てのタワーを有する大型複合施設、「東京ガーデンテラス紀尾井町」があります。
意外なのですが、実はこの施設内に赤坂御門跡のビユーポイントがある、ということで立ち寄ってみました。

それは中庭から一段下がった所に設けられている、こちらの石垣見学用の散策デッキです。

展望デッキからは、先程の赤坂御門跡を背後から見上げることができる。これはなかなかの眺望だ。
外堀の築造においては自然の地形が巧みに利用されましたが、赤坂御門も弁慶濠と赤坂溜池の谷に挟まれた特徴的な斜面地に築かれたもの。
高さ約15mに高積みされた堅牢な石垣に、目を見張ります。

石垣には工事をおこなった黒田家家紋・銭紋の刻印が多く見られるので、見学の際には是非探してみてください。
散策デッキの開放は、10時~21時までです。
【虎ノ門見附跡】官庁街の地下に眠る遺構
虎ノ門は外郭の南端に位置した「防衛の要衝」

ビルが立ち並ぶ官庁街にも見附跡の痕跡が残っているらしい、ということで地下鉄で虎ノ門駅へ移動。
駅のすぐ近くにある、こちらの旧文部省庁舎へ。
風格漂うこの建物は、霞が関の現存庁舎の中でも法務省旧本館に次ぐ古いもの。

中庭に入り、何やら「一段下がった妙な造りの空間」があると思ったら、それが石垣の展示コーナーだった。
へえー、なかなか都心ならではの遺構の残し方ですね。

かつてこの周辺には虎ノ門見附がありましたが、この石垣は虎ノ門に続いて外堀沿いに築かれた高さ約9mの石垣の一部とのこと。
石垣石の表面は、鉄のノミで化粧が施された「はつり仕上げ」となっています。
石垣は岡山藩・池田家が組頭を務めて敷設されました。

『〔江戸勝景〕 虎之門外之図』,川正.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1308377 (参照 2026-05-02)
浮世絵「虎之門外之図」には、左手奥に虎ノ門見附の一部が、それに連なる石垣上に大名屋敷の長屋が描かれています。
ここで描かれている石垣の一部が、まさに目の前に展示されている石垣ではないかな。
虎ノ門エリアは、江戸城外郭の南端に位置する「軍事・防衛の要衝」。江戸市中から東海道などへとつながる交通の拠点で警備も厳しく、周辺には有力大名の屋敷が配置された。
現在の霞ヶ関~虎ノ門にかけての官庁街としての骨格も、当時の整然とした武家地の区割りが引き継がれたものといえます。
江戸城外堀跡(文部科学省旧本館)
住所:東京都千代田区霞が関3丁目2−2 中央合同庁舎第7号館旧文部省庁舎(GoogleMapで開く)
「外堀跡地下展示室」堀底から見学?ユニークな地下展示室
周囲にはもう一ヶ所、虎ノ門見附に関連する遺構があります。

それが地上にニョキっと突き出たこちらの石垣ですが、実はこれ、地下からも見学ができるらしい。
どれどれという感じで、虎ノ門駅の11番出口から地下に潜り込みます。
地下展示室は少し入り口がわかりにくいので、構内の案内板等に注意して探してみましょう。

こちらの不思議な雰囲気の空間が、駅の一角にある「江戸城外堀跡地下展示室」。外堀工事の技術的な説明や、発掘調査に関する資料が展示されています。
解説パネルからは、家光による外堀築造がいかに過酷で大規模な工事だったか、これがヒシヒシと伝わってきます。なにせ重機などない時代だったわけですからね。。。

そして先程地上からも見えた石垣が、ガラス越しに見えてきます。
ぱっと見、水族館の巨大水槽でも眺めているような印象を受けましたが、実はここ、水堀の中からの視点になっているんですね。ユニークな視点からの鑑賞スポットだ。
石垣石には、工事を担当した豊後佐伯藩・毛利家の、矢筈(やはず)の家紋の刻印が多く見られます。
江戸城外堀跡 地下展示室
住所:東京都千代田区霞が関3丁目2 中央合同庁舎第7号館(GoogleMapで開く)
*東京メトロ「虎ノ門駅」11番出口前
【記事の参考にした情報】
・千代田区観光協会「江戸城外堀跡(国指定外堀跡)」 千代田区観光協会
・千代田区観光協会「牛込見附跡」 千代田区観光協会
・千代田区の文化財「四谷見附」 千代田区立日比谷図書文化館4階 文化財事務室
・千代田区観光協会「赤坂見附跡」 千代田区観光協会
・千代田区観光協会「江戸城外堀跡(地下展示室)」 千代田区観光協会
・「古地図で歩く 江戸・東京 ぶらり今昔歴史探訪ガイド」江戸楽編集部著(メイツ出版)
江戸城外堀・見附はこう巡ろう!(散策の参考情報)
外堀の見附跡を一日でめぐるモデルルート
各見附跡を一日でめぐる場合の、参考モデルルートとタイムラインを下記に挙げてみましたので、参考にしてみて下さい。
牛込見附跡から四谷見附跡までは外堀沿いに徒歩で、赤坂見附・虎ノ門見附へは地下鉄利用を想定したコースです。
9:00~9:45 牛込見附跡 ⇒(徒歩:約1.5km・約20分) ⇒ 10:05~10:50 市ヶ谷見附(市ヶ谷橋・江戸歴史散歩コーナー) ⇒(徒歩:約1km・約15分)⇒ 11:05~11:50 四谷見附跡 ⇒ (ランチ60分 / 地下鉄:四ツ谷→赤坂見附2分)⇒ 13:00~14:00 赤坂見附(赤坂御門・散策デッキ)⇒(地下鉄:赤坂見附→虎ノ門 3分)⇒ 14:30~15:15 虎ノ門見附跡(旧文部省庁舎・外堀跡地下展示室)
メモ
・外堀沿いは自動販売機などが周囲にない箇所もあるので、飲み物などを事前に用意することをおすすめします。また、日影がない場所もあるので、夏場は日傘等の日射病対策をした方が良いかもしれません。
・外堀沿いや官庁街などは飲食店の少ないエリアもあるので、食事をする場所の当たりを事前に付けておくのが良いと感じました。
参考書籍
下記の書籍が江戸時代当時の町をイメージするのに役に立ちました。是非、手に取ってみてください。
古地図と現代地図を見比べながら 江戸のなりたちを巡りませんか?
歴史好きならば、東京の街歩きが楽しくなる一冊!
江戸時代に歌川広重が描いた名所江戸百景を、現在の写真や地図と対比して解説したガイドブック。
東京歩きが楽しくなる1冊!
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
外堀めぐりの休憩・ランチスポット紹介
江戸城外堀歩きの立寄りにおすすめの、カフェ・ランチスポットを紹介。休憩場所に迷ったらチェックしてみて下さい。
【飯田橋・レストラン】CANAL CAFE
牛込見附跡のすぐそば、外堀(牛込濠)にせり出すように位置する歴史ある水上レストラン。1918年創業のボート場をルーツに持ち、江戸城の濠を最も間近に感じられる場所です。
水面を眺めながらデッキサイドでコーヒーやジェラートを。春にはお堀沿いの桜並木が圧巻。
公式ページ
住所:東京都新宿区神楽坂1丁目9(GoogleMapで開く)
飯田橋周辺のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
【市ヶ谷・カフェ】PASSAGE COFFEE ICHIGAYA
市ヶ谷見附から外堀通りを少し進んだ場所にあり、散策の合間に本格的なコーヒーを楽しめます。
公式ページ
住所:東京都新宿区市谷田町2丁目7-15 市ヶ谷クロスプレイス 1階(GoogleMapで開く)
市ヶ谷周辺のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
【四谷・カフェ】comodo cafe 迎賓館赤坂離宮
四ツ谷見附跡のすぐ近く、迎賓館赤坂離宮の前庭にある休憩所内のカフェ。江戸の軍事拠点だった見附と、近代日本の迎賓施設が交差するエリアならではの雰囲気が味わえます。
住所:東京都新宿区四谷1丁目12-11(GoogleMapで開く)
四ツ谷周辺のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
【赤坂(紀尾井町)・レストラン】GARB CENTRAL
赤坂見附跡のすぐ近く、東京ガーデンテラス紀尾井町にある開放的なビストロ。外堀の石垣を見上げた後に、モダンな空間で食事を楽しめます。
公式ページ
住所:東京都千代田区紀尾井町1-3 東京ガーデンテラス 1F(GoogleMapで開く)
赤坂周辺のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
【虎ノ門・レストラン】カフェダイニング 茶楓 by 温故知新
虎ノ門見附からもほど近い、菊池寛実記念 智美術館に併設された隠れ家カフェ。都会の喧騒を忘れさせる静かな庭を眺めながら、和のエッセンスを取り入れた料理が楽しめます。
公式ページ
住所:東京都港区虎ノ門4丁目1-35 智美術館 1階(GoogleMapで開く)
虎ノ門周辺のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
さらに周辺の旧江戸城跡をめぐるコース
江戸城跡を感じさせるスポットは他にもっとありますよ!色々歩いてみませんか?
皇居東御苑
事前の予約なしで気軽に皇居内の旧江戸城跡の見学ができるのが、皇居東御苑。かつての本丸~三の丸だったエリアを歩く事ができます。
巨大な石垣や番所に圧倒されますが、最大の見どころは本丸の巨大な天守台石垣跡。
住所:東京都千代田区千代田1-1(GoogleMapで開く) *Mapは大手門
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日比谷公園(日比谷見附跡)
日比谷公園は、江戸時代には大名屋敷があった場所。現在も日比谷見附にあった日比谷門の遺構が残っています。
公園内では多くの石垣石に出会える旧江戸城の面影を残すスポット。
住所:東京都千代田区日比谷公園1-6(GoogleMapで開く)
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江戸城外堀の見附跡を歩いてみませんか?
牛込から虎ノ門まで、外堀の広大な遺構を辿ってきました。
巨大な石垣の一角に残された大名たちの「刻印」や、敵を迎え撃つために計算し尽くされた「桝形」の構造。それらは、400年以上の時を経た今もなお、この場所が徳川幕府の心臓部であったことを無言で語りかけてきます。
高層ビルが立ち並ぶ東京の風景も、その成り立ちを知れば、全く違った輪郭を見せてくれますよ。ぜひ実際に歩いてみて、そのスケール感を肌で感じてみてください。
当ブログでは他にも気軽にめぐれる首都圏の歴史スポットを多く紹介していますので、気になる場所を探してみてください。

記事の訪問日:2023/5/3




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