かつて関東の西門であった小田原城は、西国大名に対する江戸防衛のための重要拠点として代々譜代大名が城主を務めました。
徳川将軍が京の都へ上洛する際に宿泊所として使用された、という点でも重要な城でした。
現在の小田原城跡は復元天守などが建つ「小田原城址公園」として整備されており、幕末当時の城郭の様子が再現されています。
そんな小田原城址公園の見どころを、小田原城の歴史を振り返りながら紹介します。
目次
「小田原城跡」北条時代と徳川時代の城の歴史を振り返る
約100年間、関東一円を支配した小田原北条氏

学橋
小田原駅から1km程の場所にある「小田原城址公園」は、駅から散策がてら歩いて向かうには丁度良い感じの距離にあります。
最初に見えてきたのが水堀と、そこに架かる朱塗で雰囲気のある学橋(まなびばし)。そしての背後には隅櫓もチラっと見えてきました。
小田原城があった地は、元々は鎌倉幕府御家人である土肥氏の館だった場所だと伝わります。
城としての創始は室町時代の武将・大森氏とされますが、それを奪ったのが小田原北条氏です。
小田原北条氏と小田原城
戦国時代、小田原城を拠点としていたのは北条早雲(伊勢宗瑞)を祖とする小田原北条氏で、早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の5代で、約100年間にわたり関東一円に勢力を築きました。
早雲は伊豆の平定後に相模へ進出し、下剋上によりその基礎を固めました。
次の2代目・北条氏綱の時代には小田原城を中心とした支配体制が確立されて、城下町の整備や領国支配が本格化されてゆきます。
小田原城は代を重ねるごとに拡張され、最終的には城下町全体を全長約9kmの堀と土塁で囲む「総構」が完成。
上杉謙信や武田信玄といった名将の猛攻を退けた実績から、「難攻不落」として知られる堅城でした。
しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐により小田原北条氏は滅亡しました。
※北条氏の呼び名について
本来の氏は「北条」ですが、鎌倉幕府の執権・北条氏と区別するため、一般的に”小田原北条氏”または”後北条氏”と呼ばれています。
「小田原城址公園」江戸時代末期の小田原城を再現

小田原北条氏の滅亡後は徳川家康の家臣が城主となり、城の近代化が進められました。
小田原北条氏滅亡以降の小田原城の歴史概要
■徳川家配下時代
天正18年(1590年):小田原北条氏が滅亡すると、徳川家康の家臣の大久保忠世が入城。
慶長19年(1614年):大久保忠隣改易、小田原城破却。
元和5年(1619年):阿部正次が入城。
寛永9年(1632年):稲葉正勝が入城、近代化工事が進められる。
寛永10年(1633年):寛永地震により小田原城・城下町に甚大な被害。
延宝3年(1675年):この頃、稲葉正則による小田原城近世化の改修が完了する。
貞享3年(1686年):大久保忠朝(忠隣の子孫)が入城。
元禄16年(1703年):元禄地震により天守など崩壊・焼失。
宝永3年(1706年):天守再建。
■明治3年(1870年):小田原城廃城、天守などが売却され解体される。
最初に徳川家康の腹心だった大久保忠世が入り、小田原藩を起しました。
その後も幕藩を支える譜代大名の居城となったことから、幕府にとって重要視された城だったことが伝わってきますよね。

復元された隅櫓
現在はかつての本丸・二の丸エリアが「小田原城址公園」として整備されており、外観復元された天守や門を中心に江戸末期の小田原城が再現されています。
公園は国指定史跡であるとともに、約300本のソメイヨシノが咲く桜をはじめ、あじさいや花菖蒲が楽しめる花の名所でもあるなど、市民の憩いの場として親しまているスポットです。
天守内の見学などの一部有料施設もありますが、入園自体は無料。
歴史が詰まった公園を、気軽な散歩コースとして歩ける地元の方々が実に羨ましいですねえ。
「馬出門」公園の正面入口にある枡形門

馬出門
堀沿いに南へ進むと、正面入口にあたる「馬出門(うまだしもん)」が見えてきました。
小田原城の縄張りは西側の隅に本丸が置かれ、それを包み込む様に二の丸を配置。
さらに二の丸の外側を囲むように三の丸が配置された、「梯郭式平山城」と呼ばれる造りです。
現在は三の丸跡は市街地化されており、学校やイベントホールなどの施設が建てられています。

では馬出門から入場してみましょう。
こちらは発掘調査を元に、平成に石垣及び門と土塀が復元されたものです。
二の丸の正面にあたる馬出門は、主郭への出入りを監視する重要な役割の門でした。
ちなみに城の正面入口となる大手口は三の丸にあり、現在は街中に大手門跡の石垣が残っています。

では敵兵になったつもりで、馬出門から勢い良くだーっつ!と攻め込んでみました。すると前方には土塀があり行き止まりだ。
さらに塀には狭間と呼ばれる小窓があり、そこから鉄砲と矢で狙われているようじゃないですか!

ということで、振り返った門の全景がこちら。
左手の高麗門が入ってきた門で、右手が城内に繋がる内冠木門(うちかぶきもん)です。
これは枡形門(ますがたもん)と呼ばれるもので、2つの門の周囲を土塀等で固めた四角い空間(=枡形)に侵入者を閉じ込め、前方や脇から攻撃するという防御の仕組みです。
この先々にある門においても、この枡形門が取り入れられています。
「馬屋曲輪」徳川家光の上洛時に整備された曲輪

馬出門を抜けた先は「馬屋曲輪(うまやくるわ)」と呼ばれる曲輪。
右手の水堀越しに、二の丸へ通じる住吉橋と銅門(あかがねもん)が見えてきましたね。
ここも直進ではなく”コの字”を描きながら、銅門に向かう形状となっています。

徳川3代将軍・家光が寛永11年(1634年)に上洛した際、宿所にしたのが小田原城。
その時に、馬屋曲輪には将軍が訪問する際の馬屋や、従者が控えるための「大腰掛」と呼ばれる建物が建てられました。
東海道の道中にあった小田原城は、徳川将軍が京都へ向かう際の宿泊・休息地として利用され、将軍家と関係性が深い城でした。
また、箱根の険を背後に控えた”関東の西門”として、西国大名に対する江戸防衛の最大の拠点でした。

馬屋曲輪南東隅には、復元された「二重櫓(やぐら)の櫓台跡」がありました。
元々は寛永20年(1643年)に2階建ての二重櫓が建てられましたが、元禄16年(1703年)に発生した元禄地震で倒壊。
その後に再建された櫓は明治時代に取り壊され、さらに櫓台も埋め立てられてしまいました。
これが平成21年(2009年)・平成22年(2010年)の発掘調査で櫓台の石垣が出現。石を補填したうえで積み直して復元したものとのこと。
元禄地震
元禄16年(1703年)に相模トラフで発生した、推定M8.2の巨大地震です。
激震と10m超の巨大津波、大規模な地殻変動を伴い、死者は1万人超え。小田原城の倒壊や江戸の火災などをはじめ、関東一円に壊滅的な打撃をもたらしました。
被害範囲や地殻変動は後の大正時代の関東地震を上回る規模で、歴史上極めて深刻な震災でした。
「住吉橋・銅門」二の丸入口の枡形門

木橋で復元された雰囲気のある住吉橋と銅門は、人気の記念写真スポットの一つのようですよ。

銅門や住吉堀は、昭和58年~平成4年におこなわれた発掘調査や資料をもとに復元されています。
その調査の際には、戦国時代の井戸や水路、 そして障子堀なども発見されており、戦国時代から江戸時代にかけて何度も造り替えられたことがわかっているんですね。
障子堀は小田原北条氏の城郭に見られる特徴で、堀底に畝(うね)と呼ばれる障壁を格子状に残した独自の形状の空堀のことです。

門は枡形門となっており、馬出門以上にいかつい石垣と塀に囲まれた空間が現れました。

左手に向き直ると、渡櫓門(わたりやぐらもん)がド~ンと構えているのが目に入ってきます。これは大きな枡形門ですね。
右手の塀には狭間がずっと奥まで続いており、渡櫓門に向かう間中、矢や鉄砲で狙われることは明らかだ。

銅門はその名の通り銅が飾り金具として使用されています。
屋根部で隠れていますが、侵入者を狙うための石落としの穴が上に空いていました。

梁の木材に独特の模様(?)が付いているなあ、と思いつつ中へ。
銅門の渡櫓内を土・日曜日・祝日限定で公開

この銅門は土・日曜日・祝日限定で、櫓内部の特別公開がおこなわれているんですよ。
本日は公開日!ラッキ~ということで中へ。

櫓の内部は見た目以上に結構広いですね。

「石落とし」の穴。
石落とが活躍する場面って、敵が侵入してもう羽詰まった状況ですよね。

門の梁の模様は、こちらの手斧(ちょうな)によるものでした。
復元においては、古来の伝統的な工法が用いられたとのこと。
北条氏の小田原評定を再現

奥では小田原北条氏や家臣たちがおこなっている、小田原評定(ひょうじょう)の一員として記念写真が撮れますよ。
小田原征伐と小田原城
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は全国統一の最終段階として、関東に勢力を持つ小田原北条氏の討伐を決断。その本拠地である小田原城を最大の標的とします。
当時の小田原城は堀と土塁で城下までを囲った「総構」と呼ばれる造りで、難攻不落の堅城。小田原北条氏はこの小田原城への籠城を選択をしました。
秀吉はこの小田原城を約20万とされる大軍で完全に包囲し、力攻めを避け、兵糧攻めと心理戦を重視した戦術をとります。その間、秀吉軍は北条方の支城を次々と落城。
援軍の望みが絶たれると小田原城内では戦意が低下し、籠城は次第に困難となります。
3か月余の籠城の末、城主・北条氏直は開城降伏すると共に小田原北条氏は滅亡しました。
ということで、再現されているのは籠城で煮詰まった中での話し合いの様子のようですね。
ちなみに「小田原評定」は、現代では”いつまでも結論が出ない会議や話し合い”の例えとして使われています。
「二の丸」藩主の居住館や政務の場

こちらは野外展示されていた銅門の礎石。
中央のホゾ穴に柱材を入れて地中に埋め、門を固定させる役割だったもの。
箱根外輪山で採れた安山岩が使われており、手前は約16トンで奥の石は約18トンもあるという超ゴツイ石です。

銅門を抜けた先には二の丸広場が広がっています。
当時二の丸には「二の丸御屋形」と呼ばれた建物があり、藩主の居住や政務がおこなわれる場として使われていました。
本丸には本丸御殿がありましたが、そちらは徳川将軍が御成の際に宿泊されるので、恐れ多いということで普段は使用されていませんでした。将軍様の宿泊地あるあるですね。

二の丸広場の一画にある「小田原城NINJA館(歴史見聞館)」は、北条五代の歴史と風魔忍者について映像や展示で学べる有料施設。
デジタル技術を活用した参加・体験型の展示があり、大人も子供も楽しめる施設ですよ。
「常盤木門」 最も堅固で大きな門

当時の本丸は周囲を水堀で囲まれており、二の丸側からは「常盤木橋」を渡って本丸へと向かいました。
現在の常盤木橋は復元されたもので、当時の橋は残念ながら関東大震災により土台の石垣ごと崩壊して消失しています。

現在は花菖蒲園となっている本丸東堀跡。
毎年6月に開催される「小田原城あじさい花菖蒲まつり」では、約1万株の花菖蒲と約2,500株のあじさいの競演が鑑賞できるそうですよ。常盤木橋をバックに映えそうですね!

常盤木橋を渡って本丸へと向かいます。

おや、忍びの者!?
園内には「甲冑着付け体験」の有料サービスもあるので(冑・打掛・忍者衣装の貸出)、武士や忍者に成り切って歩くのも楽しそうですね。

本丸の正門入口にあたるこちらの「常盤木門」は、城内で最も大きく堅固に造られていた門。
門の名前は戦国時代から本丸に存在した七本松に由来するもので、常緑樹を意味する「常盤木」の意から、永遠不滅の繁栄への願いが込められているとのことだ。

櫓や櫓門の内部は、倉庫や武具保管庫として用いられていたとのこと。
宝永3年(1706年)に再建された常盤木門が明治時代まで残っていましたが、残念ながら廃城とともに解体されてしまいました。
現在建っている門は、昭和46年(1971年)に市制30周年事業として再建されたものです。
「本丸」宝永年間の天守を外観復元

常盤木門を抜け城郭の中心部である本丸に入ると、小田原城址のシンボルである天守が現れます。
広さ東西約150m・南北約114mの本丸には、徳川将軍の宿泊施設として使われた本丸御殿が建っていました。
ちなみに小田原城には、徳川家康が7回、秀忠が4回、家光が1回、そして家茂が2回泊まっています。

天守閣建築履歴
■慶長年間(1596年~1615年)に築かれた望楼型天守。
■寛永10年(1633年)の寛永小田原大地震後に復興された、層塔型天守が2代目。
■宝永2年(1705年)に再興された層塔型天守が3代目。
江戸時代の間で天守が2度も再興された城は、他に例がないようですよ。
宝永2年の天守は明治時代まで残っていましたが、残念ながらこちらも廃城時に解体されました。

現在建つ天守は、昭和35年(1960年)に建てられた鉄筋コンクリート造りのもの。
宝永年間の天守を参考にして造られており、当時は外観三重・内部四階の天守櫓と付櫓・続櫓で構成されていましたが、これを外観三重・内部五階の天守として外観復元されました。

天守の石段からの高さは27.2mで、現在建っているすべての天守(現存・復元含む)の中では7番目の高さを誇るとのこと。
屋根にはシャチホコもそびえていますね。

天守内は有料で見学ができ、江戸時代や戦国時代の資料が実物やレプリカによって紹介されています。
展示物は写真撮影禁止でした。
天守から相模湾や石垣山(笠懸山)を望む

そして小田原城の見どころといえば、やはりこの展望階からの眺望!
南側には相模湾が広がる、小田原らしい風光明媚な景観が望めます。
かつての城主も、ここからの絶景を楽しまれたことでしょう。
交通の要衝として栄えた小田原
江戸時代はには陸海が交差する「交通の十字路」として、幕府の要衝を担った小田原の町。
陸路では東海道最大の難所「箱根越え」の拠点として、参勤交代の諸大名や旅人が必ず休息・宿泊する宿場町でした。
そして海路では、相模湾の物流拠点として西国からの廻船が寄港し、米や鮮魚などの物資を江戸へ供給する中継地となります。
この「陸の関門」と「海の港」という二つの顔により、小田原は経済面と政治面で発展しました。
小田原は城下町であると共に、宿場町としての賑わいも持っていた町でした。

そして南西には、小田原征伐の際に豊臣秀吉が本陣を張った「石垣山一夜城」があります。
写真中央の鉄塔の後方の山が、一夜城があった笠懸山です。
「石垣山一夜城」は、豊臣秀吉が築かせた総石垣の城。
小田原城からは見えないように城を築き、完成後に周囲の木を伐採。あたかも一夜のうちに築城したように見せた、といわれる城です。
これが小田原北条氏側の戦意を喪失させ、開城につながったといわれています。
\ 石垣山一夜城の詳細についてはこちら!/
御城印の紹介

御城印を天守にて購入。左のものは季節限定の御城印です。
小田原城の基本情報・アクセス
小田原城址公園
公式ページ
住所:神奈川県小田原市城内(GoogleMapで開く)
天守閣の開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
天守閣休館日:12月第2水曜日(館内整理のため)、12月31日〜1月1日
アクセス:
電車)
・「小田原駅」から徒歩10分
車)
・小田原厚木道路「荻窪IC」から約10分
・西湘バイパス「小田原IC」から約5分
・東名高速道路「大井松田IC」から約40分
・公園には、一般駐車場は無し。周辺の有料駐車場を利用のこと。
チケット料金
天守閣:一般 510円/小・中学生 200円、常盤木門SAMURAI館:一般 200円/小・中学生 60円、NINJA館:一般 310円/小・中学生 100円
2館共通券(天守閣・SAMURAI館):一般 610円/小・中学生 220円
北条氏政・氏照の墓所と北条早雲公の像と
「北条氏政・氏照の墓所」

江戸時代の城跡である小田原城跡とともに、地元では約100年間続いた小田原北条氏の歴史も大切にされているんですね。
ということで、小田原駅からほど近い場所にある「北条氏政・氏照の墓所」に立ち寄りました。
北条氏政は小田原北条氏の4代目当主。名将として知られる父・氏康の跡を継ぎ、武田信玄や上杉謙信といった強豪と渡り合いながら、関東に240万石とも言われる最大勢力を築き上げました。
氏照は八王子城など5つの支城の城主だった氏政の弟です。
北条氏政は小田原征伐における一族の責任を背負い、弟の氏照とともに自害しました。

こちらはその北条氏政・氏照の墓所。
五輪塔:右)氏政夫人の墓、中央)氏政の墓、左)氏照の墓
生害石:五輪塔前の平石の上で氏政・氏照が自刃したと伝わるもの
笠塔婆型墓碑:左手の墓碑、氏政と氏照の戒名が刻まれています
合掌。
「北条早雲公像」

小田原駅西口ロータリーの北条早雲公の像を最後に拝見しました。
小田原ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
タモリさんならではの視点で、小田原の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
小田原城址公園へ出かけてみませんか?
小田原城跡は城好き・歴史好きが楽しめるのは勿論のこと、家族連れなど幅広い世代の方々が楽しめる公園となっていました。
小田原城址公園に小田原北条氏時代の城の痕跡はほぼ残っていませんでしたが、市内には北条氏時代の総構えを構成していた堀切跡なども残っています。今度はそちらの遺構を歩きにきてみたいですね。
小田原城址公園に出かけてみませんか?

記事の訪問日:2022/4/29




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