2024年発行の新1万円札の図柄にも採用された、”近代日本経済の父”と称される渋沢栄一。
渋沢栄一は埼玉県深谷市の出身で、その生誕地にあるのが旧渋沢邸「中の家(なかんち)」です。
「中の家」は2023年8月のリニューアルオープンにより、建物内部が初公開されました。
その新しい「中の家」の見どころを紹介しつつ、渋沢栄一の横顔に迫ります。
近隣にある栄一ゆかりの神社や、栄一も好物だった深谷名物の煮ぼうとうの紹介もありますよ。
目次
「旧渋沢邸・中の家」リニューアルして邸内を公開
中の家は渋沢栄一生誕の地

「中の家」の入口正面
本日の訪問先であるこちら、「中の家」と書いて”なかんち”と読みます。
血洗島という地域を開拓した一族である渋沢家は、複数の分家に分かれていました。
その各家は位置関係で呼び名が付いており、渋沢栄一の生家は真ん中に位置したことから「中の家」と呼ばれたそうです。

中の家は渋沢栄一の生誕地として、埼玉県の旧跡に指定されています。
入口には「青淵翁(せいえんおう)誕生之地」の標石が立ちます。青淵は栄一の雅号(がごう)と呼ばれる別名のこと。

敷地内に入ると、若き日の渋沢栄一の像が出迎えてくれます。
ここで渋沢栄一の人物概略をふり返っておきましょう。
渋沢栄一(1840~1931年)
・天保11年(1840年)、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に誕生。家業を手伝う一方、父の学問の手解きを受け、従兄弟・尾高惇忠(あつただ)から論語を学んだ。
・江戸時代末期には幕臣としてパリの万国博覧会を見学するなど、欧州諸国の実情を見聞。
・明治維新後、大蔵省の一員として国づくりに参画。
・明治6年(1873年)に大蔵省を辞し、第一国立銀行の総監役(後,頭取)になる。以降、鉄道・銀行・保険・通信・繊維産業等、多くの分野で事業を展開。生涯に約500もの企業に関わり、日本の産業基盤の構築に寄与しました。
また、教育・文化・慈善事業に関して、多くの施設設立や支援に取り組んだことでも知られます。
「主屋」典型的な当地の養蚕農家の建物

栄一が文久元年(1861年)に住まいを江戸に移した後は、「中の家」には栄一の妹・貞(てい)の婿として渋沢家の親戚にあたる渋沢市郎が入ります。
明治28年(1895年)に妹夫婦が栄一の生家の跡地に建てたのが、現在残っている主屋なんですね。
主屋はこの地方の典型的な養蚕農家の建物で、屋根の上にある”高窓”と呼ばれる換気窓が特徴です。
栄一は多忙の合間も時間をつくって年に数回は帰郷し、その際にはこちらに滞在しました。
栄一の雅号・青淵は尾高惇忠が命名

敷地内の建物をめぐってみましょう。
正門隣にあるこちらは明治44年(1911年)築の建物で、店として使用された副屋と呼ばれたもの。
深谷市の利根川沿いの地域では、江戸時代より染料となる藍の栽培が盛んになりました。
中の家も藍の栽培や染料となる藍玉(あいだま)の製造を手掛けましたが、それに加えて農家からの藍の買付けや藍玉の販売もおこなっていたとのこと。

敷地の右手には、江戸末期から明治初期頃に掛けて建てられた蔵造りの建物が並びます。
写真中央の蔵は、藍玉作りの作業場として使われたとのこと。

ところで土蔵前の説明板には、当地の地名「血洗島」の由来に関する説明があった。
そうそう、結構オドロしい響きの地名なんで、以前から気になっていたんですわ。
江戸時代には既に血洗島村としてあった地名の起源には、大きく二つの説があるようだ。
一つ目は、血洗は”地荒れ”や、川の氾濫が多い”地洗れ”が由来ではないか?という説。
もう一つは渋沢栄一も語っているもので。。。、昔、赤城山の山霊が他の山霊と闘い怪我をした。その際、この地で傷を洗ったことに由来する、というもの。
伝承話としてはこちらの方がシックリきますが(笑)、はっきりした由来は分からないみたいです。

奥の土蔵は米蔵
さらに渋沢栄一の雅号である「青淵」の由来の説明もありました。
渋沢栄一の雅号「青淵」の由来
渋沢栄一が書画・俳諧などに用いた雅号である「青淵」は、従兄で学問の師でもあった尾高惇忠が名付けたもの。
かつて中の家の裏手には「上の淵」と呼ばれる青々と水をたたえた美しい淵があり、これにちなんで名付けたものなんだそうだ。
この淵の水は、栄一が大人になった頃には枯れてしまったとのこと。
\ 栄一が学びに通った尾高惇忠の生家についてはこちら!/
栄一の両親と養子・渋沢平九郎の招魂碑

左)先渋沢氏招魂碑 右)晩香渋沢翁招魂碑
土蔵の奥手には渋沢家の招魂碑が3碑あります。
右の栄一の父・渋沢市郎右衛門の「晩香渋沢翁招魂碑(しょうこんひ)」の撰文は尾高惇忠によるもの。
左の栄一の母・渋沢えいの「先渋沢氏招魂碑」の撰文は栄一によるもの。

渋沢平九郎追懐碑
そしてこちらは尾高惇忠の弟で、栄一の養子でもあった渋沢平九郎の追懐碑。
平九郎は幕末の戊辰戦争の地域戦である飯能戦争において、若き兵士として命を落としています。追懐文は義父である栄一によるものです。
\ 渋沢平九郎詳細についてはこちら!/
初公開された主屋内部を見学

さて本日の目玉は、リニューアルにより初公開されることになった主屋内部の見学です。
築約120年が経過している主屋には今まで耐震性の課題があったため、一般公開されてなかったんですね。
これに対して深谷市は令和4年(2020年)2月から耐震工事を開始し、令和5年4月末に改修を完了。そして8月10日にリニューアルオープンされました。
訪問したのは8月20日なんで、公開されたてでの訪問だったんですよ!
整備にかかった費用は総額約4億円弱だったそうですが、この資金集めには企業版ふるさと納税による寄附金を活用。
さらに屋根改修費用にはクラウドファンディングを利用するなど、資金集めには現代的な手法が活用されたのは興味深いところです。

建物に入ってまず目に付くのが、床下にあるカマド跡。これは今回の工事中に新発見されたものとのこと。
使用されていた煉瓦は、栄一が初代会長を務めた日本煉瓦製造(株)製のもの。
製造場所を示す上敷免製(深谷市上敷免)の刻印も確認できたそうです。
展示方法も発見された状態を生かしており。なかなか良いですね。
大河ドラマ・青天を衝け衣装展示とアンドロイドシアター

令和3年に渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ、「青天を衝(つ)け」が放映されました。
こちらには主人公・渋沢栄一役の吉沢亮さんと、その妻・尾高千代役の橋本愛さんが撮影で使用した衣装の展示がありました。

そしてその右手の部屋では、「渋沢栄一アンドロイドシアター」が上映されています。
これは和装の栄一アンドロイドが、スクリーンの映像にあわせて自身のエピソードを解説するというもの。このアンドロイドの動きや表情が実にリアル!
こちらも新装公開の目玉でありますが、残念ながら撮影は禁止でした。
栄一アンドロイドは中の家のほか、渋沢栄一記念館にもあります。
この2体とも、深谷市出身者であるドトールコーヒーの名誉会長、鳥羽博道氏の資金寄附によって製作されたものなんですって。これはありがたい話ですね。
栄一が滞在した上座敷

栄一が帰郷した際は、この上座敷に滞在しました。
養蚕農家では2階に蚕室(さんしつ)を設けますが、1階で過ごす栄一に配慮して、この上には蚕室を設けなかったそうだ。
また、1階の他の部屋より天井が高く、床柱に銘木とされる鉄刀木(たがやさん)を使用するなど、特に念入りに造られた部屋となります。

滞在中は窓枠越しの庭園の風景を楽しんだことでしょう。

栄一は学問のかたわら家業にも興味を持ち、14歳の時におこなった藍葉鑑定が商業活動の始まりとなります。
写真は栄一が相撲番付を模して作った、藍栽培農家の番付「武州自慢鑑藍玉力競」です。
ユニークなアイディアだなあと感心するとともに、若干22歳だった頃に既に番付できる程の目利きだったことに驚かされます。
2階は展示室、血判状のレプリカにドキッ!

2階に上がって、こちらは上座敷の上に位置する部屋。

こちらも素敵なデザインの調度品に目がゆきます。

蚕室だった空間は展示室になっていました。
展示の内容は今回の建物補強の概要や、渋沢栄一に関連したエピソード紹介など。
また、実物の大黒柱や梁により、建物の構造を知ることができます。
そうそう、渋沢栄一をデザインした、来年発行予定の新紙幣の紹介もありましたよ。

こちらのドキッとする血生臭い展示品は、横浜焼き討ち計画の血判状のレプリカ。大河ドラマ・青天を衝けで使用された物です。
栄一らは文久3年(1863年)に尊王攘夷の思想から、高崎城乗っ取りや横浜焼き討ちを企てました。
これらは未遂で終わりましたが、実行されていればその後の栄一の活躍も無かったかもしれませんね。
「諏訪神社」栄一寄進の社殿が残る血洗島の鎮守

中の家見学後、歩いて5分程の場所にある旧血洗島村の鎮守「諏訪神社」を参拝しました。
創建時期は不詳ですが、古来より武将の崇敬が厚かった神社とされます。
渋沢栄一も少年時代から親しんだ神社で、帰郷の際もまずこちらを参詣したとのこと。なかでも秋の獅子舞を楽しみにしていたとか。

木造の鳥居の扁額は、唐破風がついた古風な雰囲気のものでした。
渋沢栄一謹書と記されているので、これは栄一筆によるものなんですね!

境内にある「渋沢青淵(せいえん)翁喜寿碑」は、大正5年(1916年)に栄一の喜寿を祝って氏子によって建立されました。

そしてその喜寿碑に応える形で、栄一は現在の拝殿を造営・寄進しています。

本殿は明治40年(1907年)に、渋沢栄一と血洗島村民の費用折半により造営されたものとのこと。
「麺屋忠兵衛」栄一も好んだ煮ぼうとうを頂く

中の家に隣接た場所には、渋沢栄一も好物だったという深谷の郷土料理、煮ぼうとうの専門店「麺屋忠兵衛」がありました。こちらでランチを頂きます。

席に着き店員さんに煮ぼうとうを注文した時、「当店は初めてですか?」と尋ねられた。
「ええ。。。」と答えると、「床の間に渋沢栄一直筆の掛け軸があるので、是非見ていって下さい。」とのこと。えっ、ここに?
ということで、料理を持つ間に掛け軸を拝見。
「人の一生に、おろそかにして良いという時はない。人間晩年が美しければ、その価値は上がるものだ。」
といった内容とのこと。
う~む。実に含蓄のある内容の言葉が、とても美しい字で書かれていました。
思いがけなく貴重なものが見れて、得した気分。

そして着丼した煮ぼうとうがこちら。
ほうとうといえば山梨も有名だが、あちらは味噌仕立て。深谷の煮ぼうとうは醤油仕立てなのが特徴です。
素朴な食べ物ですが、ちょっと濃いめの味付けが食欲をそそり旨い!
当地は深谷ネギが名物だけあって、厚みのあるネギも準主役として活躍してますよ。
セットのとろろご飯がこれまた絶品!訪問した際にはススメのお店ですよ。

至るところで深谷の人気のゆるキャラ”ふっかちゃん”にも出会えました。
麺屋忠兵衛 煮ぼうとう店
公式ページ
住所:埼玉県深谷市血洗島247-1
営業時間:11時~14時 定休日:無休(年末年始除く、臨時休業あり)
アクセス:「中の家」のすぐ隣り
新一万円札のデザインとして注目される渋沢栄一。
その若き日の栄一を中心にドラマティックに描いたNHK大河ドラマで、その人物像に迫ろう!
旧渋沢邸「中の家」の詳細情報・アクセス
中の家
公式ページ
住所:埼玉県深谷市血洗島247-1(GoogleMapで開く)
開館時間:9時~17時(入場は16:30まで)
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:無料
アクセス:
電車)
・JR「深谷駅」からタクシーで約20分
・JR「深谷駅」から深谷市コミュニティバス・くるりん・北部シャトル便渋沢栄一記念館行(1日5便)で約25分乗車、「渋沢栄一記念館」下車、徒歩約10分
時刻表・運賃は深谷市コミュニティバス「くるリン」のHPで確認願います。
車)
・関越自動車道「本庄児玉IC」から約20分
・無料駐車場有り
深谷市内移動に便利なコミュニティバス「くるリン」
中の家などがあるエリアは、深谷駅からは5~6km程離れています。
電車で訪問の場合は駅からタクシーの移動でも良いですが、市内を循環するコミュニティバス・くるリンを上手く使うと安く移動できます。
深谷市コミュニティバス「くるリン」
北部シャトル便では、深谷駅(北口)と渋沢栄一記念館間を折り返し運行する便があります。
運賃は1km以内は100円、2km以上は200円(1乗車あたり)。
ホームページでコースマップや時刻表が見れます。
深谷市・コミュニティバス「くるリン」のページ
深谷のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
周辺おすすめスポット(渋沢記念館ほか)
~近隣スポット~
渋沢記念館
渋沢栄一記念館では渋沢栄一ゆかりの遺墨や写真などの多くの資料を通して、その偉業に触れることができます。
また、とってもリアルな渋沢栄一のアンドロイドが見学者に講義をおこなう、というのが記念館の目玉。
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渋沢栄一記念館
住所:埼玉県深谷市下手計1204(GoogleMapで開く)
※中の家から徒歩約10分(900m)。コミュニティバス”くるリン”北部シャトル便の最寄りバス停は「渋沢栄一記念館」
誠之堂・清風亭
大正5年、渋沢栄一は初代頭取を務めていた第一銀行を、喜寿(77才)を機に辞任しました。
その際、同行行員たちが喜寿のお祝いの記念として建てられた「誠之堂」が、一般公開されています。
レンガ造りの可愛らしい建物ですよ。
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誠之堂・清風亭
住所:埼玉県深谷市起会110番地1(大寄公民館敷地内)(GoogleMapで開く)
※中の家から徒歩約40分(約3km)。コミュニティバス”くるリン”北部シャトル便の最寄りバス停は「誠之堂・清風亭」
尾高惇忠生家
若き渋沢栄一が学問を師事した、尾高惇忠の生家が一般公開されています。
栄一はかつて惇忠らと高崎城の乗っ取り計画を謀議しましたが、その話合いの場所がここの2階だったといわれています。
鹿島神社
渋沢栄一らが建てた、尾高惇忠の業績を伝える藍香尾高翁頌徳碑があります。
神社の社名の扁額は、渋沢栄一の筆によるもの。
鹿島神社
住所:埼玉県深谷市下手計1145(GoogleMapで開く)
※渋沢栄一記念館より徒歩約4分(約300m)、尾高惇忠生家より徒歩約10分(約600m)
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旧渋沢邸・中の家へ出かけてみませんか?
渋沢栄一生誕地で、リニューアルした旧渋沢邸・中の家を紹介しました。
いかがでしたか?
渋沢栄一は、若かりし頃から家業の手伝いを通し商才を発揮してたようですね。
また、渋沢一族のつながりの深さを感じました。
渋沢栄一の私邸は東京飛鳥山(北区王子)にありましたが、空襲で焼失しています。
そのため中の家は、栄一が親しく立ち寄った数少ない場所として貴重なんですよ。
そんな旧渋沢邸・中の家に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2023/8/20
\ 農畜産物のほか、渋沢栄一やふっかちゃんグッズも!/
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