江戸日本橋から2番目の宿場町として栄えた草加宿。現在も旧日光街道沿いには、草加松原や札場河岸、公園、寺社など、宿場町の面影をたどれる史跡が点在しています。
さらに松尾芭蕉『おくのほそ道』ゆかりの地としても知られるなど、歴史好きや街歩き好きに人気の散策スポットです。
この記事では、江戸時代の旅人の目線で草加宿を歩きながら、見どころや歴史を詳しく紹介します。
目次
草加宿の成立は?江戸近郷の宿場として繁栄した歴史
草加市。東京都に隣接した、名物”草加せんべい”で知られる街

草加駅東口駅前
草加市は埼玉県の南東部に位置する、県内6位の人口を有する市です。
南側は東京都足立区に隣接しており、浅草駅からだと東武鉄道のスカイツリーラインの直通で25分程でアクセスできるなど、交通の便の良さからベッドタウンとして発展しています、
今回は電車での訪問でしたが、草加駅前にドン!と建つ商業ビルが、利便性の良さそうな街の雰囲気を感じさせる。

草加市といって思い浮かぶものは?と問われれば、私はやはり「草加せんべいで有名な街」と答えますね。
本日も駅前のベンチに誰か座っている、と思って見てみたら、せんべいを頬張る女の子の像だった!
最初は人が座っていると思ったので、ちょっとビックリ。いや、マジで(苦笑)。
本日は草加の街を歴史散策して、せんべい以外の草加の魅力を沢山持って帰りたいと思いますよ。
草加市歴史民俗資料館|草加の歴史を学べる駅チカのスポット
草加宿のあった旧日光街道に向かう前に、ちょっと寄り道。
駅から歩いて5分程の立寄りやすい場所にある「草加市歴史民俗資料館」は、草加の歴史の予備知識をインプットするのにおすすめのスポットです。

資料館が入っている重厚な建物は、草加小学校の西校舎として大正15年(1926年)に建てられた歴史的建造物で、国登録有形文化財に指定されています。
埼玉県初の鉄筋コンクリート造りの校舎で、造営の3年前に発生した関東大震災の教訓により、耐震・耐火構造を備えた校舎として建設されたもの。
昭和54年度(1979年)に校舎としての利用が終わった後は、歴史民俗資料館として活用されています。
これは建物だけでも一見の価値がありますね。
千住宿と越ヶ谷宿を結んだ、草加宿の成り立ちとは?
資料館の展示物の中には、最盛期(江戸時代中期~後期)頃の草加宿を再現した、1/1000のジオラマ模型がありました。

最盛期の草加宿の1/1000のジオラマ模型(草加市立歴史民俗資料館)
日光街道における全盛期の草加宿は千住・越ヶ谷・幸手に次ぐ規模を誇りましたが、宿場の成立時期は若干他の宿場町よりも遅かったようです。
草加宿の成り立ち
■草加宿ができる前は、千住宿の次の宿場町は越ヶ谷宿でしたが、その間には沼地が多く大きく迂回する必要がありました。
慶長11年(1606年)、これを大川図書(ずしょ)という人物が沼を埋め立てし、真っ直な新道を開発。これが草加宿の基礎となる。
■元和3年(1617年)に徳川家康の墓所が久能山(現、静岡市)から日光山へと改葬されると、日光街道は日光参詣などによる交通量が増加。そのため、千住宿・越ヶ谷宿の中間に宿駅設置願いが出された。
■寛永7年(1630年)、千住・越ヶ谷間の間の宿として、九か村組合宿による草加宿が誕生。幕府の伝馬制度の公認により、日光街道第2の宿駅が誕生しました。
交通量増加に伴い、後から追加で整備された宿場だったようです。
草加市歴史民俗資料館
公式サイト
住所:埼玉県草加市住吉1-11-29(GoogleMapで開く)
入場料:無料
開館時間:9:00~16:30
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
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宿場町の面影を探して、日光街道「草加宿」を街道歩き
国登録有形文化財「藤城家住宅」|昭和・明治の蔵造り店舗が伝える宿場の面影
草加駅東口から真っすぐ5分程歩くと、かつて草加宿があった旧日光街道にぶつかります。
当時の草加宿の長さは約1.5km。江戸方面の宿場の起点はここから500mほど南側で、現在の草加市役所前あたりだったようだ。

旧街道を北に向かって歩きだすと目に入ってくるのが、歴史を感じさせる古い商家の建物「藤城家」。
通りに面した住宅店舗は木造二階建て、切妻造桟瓦葺で、正面に下屋が設けられている。
軒は太い腕木で桁を持出した出桁造りで、商家らしい風格が感じられるたたずまいです。

住宅店舗の後方には母屋と繋がった土蔵造りの内蔵が続き、その横に明治初期に築造された外蔵が並ぶという、奥に長い敷地なのが特徴です。
宿場町では通りの間口の広さが宿場税の基準となる場合が多かったので、このような短冊状の地割りは宿場町時代の名残りといえます。
宿場町の面影を今に伝える藤城家の建造物は、国有形文化財に指定されています。
建物は現在も使用されているため、内部の一般公開はされていません。
大川本陣・清水本陣跡|東北諸藩の大名も休息した宿場中心地を歩く
天保14年(1843年)頃の調査によると、最盛期の宿場の規模は以下のとおりでした。
草加宿の全盛期の規模
■本陣・脇本陣各1軒、旅籠屋67軒 (大2・中30・小35)
■民家は723軒で人口は3,619人。
■常備された人馬は、伝馬人足50人・駅馬50頭
これは城下町(宇都宮・古河など)にある宿場をのぞけば、日光街道では千住・越ヶ谷・幸手に次ぐ規模のもの。

一方、開宿当時の草加宿は小規模で、戸数は84戸で旅籠屋は5~6軒程度、伝馬人足25人・駅馬25頭だったという。店舗は数軒あった程度で、あとはすべて農家だったらしい。
開宿後に目覚ましい発展を見せた、ということですね。
現在は住宅街にある旧街道ですが、宿場町の要所だった場所に立つ石碑などで、宿場時代の記憶をたどることができます。
藤城家から200m程歩いた所にあったのが「大川本陣跡碑」。
大川本陣は宝暦年間(1751年~1764年)に置かれた本陣で、草加宿の祖とされる大川図書の家系によって営まれました。

道を挟んで立つのは宝暦年間~明治時代まで本陣を担った「清水本陣」の跡碑で、このあたりが宿場の中心部だった場所です。
両本陣には参勤交代における道中の宿泊地として、東北諸藩の大名が多く立寄った。
会津藩の松平容頌(かたのぶ)、仙台藩の伊達綱村(つなむら)、盛岡藩の南部利視(としみ)、米沢藩の上杉治憲(はるのり)などの宿泊記録が残ります。
草加では明治3年(1870年)に大火が発生しており、その際に宿場内の85%が被災を受け、450軒程の家屋が焼失。そのため草加宿にあった江戸時代の建物は、残念ながらほとんど残っていません。
おせん茶屋公園|かつて宿場の司令塔・問屋場があった場所
本陣跡碑の近くには、茶屋風の休憩所のある「おせん茶屋公園」がありますが、この辺りはかつて「問屋場(といやば)」があった場所。

宿場町というと本陣などに目がゆきがちですが、人馬継ぎ立て業務をおこなった問屋場は、宿場町における司令塔のような存在。本陣とともに非常に重要な存在でした。
ここは、明治以降になると草加警察署や町役場などが建てられた場所でもあり、複数の歴史が交差するおせん茶屋公園は、草加市の歴史を振り返ることができるスポットです。
草加宿を見守ってきた神社を巡る
東福寺|草加宿の祖・大川図書ゆかりの寺。江戸後期の木彫彫刻に注目

おせん茶屋公園があるあたりから、旧街道を少し外れて路地に入ったところにある「東福寺」へ。
ここは慶長11年(1606年)に大川図書が創建した寺で、境内には大川図書の場所があります。

東福寺には江戸時代後期に建てられた本堂・山門・鐘楼が残っており、それぞれ市有形文化財に指定されています。大火を免れた江戸時代の建築物が残っているのは貴重!
元治2年(1865年)の銘が残る門に施されている彫刻は、柔らかい繊細なタッチのもので見応えがあります。

大川図書という人物は、戦国時代には土本氏を名乗る小田原北条氏(後北条氏)に仕えた武士だったといいます。
豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅んだ後は浪人となり、岩槻城主・太田備中守のもとにいたりもしたとのこと。
やがて草加の松江(草加宿より東側の綾瀬川沿いの地域)近辺に移り住み、草加宿や東福寺の建設に尽力するに至りました。

鐘楼も手が込んだ造りで、木鼻の獅子をはじめとした凝った彫刻が施されています。彫刻にはかつて彩色されていたであろう痕跡もうかがえます。
こちらも文久2年(1862年)の刻銘が残る、時代が明記された貴重な建造物です。
神明神社|草加宿の北の玄関口にある総鎮守

再び旧日光街道に戻って北に進むと、県道と合流する交差点の手前に「神明神社」が現れる。
元和元年(1615年)に創建された神社で、正徳3年(1713年)に宿の総鎮守として現在地に移転されました。
この神明神社のあたりが、かつての草加宿の北側終点。
宿場の出入口は宿場内の保安への配慮により、意図的にクランクを設けて見通しを悪くさせたり、枡形口を設けるなど、警備のための工夫がされていました。
この神社の前に設けられている急カーブの道にも、宿場町の出入り口らしいロケーションを感じさせます。
さらにここには、夜間には閉じられる木戸が立っていたことでしょう。
「札場河岸公園」舟運で栄えた草加の歴史に触れる
「おせん公園」名物・草加せんべい発祥の歴史とは?
新明神社の先を進むと県道に合流しますが、その手前にある「おせん公園」なる小さな公園には、「草加せんべい発祥の地」の碑がありました。

「草加せんべい発祥の地」の石碑
石碑が”せんべい形”なのはすぐにピンとくると思いますが、その背後の棒状の石碑は何だと思います?
これ、せんべいを焼く箸の形なんですって。こちらはマニアック過ぎて、ちょっと分かりづらいですね(苦笑)。
公園には草加せんべいのルーツも紹介されていました。どれどれ。。。
草加せんべいの起源
日光街道の草加松原にあった茶屋では、おせんさんが作る団子が評判だった。
おせんさんは団子が残ると捨てていたが、それを見た侍が「つぶして乾かし、焼餅として売っては?」と提案。おせんさんがそれを作り売りだしたところ大評判で、日光街道の名物となったそうだ。
なるほど。
素朴な疑問も色々と湧いてはきましたが。。。、街道沿いの立地を生かし、道中保存が効く携帯食として人気を得たようですね。

おせん公園の向かいの広場には、松尾芭蕉と共に「おくのほそ道紀行」の旅路で草加の町を歩いた芭蕉の門人、「河合曾良(かわいそら)の像」がありました。
どうやら先を行く芭蕉に、何か声を掛けているようですね。では、その芭蕉を探しに向かってみましょう。
札場河岸跡|街道と舟運が交わう地で、草加宿発展の歴史に触れる
草加の散策には旧宿場町歩きに加え、綾瀬川沿いに整備されている「札場河岸(ふだばかし)公園」と「おくのほそ道の風景地 草加松原」を歩く楽しみがあります。

おせん公園の向かいには札場河岸(ふだばかし)公園がありますが、その入口に架かるレトロな雰囲気の橋が、歴史散策の気分を盛り立ててくれます。

かつての綾瀬川は草加と江戸をむすぶ重要な運河とされ、多くの舟が行き交いました。
札場河岸公園は、そんな綾瀬川で活躍した船着き場を再現した公園です。
札場河岸と綾瀬川の舟運
江戸時代中期以降の草加・越ヶ谷・粕壁などの綾瀬川流域の各所には、穀物等の集散地となる河岸が設置され舟運が発達しました。
札場河岸は野口甚左衛門家の私河岸で、元々は甚左衛門河岸と呼ばれていたもの。
野口甚左衛門は現在のおせん公園のあたりに住んでいたが、そこに高札場が設置されるようになったため「札場」の屋号で呼ばれるようになったとのこと。
草加宿の発展の背景には舟運を利用した、江戸の台所を支える物資の集積所としての発達があったわけです。
望楼|螺旋式の階段が付いた、凝った造りのランドマーク

札場河岸公園のランドマークとなっているのが、こちらの五角形の立派な望楼(ぼうろう)。建物は平成に建てられたものです。

この建物、こだわりのある、けっこう凝った造りのものなんですよ。
建築材には埼玉県産のスギ・ヒノキが使われており、建物内に続く螺旋式の階段には思わず「おおっ!」と唸らされます。
建物物内部は9時~17時まで見学可です。

少し息を切らしつつ登った、高さ約11mの頂上階からの展望。
川沿い続く木は桜並木なので、桜の季節にはここから絶景が拝めそうですね。

こちらは公園の一角にある、県指定文化財「甚左衛門堰(じんざえもんぜき)」。
綾瀬川と伝右川の用水量を調整するための施設で、明治27年(1894年)から昭和58年(1983年)までの約90年間使用されたとのこと。
江戸時代と明治時代の河川史跡が同居する札場河岸公園は、草加が川の町であることを感じられるスポットです。
「国名勝・草加松原」松並木を歩き江戸時代の旅人気分を味わう
おくのほそ道紀行で草加に立寄った、松尾芭蕉と河合曾良の軌跡

公園北側には、先程の河合曾良像のある方角を振り返っている松尾芭蕉像が立っていました。
元禄2年(1689年)、松尾芭蕉は弟子の河合曾良とともに「おくのほそ道」の旅に出た。
江戸深川から舟で千住宿へ渡り、日光街道を北上。宿泊地であったこの先の粕壁宿(現、埼玉県春日部市)に向かう途中に、草加の地に歩みを残しています。
松尾芭蕉「おくの細道紀行」について
松尾芭蕉の「おくの細道」の旅は、江戸から東北・北陸を経て岐阜・大垣へ至る約150日間・距離約6百里(約2千4百km)に及ぶ長旅でした。
「おくの細道」は芭蕉の紀行文としては最も長編、そして内容的にも総決算的な意義を持つ作品となっています。
150日間に及ぶ旅って凄いですよね。
像は「おくのほそ道」旅立ち300年を記念して、昭和64年(1989年)に市民有志によって製作されたもの。
\ 芭蕉が「おくのほそ道」紀行に旅立った千住宿については、こちら!/
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国名勝地・草加松原|江戸時代の松並木を約1.5kmにわたり再現

矢立橋から
そして札場河岸公園の北側の綾瀬川岸沿いには、「草加松原」と呼ばれる松並木の道が、約1.5kmにわたって続いています。
これは江戸時代より街道の名所として知られた松原を再現したもので、「おくのほそ道の風景地 草加松原」として国の名勝に指定されています。
三保の松原(静岡県)など、松原というと海辺のイメージが思い浮かびますが、海なし県の埼玉にもこんな風光明媚な松原があるんですよ!これは意外と知られていないのでは。
矢立橋・百体橋|風情を感じさせる2つの和風の太鼓橋
草加松原にアクセントを添えているのが、2つの大きな太鼓橋。
コンクリート製の陸橋なのですが、木橋風のデザインは雰囲気たっぷりです。

矢立橋
こちらは「矢立橋(やたてばし)」で、その名は芭蕉のおくのほそ道の句から名付けられたもの。

百体橋
もう一つの「百体橋」の名も、おくのほそ道の有名な句から命名されたもの。
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」
松並木の本数634本は、東京スカイツリーの高さにちなむ

草加松原の松並木ですが、残念ながら江戸時代からずっと残っているものではないんですね。
草加松原の歴史
明治時代に806本あった松は、戦後になると車の排気ガスや道路舗装で本数が減少。
現在の松並木は、平成24年(2012年)に地元関係者や市・県の整備による努力で復活されたもので、東京スカイツリーの高さにちなむ、634本の松並木が植えられました。
植林の本数をスカイツリーの高さに合わせるあたりが、東武鉄道沿線の街らしいところ。

松尾芭蕉文学碑
百代橋のたもとにある「松尾芭蕉文学碑」。
松尾芭蕉をテーマに整備されている草加松原は、歴史と自然を感じつつ歩ける、気持ちの良い散策路ですよ。
国登録文化財・久野家住宅店舗(旧草加宿神明庵)|観光案内所で御宿場印を記念に購入しよう!

令和3年(2021年)の訪問時はこちらの建物で観光案内所「草加宿神明庵」が運営されていましたが、令和4年(2022年)3月21日をもって閉館されました。観光案内や御宿場印の販売機能は下記に移っています。
草加宿芭蕉庵
公式サイト
住所:埼玉県草加市神明2丁目5番1号(GoogleMapで開く)
新明神社の少し手前にある「久野家住宅店舗」は、江戸時代末期(1830~1868年頃)に建てられた商家の建物です。
建物は真壁造の2階建て、切妻造桟瓦葺。2階の軒先が出桁造りとなっており、1階部の下屋部分は半分が戸口で、半分が格子造りとなっている。
リニューアルされたこの建物は、無料休憩所を兼ねた観光案内所「草加宿神明庵」として利用されています(現在は閉館)。

観光案内は市民ボランティアの方々によって運営されており、実にアットホームな雰囲気。
お茶をごちそうになり、ちょっと一息。 2階はギャラリーになっていました。

こちらでは「御宿場印」を購入。
訪問の記念となる御宿場印を集めながら歩けば、宿場町歩きはさらに楽しくなりますよ!
\ 日光街道の御宿場印の詳細については、こちらの記事へ!/
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草加宿街歩きマップ・ 草加へのアクセス、立寄りどころ
草加宿街歩きマップ・ 草加へのアクセス

宿場町歩きマップ(日光街道埼玉六宿まち歩きパンフより抜粋)
草加へのアクセス
電車)*最寄り駅は東武「浅草駅」
・東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)「浅草駅」から「草加駅」まで約25分
・東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)・東京メトロ日比谷線「上野駅」から「草加駅」まで約25分
車)
・首都高速「八潮南IC」から草加市街まで約5キロ
・東京外環自動車道「草加IC」から草加市街まで約3キロ
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老舗のせんべい屋を訪ねる

名物とあって、草加市には約40店ものせんべい屋があります。
昔ながらのせんべいを売る店、ちょっと変わり種のせんべいを売る店、手作り体験のできる店など、一口にせんべい屋といってもバリエーションに富んでおり、のぞいてみると楽しいですよ!
草加せんべいの紹介ページ(草加市)
(写真の店)
元祖源兵衛せんべい
住所:埼玉県草加市神明1丁目2-26(GoogleMapで開く)
蔵カフェ 中屋

150年前の染料問屋の倉庫だった蔵を、リノベーションして営業している人気のカフェ・レストラン。
草加宿歩きの際にも立ち寄りやすい場所にあり、雰囲気もバッチリ。
公式サイト
住所:埼玉県草加市住吉1-1-1(GoogleMapで開く)
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草加神社
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街道沿いの史跡を一つひとつ訪ねながら、「ここを江戸時代の旅人も歩いたのだろうか」と想像してみるのも、歴史散策の楽しみの一つ。
次の休日には、草加せんべいを味わいながら、江戸の面影を探す小さな旅に出かけてみませんか。

記事の訪問日:2021/2/28(一部、2021/6/30)、2026年8月に一部情報更新




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