埼玉県吉見町にある古刹・息障院がある場所には、鎌倉時代、源頼朝の異母弟だった源範頼の屋敷があったと伝わります。
現在の「御所」という地名も、一帯が「吉見御所」と呼ばれた当時の名残。また、屋敷の周囲にあったとされる空堀の跡が残り、かつての屋敷の面影を感じさせます。
そんな源範頼館跡とされる息障院をめぐりながら、NHK大河ドラマ・鎌倉殿の13人でも取り上げられた、源範頼という人物について紐解いてゆきます。
目次
息障院は「伝範頼館跡」と呼ばれる屋敷跡
源範頼館の面影を残す空堀
令和4年(2022年)のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝や執権・北条義時を中心に、幕府成立に至る戦いや政権内部の権力争いが三谷幸喜氏の脚本によって描かれています。
物語の舞台の中心が関東のため、関東人にとっては登場人物のゆかり地を実際にめぐってみる楽しみがあったりするんですよね。
ということで今回は、埼玉県吉見町にある息障院が、源頼朝の異母弟である源範頼の屋敷がかつてあった地、ということで訪問してみました。
木々に囲まれた静かな場所にある息障院は真言宗智山派の寺院で、「岩殿山 息障院光明寺」が正式名称です。
入口前に立つ石碑には「県指定重要文化財・本尊不動明王坐像」「室町時代重要建築物・地蔵堂一宇」とともに、「県指定史跡・源範頼館跡(みなもとの のりより)」の銘記がありましたよ。
正面左手には館の痕跡だといわれる空堀の跡がありました。
当時は周囲の四方がこのような空堀で囲われていた、といわれています。深さももっとあったんでしょうね。
館の主とされるのは、鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟である源範頼(みなもとの のりより)です。
源範頼(1147年?-1193年?)
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄。
遠江国蒲御厨(かばのみくりや)(現・静岡県浜松市)で生まれ育ったため、蒲冠者(かばのかじゃ)・蒲殿(かばどの)とも呼ばれました。母は遊女だったと伝わります。
幼少期の経歴詳細は不明ですが、頼朝が挙兵した治承・寿永の乱に呼応して出陣。以後、源氏方の有力な武将として重用されました。
(主な略歴)
■寿永3年(1184年):一ノ谷の戦いにおいては兄・頼朝の命を受け、源義経とともに大将軍に任ぜられ出陣。正面から平氏本陣を攻める役を担い、義経の奇襲と呼応して大勝利を収めた。
■元暦2年(1185年):屋島合戦や壇ノ浦の戦いにも参加。特に西国での範頼の軍事行動は、平氏追討の大きな原動力となり頼朝からも厚く信頼される。
■平氏滅亡後は鎮西奉行として九州に下向し、治安の維持と御家人統制に尽力。武威と統率力を発揮し、現地での支配基盤を築いた。
■建久4年(1193年):源頼朝より謀反の嫌疑をかけられ、伊豆に伊豆へ流罪となる。その後、修善寺で自害、または誅殺されたと伝わる。
武勇に優れ頼朝にも信頼されましたが、最後は悲劇的な展開を迎えた武将として記憶されています。
頼朝と範頼の父である源義朝は、平治元年(1160年)の平治の乱で平清盛に討たれます。その際に兄である源頼朝は伊豆に流されました。
一方、源範頼は武蔵国の比企氏の庇護を受けて、吉見町の安楽寺に身を隠したと伝わります。
頼朝が鎌倉幕府を立ち上がった後も、源範頼は現在息障院があるこの地に館を構えて居住しました。吉見の居心地が良かったんですかね。
この一帯の住所が「御所」であるのは、当時の屋敷が吉見御所と呼ばれていた名残だといわれています。
\ 安楽寺の詳細についてはこちらの記事を参照!/
山門の精巧な彫刻は必見!
入口に建つ山門ですが、梁の周囲に細やかな素木の彫刻がビッチリと施されており、思わず目を奪われました。
築造年代に関する情報はありませんでしたが、室町時代か江戸時代のものですかね。
中国の僧を描いたものだと思いますが、柔らかいタッチで精巧に描かれています。
こちらは孔雀ですね。右手の花ともども、立体感を感じます。
こちらは内部からも透かし彫りが施こされる、籠彫と呼ばれる技法のものですね。
本尊は県内最古の不動明王坐像
山門を抜けると石畳みが続いており、その先にあるのが本堂です。
息障院の歴史は古く、天平年中(730年頃)に行基が開創したとも、大同年中(806年頃)に坂上田村麻呂の開祖したともいわれています。
元々の所在は1km程離れた安楽寺の近くで、それが室町時代に源範頼の館跡である当地に移転してきたとのことです。
戦国時代から江戸時代にかけて迎えた最盛期には末寺は120寺に上ったといい、安楽寺と共に一帯の大寺院を形成してました。
ただし、戦国時代には近隣の武蔵松山城で起きた合戦の戦火を受けており、安楽寺ともども、昔よりの伽藍の多くは焼失しました。現在残っている建物の多くは、江戸時代以降のものです。
\ 武蔵松山城の詳細についてはこちら!/
息障院の本尊である「木造不動明王坐像」は12世紀頃に中央仏師が作ったもので、県内最古の不動明王として県指定有形文化財となっています。
中央仏師とは、平安時代中期以降に朝廷や寺院に仕えた仏師のことです。
もう一点、室町時代に製作されたとされる「絹本着色両界曼荼羅」があり、やはり県有形文化財となっています。
本堂の右手手前に時代を感じさせる鐘楼が建っていましたが、築造年代は不詳でした。
源範頼は流罪となり悲劇的な最期を迎えた
香炉には源氏の代表的な家紋である、笹竜胆(ささりんどう)の紋
再び源範頼の話に戻りますが、範頼は征夷大将軍となった源頼朝に忠実に仕えていましたが、最期は悲劇的な末路を迎えます。
その発端は、頼朝も参加した建久4年(1193年)の富士の巻狩りの際に起きた「曽我兄弟の仇討ち」。
仇討ちに巻き込まれて「源頼朝討死」、この誤報が鎌倉に伝わりました。
これを聞き悲嘆にくれた頼朝の妻・北条政子に対して、留守を預かっていた範頼は「私がおります」と慰めの言葉を掛けた。後日、これを野心と受け取った頼朝より、なんと謀反を疑われてしまいます。
範頼は起請文を捧げ忠誠を誓いますが、「源」と署名したことを頼朝が恐れ多いとし溝が深まります。
さらに範頼の家人が様子を伺うために頼朝の寝所に侵入。これが決定的となり、範頼は伊豆へと流罪になりました。
本堂の脇の弘法大師(空海)の銅像
流刑された後の範頼は伊豆で謀殺された、もしくは自害した、というのが定説です。
しかし具体的な記録はないため「越前へ落ち延びて生きていた」、あるいは「吉見観音に隠れて住んでいた」という説もあります。
源範頼は源頼朝の兄弟というネームバリューがあった割には、弟の源義経とは対照的に不詳な部分が多く、その末路を含め歴史上ミステリアスな部分が多い存在だったといえます。
範頼の子孫はこの地で吉見氏を名乗った
境内社の天満宮
源範頼の没後もその子である範圓(はんえん)・源昭(げんしょう)は助命され、5代に渡りこの館跡に居住したといわれます。
なお範圓の子である為頼以降は、吉見を名字として名乗っています。
「地蔵堂」室町時代の重要建造物
入口の石柱に銘記のあった室町時代の重要建造物が、こちらの「地蔵堂」のようである。
戦国時代の戦火を逃れた貴重な建造物、ということになりますね。
建物は装飾などもない質素な感じの造りでした。
宝篋印塔
地蔵堂の裏手には、江戸時代の年代が刻まれている供養塔が並んでいました。
息障院は静けさに包まれた感じの寺院でした。
時代を感じさせる建物もありましたが、それに関連する情報もあまり多くはありませんでした。
息障院光明寺の詳細情報・アクセス
息障院光明寺
住所:埼玉県比企郡吉見町大字御所146-1(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武東上線「東松山駅」よりタクシー約15分
・東武東上線「東松山駅」(東口)より、川越観光バスの鴻巣免許センター線乗車約12分、「久保田」バス停下車、徒歩約30分
・JR高崎線「鴻巣駅」よりタクシー約20分
・東武東上線「鴻巣駅」(西口)より、川越観光バスの鴻巣免許センター線乗車約13分、「久保田」バス停下車、徒歩約30分
・川越観光自働車のページにて路線バスの時刻表が見れます。
車)
・関越自動車道東松山ICより15~20分程度
・駐車場あり
三谷幸喜脚本の鎌倉幕府を中心とした、権力争いをテーマにした大河ドラマ。
ドロドロとした駆け引き渦巻く人間ドラマを描いた快作!
周辺おすすめスポット(岩殿山 安楽寺ほか)
~近隣スポット~
岩殿山 安楽寺
源範頼が幼少期に身を隠したのがこちらといわれる。
江戸時代には、息障院ともに大寺院を構成していたという。
約1.5kmの近隣にあるので、こちらも是非立ち寄ってみたいスポット。
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吉見百穴
住所:埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324(GoogleMapで開く)
※バスによる移動:「久保田」(息障院最寄りバス停)から、最寄りの「百穴入口」までの乗車時間は約7分
岩室観音堂
吉見百穴の向かいにある観音堂。
懸造りと呼ばれる建築物で、崖にもたせかけて造られたその様相にはビックリ!
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~お土産・休憩処~
名代 四方吉うどん
食事処で迷ったらこちらへ。
息障院から約1.2kmの近隣にある、人気のうどんや「四方吉(よもきち)」。
太くコシが強い麺を、アツアツのつけ汁で頂くのが武蔵野うどんスタイル。
一番人気の「肉汁うどん」を頂く。ボリュームもあり満腹!
土日ともなると混み合いますが、お店の回転は良い方です。
道の駅 いちごの里よしみ
農産物の直販所や、お土産屋などがある。
名産の吉見産の苺を使った加工品もあります。
道の駅 いちごの里よしみ
公式ページ
住所:埼玉県比企郡吉見町大字久保田1737番地(GoogleMapで開く)
・※バスによる移動:「久保田」(息障院最寄りバス停)から、最寄りの「よしみの里」までの乗車時間は約5分
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息障院光明寺にでかけてみませんか?
範頼館跡と伝わる息障院をめぐってみました。
館があったのはなにぶんにも800年以上の昔の話で記録も少ないですが、いにしえの歴史ロマンを感じることができるスポットでした。
近隣には源範頼が一時期身を隠していたと伝わる安楽寺もあるので、訪問の際には併せての立ち寄りがオススメです。
記事の訪問日:2023/7/2

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