埼玉県志木市の住宅街に突如として現れる、県内最大級のミニチュア富士山「田子山富士塚」。
国重要文化財にも指定されている巨大で圧倒的な富士塚が、なぜこの場所に築かれたのでしょうか?
その秘密を紐解く鍵は、志木(引又)の街を潤した「新河岸川の舟運」にあった。
かつて江戸城の建材を川越まで運んだというこの物流ネットワークは、街に莫大な富をもたらすとともに、江戸で大流行した「富士信仰の熱狂」をも運んできました。
”黒ボク石”や”胎内くぐり”など、本物の富士登山さながらのリアルなその仕掛けとともに、水の街として栄えた歴史を紐解く散策を紹介します。
目次
水運が生んだ「物流のハブ」― 新河岸川と引又河岸の黄金時代
川越の大火が新河岸川の舟運発展に繋がった!?
まずは、かつて舟運(しゅううん)で栄えた志木の歴史を知ることができるスポットへやってきました。

北側に新河岸川、南側には柳瀬川。この二つの川が合流する、V字の地形の場所にあるのが「いろは親水公園」です。
ここは川沿いに整備された風光明媚な水辺公園で、子供向けの遊具もある市民の憩いの場。向かいの県道(いろは通り)を挟んだ先には志木市役所があります。

公園の一角にある「新河岸川舟運の歴史」の案内板が示すように、かつてここには舟運の要衝である「引又(ひきまた)河岸」がありました。
現在の静かな住宅街の景観からは想像もつきませんが、「物流の心臓部」として熱気に満ちた場所だったわけです。
新河岸川では昔より舟運の利用がありましたが、その利用を本格化させたきっかけは、江戸時代の寛永年間における河川改修でした。
寛永年間における新河岸川の改修とは?
寛永15年(1638年)、川越に大火が発生して名刹・喜多院がほぼ全焼します。
喜多院の住職を務めていたのは、徳川家康・秀忠・家光の3代にわたり将軍側近を務めた、当時すでに100歳近い高齢の天海僧正でした。
これに対し徳川家光は、江戸城西丸にあった紅葉山(もみじやま)の別殿などを喜多院に下賜(かし)することを決めます。
巨大な建築部材の輸送が難題となりましたが、幕府老中を務め”知恵伊豆”とも称された川越藩主の松平信綱が「荒川から分岐する新河岸川の改修」を実施。これにより、舟運による大量輸送ルートが確立されました。
喜多院には今も「家光誕生の間」や「春日局化粧の間」が残りますが、それらを運んだ大きな舟が、かつてこの目の前の川を通り過ぎていったのかもしれませんね!
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「引又河岸」江戸近郊の物資集積所として、江戸の胃袋を支えた
以後、新河岸川は明治時代まで、江戸と川越を結ぶ水上交通の重要な動脈となります。

引又河岸を発展させた理由の一つは、船溜まりとして最適な地形だったという点。
さらに重要なのが、奥州脇往還(志木街道)との交差点にあたるロケーションだったこと。
そのため水上・陸上の交通をハイブリッドに使い分けられる物流拠点として、大いに繁栄しました。
積み荷の取引範囲は所沢・八王子・青梅などのほか、遠く甲府まで及んだといいます。

柳瀬川沿いにある引又河岸跡碑
【江戸へと至る舟運ルート】
引又河岸から江戸市中へと至る舟運ルートは、下記のルートが一般的でした。
・引又河岸:新河岸川を出発
・朝霞市宮戸付近:荒川(当時の本流)へ入る
・岩淵水門(現、北区)・千住(現、足立区)周辺:隅田川へ入る
・浅草・両国周辺:隅田川を下り浅草や日本橋・神田などの河岸へ到着
【江戸への所要時間】
サービスランクにより差があり、下記の3種類があったとのこと。
■飛切(とびきり) :引又を夕方出て翌日の夜明けに花川戸(現、浅草) に着く
■早舟:下りに15時間
■並舟:不定期
江戸へ向かう下りは、川の流れに乗れるためスムーズに移動できた。
一方、川の流れに逆らう上りは過酷で、陸地から人力による曳舟を併用しつつ、数日〜1週間以上かかる場合もあった。
【主な積み荷】
■江戸への積み荷(下り):酒、米、大麦、小麦、壁土米、野菜、薪炭など
■戻り舟の積み荷(上り):綿糸、太物、小間物、雑貨、糠(ぬか)、メ粕(しめかす)、塩、藁、石材など
江戸近郊における物資の一大集積場として、江戸100万人の台所と胃袋を支えるのに貢献しました。
いろは親水公園
公式サイト
住所:埼玉県志木市中宗岡5丁目1-1(GoogleMapで開く)
電車)
・東武東上線「志木駅」東口より約徒歩21分(約1.7Km)
・「志木駅」東口よりバス乗車(約5分)、「志木市役所」下車
※浦和西口ゆき、宿・埼大学経由 南与野ゆき、(宗岡回り)宗岡循環、(宿回り)宗岡循環、中宗岡ゆき乗車
車)
・無料駐車場 6台(うち身障者優先1台)
※飲食店舗利用の際は市庁舎の駐車場をご利用ください。
「引又宿」の記憶、”旧村山快哉堂”に見る商家繁栄の証
交通の要所であった引又には、宿場町「引又宿」が設置されていました。
宿場町があった場所は、現在の志木市本町・1丁目・2丁目及び柏町1丁目付近あたりだったようです。
引又宿には大名の宿泊を想定した本陣などはなかった。商人・庶民の利用が中心の実用的な宿場で、引又河岸と結びついた市場町として発展しました。

そんな引又宿で財を成した商家の建物が、いろは親水公園内に保存されています。
「旧村山快哉堂(かいさいどう)」は、明治10年(1877年)に築造された薬屋の建物。本町通りにありましたが、平成7年にこちらに移築・復元されたもの。
村山家は、18世紀から家伝薬を製造・販売する薬店を営んできた名家です。
重厚な存在感を放つ木造2階建ての土蔵造りの店蔵で、2階部に格子状の「ムシコ窓(虫籠窓)」と呼ばれる出窓があるのが特徴。

接客・販売の形態は座売り形式となっており、中央部には吹き抜けがある。
一本木が使用されている立派な梁や、耐火性に優れた店蔵造りであることから、村山家が財力を持った家柄であったことが伝わってきました。
江戸の富士信仰が加速した聖地 ― 国指定重要文化財「田子山富士」
「開山日」に注意!登山日にのみ登拝が可能

「田子山富士」は、いろは親水公園から500mほど離れた、住宅街に隣接した敷島神社の境内にあります。
新河岸川の流れと本町通り(志木街道)の道筋に挟まれた位置のエリアですね。

鳥居には「本日登山日です」の札。
決まった日のみが富士塚の開山日となっているので、訪問の際には注意が必要です。
入山・登拝ができる日
■通年、大安・友引は原則として入山可。
■以下の「特別入山日」は入山可。
年始:1月1~3日、節分祭:2月3日、富士山の日:2月23日、大祓い:6月30日、山開き:7月第一週末、山仕舞い:8月21日に近い週末日、七五三:年により変動、志木さくらフェスタ:3月末~4月初旬頃、など。
田子山富士保存会のサイト には入山カレンダーが記載されているので、確認してからの訪問が良いでしょう。
江戸で爆発的に流行した「富士講」の熱狂

境内に入ると、圧倒的な威容でそびえる「山」がド~ンと目に飛び込んできます。これはなかなか立派な富士塚ですね!
【田子山富士塚の基本データ】
標高:約8.7m(しかし体感はそれ以上!)
長径:約30mの楕円形
築造:明治5年(1872年)完成
特徴:富士山の本物の溶岩を積み上げた本格派
改めて富士塚とは?
江戸時代に富士山への信仰が爆発的な人気を誇りましたが、実際に富士山へは登れない人々のために築かれた人工のミニチュア富士山のことです。
その背景には富士登拝を目的とする信仰集団「富士講(ふじこう)」の組織化があり、講中の人々が資金を出し合って築造・維持がされました。
特に18世紀後半の江戸時代中期にあたる安永・天明・寛政年間頃には、「江戸八百八講」といわれる程、江戸や武蔵国で多く組織されました。
富士塚は現代の感覚からすると、信仰とクラウドファンディングが合わさった感じのものか。
それにしても「富士山に行けないないなら造ってしまえ!」というのは、江戸っ子ならではべらぼうな発想ですね(苦笑)。
重要文化財「田子山富士塚」のここが凄い!6つの注目ポイント
埼玉県内にも富士塚は多く残っていますが、なかでもこの「田子山富士塚」と川口市の「木曽呂の富士塚」の2つは国重要有形民俗文化財に指定されており、県内を代表する現存富士塚といえます。

特に田子山富士塚が富士塚として稀有な存在なのは、以下の「6つの要件」を満たしている点です。
田子山富士塚が備えている6つの要件
山頂の祠(奥宮): 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る。
鳥帽子岩: 富士山の特異な岩を模したもの。
小御嶽(こみたけ)神社: 富士山五合目に相当する場所にある神社。
黒ボク石(溶岩): 富士山から運ばれた本物の岩。
御胎内(ごたいない): 富士山の洞窟を模した地下の聖域。
富士山の遠望: 実際に富士山が見える方角に作られている。
これらは実際に登山しつつ、探してみたいと思います。
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登山前に敷島神社で安全祈願、田子山富士保存会にも感謝!

登山前に敷島神社で安全祈願。
敷島神社は田子山富士塚に鎮座していた浅間神社の敷地に、村山・星野の両稲荷神社と水神社が合祀されて明治41年(1908年)に創建されました。以来、引又地区(現、本町)の鎮守として崇敬を受けているとのこと。
田子山富士塚内にある神社も、敷島神社の摂社という扱いになっているようです。

現在、田子山富士の維持管理をおこなっているのは「田子山富士保存会」。
ボランティアの方々を中心に、管理全般や周辺の清掃、お山開きなどの伝統行事の運営を通して、貴重な歴史的遺産の保存と、後世へと継承する活動をされています。
田子山富士登山が本日できるのも、保存会の方々の活動のお陰というわけですね。感謝!
標高約9メートルに凝縮された、リアルな「富士登山体験」
「浅間下社」の御神体。これが田子山富士築造の始まり

入口には入山の心得が書かれています。
入山の心得
今日、田子山富士に来れたことに感謝して、入山しましょう。
一、登山道は、足場が悪く、危険がいっぱいです。 歩きやすい服装・はき物 (ぞうり・ハイヒールは禁止)で、急がず、譲り合いの気持ちで入山しましょう。(傷害保険には入っていません)
二、ジグザグの登山道以外への立入りは出来ません。
三、雨天の時や、足場が悪い時などは、入山を中止しますので、入山対応委員の指示に従ってください。
四、山内の石や植物などを、動かしたり、持ち帰らないでください。
五、酒気帯びでの入山は、できません。
富士塚は、富士山への畏敬の念を持って祈りがおこなわれた神聖な場所。郷に入れば郷に従えで、マナーを守って入山しましょう。

黒ボク石に乗った狛犬に見送られつつ、先へ。

登山口を入ったすぐ先の「浅間下社」に祀られている板碑(=御神体)こそが、実は田子山富士築造の発端となったものといわれています。
この富士塚の発起人は、引又宿で醤油醸造業を営んでいた高須庄吉という人物。
富士信仰に篤かった庄吉は田子山の頂上で富士信仰に関わる板碑を発見し、ここに富士塚を造ることを決意します。
暦応3年(1340年)に作られたその板碑は、「十瀧房承海(じゅうりゅうぼうじょうかい)という僧が、これから富士山に行って成仏する」旨が記されたものでした。

庄吉は多くの人たちに協力を呼びかけ、明治2年(1869年)10月に自身が属する富士講「丸吉講」が中心となり、富士塚造りに着工。
地元の同業者をはじめ、広範囲の人たちからの寄付金、労力提供、石造物奉納を集め、明治5年(1872)6月についに完成に至りました。
田子山富士築造の背景には富士信仰者が大勢いたことに加え、引又宿という、人や物が集まる経済的な基盤があったことは見逃せません。

「是より登山ミち」とあるので、ここから気を引き締めてゆきます。
登山道は”一合目”から”十合目”をリアルに再現
正面からグルっと回った北側が、本格的な登山道の入口となる。

正面の穏やかな表情とは一変した、ゴツゴツとした黒い岩肌に注目して欲しい。
富士山噴火の記憶を伝えるこの山道を登ることによって、数百年前にこれらの黒ボク石を運んできた人々の情熱に触れることができるというものだ。
重機もトラックもない時代、これらの石を富士山から大量に運ぶことは重労働だったはずだが、ここでも新河岸川の舟運の機動力が発揮されたであろうことは想像に難しくない。

登山道には「一合目」から「十合目」までの石碑があるなど、富士登山の行程が精巧に再現されています。
まるで民間信仰の博物館!?富士塚の持つ懐の深さ

富士山信仰のために築かれた富士塚ですが、山道には神道・仏教・修験道など多岐にわたる石造物が並んでおり、その懐の深さを感じさせます。

これを見ると「富士塚に来た」と感じさせるのが、このような山形をしたスタイリッシュな石碑。講の名称や奉納者の名が記されています。

こちらは「天狗坐像」。
山岳信仰における天狗は深山に住む霊的な存在で、修験道の行者や山伏と結び付き「山の守護者」と考えられてきました。
特に富士山や高尾山などの霊山では、天狗信仰が強く根付いています。

「猿の親子像」。
猿は古くから山の神や庚申信仰と深く結び付いている生き物とされます。
「経ヶ嶽」奉納者には歌舞伎役者の名も
五合目付近の中腹には、一際背の高い「経ヶ嶽(きょうがたけ)碑」が立っています。

日蓮宗の宗祖である日蓮は文永6年(1269年)、富士五合目付近にある経ヶ岳に登り、”日本国安泰”の祈念を込めて書写された法華経八巻を埋経したと伝わります。

玉垣には、明治初期に活躍した坂東三津五郎、尾上菊五郎、中村芝翫(しかん)、岩井半四郎などの歌舞伎役者の名前も見られます。
舟運によって、江戸の文化の香りも当地に運ばれてきたことでしょう。
数多くある石造物には奉納者の名が刻まれていますが、それらの数の合計はなんと2,416名にも上るそうですよ!凄い数ですよね。
「鳥帽子岩」食行身禄ゆかりの”聖地の岩”

こちらの「烏帽子岩(えぼしいわ)」も、富士塚においては重要な存在です。
烏帽子岩は富士山の吉田口登山道の八合目付近にある巨大な奇岩で、烏帽子に形が似ていることからその名で呼ばれているもの。
江戸時代中期、富士講を爆発的ブームへと導いた中興の祖・食行身禄(じきぎょうみろく)が、この岩の傍らで世の救済を願い、断食して命を捧げる”入定(にゅうじょう”を遂げた聖地。
烏帽子岩は全国の富士塚で、重要な信仰遺構として造られるようになりました。
山頂には「奥宮」。日本神話を代表する女神・木花開耶姫命を祀る

頂上付近から山道を見下ろすと、五合目より先はけっこう傾斜がありました。

そして山頂へと到達。標高約9m程の小山ではありますが、当時の人々が感じたであろう達成感を共有できたことは感慨深いところだ。
山頂には木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀った石の祠があります。
桜の花が咲き誇るような美しさと伝わる木花開耶姫命は、火中での出産に耐えた強靭な生命力を併せ持つ、日本神話を代表する女神です。
その圧倒的な火のパワーから、古くより噴火を鎮める「富士山の神(浅間大神)」として崇められるとともに、安産や子育ての神としても広く信仰されています。

富士山の方角を望むも、本日は天候の関係で残念ながら富士山は見えず。

祠の傍らに晴れた日の富士山の写真がありましたが、こんなに見事に見えるんですね!これは昔の人ならずとも感激する眺望だわ。
かつて反対面からは、蛇行する新河岸川の流れも一望できたとのこと。
当時は引又河岸側からも田子山富士が望め、引又宿のランドマークとして映っていたことでしょう。
「御胎内」洞窟を抜け、生まれ変わって清められる
一旦下山して塚の西側にまわると、山の裾野に「御胎内」がポッカリと口を開けていました。

富士山の胎内(たいない)くぐりとは、富士山麓にある溶岩洞窟を這いつくばって通り抜けるという、神聖な修行のこと。
富士講ではこの洞窟を体の内部に例えて「御胎内」と呼び、洞窟を通り抜けると生まれ変わって、心身ともに清められると信じられてきました。
こちらの穴はだいぶ埋まっており、「えっ?こんな所に人が入れたの?」と思っちゃいますよね。
しかし案内板によると中は意外としっかりした造りっぽく、しかも、奥行き16mと約7mの2ルートが設置されているそうだ。
本日は細部までこだわり抜いた富士塚の造りに、最後まで驚かされました。
【散策ガイド】引又宿、街道と河川で栄えた面影をたどる
本町通りを歩き、商家で栄えた名残りの出会う

田子山富士の登頂の後、かつて引又宿があった本町通り沿いで宿場町の面影を探してみた。

いろは親水公園から柳瀬川を越えた先にある「西川家潜り門」。
西川家は幕末に酒造業・水車業・肥料商を営むかたわら、引又町の組頭役を務めた名家。
門は棟門と呼ばれる形式のものだが、中庭に立っていたことから潜り門と呼ばれていた。
慶応2年(1866年)頃の建築とされ、扉や柱の傷跡は武州一揆の刀の傷跡だといわれている。
西川家潜り門
住所:埼玉県志木市本町1丁目1-4(GoogleMapで開く)

その少し北側にある「朝日屋原薬局主屋」は、国指定文化財に指定されている明治45年(1912年)の建物。
木造2階建ての切妻造りで、屋根は桟瓦葺。深く前面に張り出した出桁造り(だしけたづくり)による立派な軒が、商家としての格を感じさせます。
正面左手に立つ明治44年12月の年月が入った道標が、かつてこの辺りが交通の要所であったことを伺わせます。
朝日屋原薬局主屋
住所:埼玉県志木市本町2丁目4-43(GoogleMapで開く)
新河岸川周辺の治水の記憶「いろは樋の桝」

先の西川家潜り門の道を隔てた向かいにある「いろは樋」の復元模型は、地域発展の歴史を伝えるもの。
いろは樋とは?
新河岸川東側の宗岡は農業用水に乏しいエリアだった。
寛文2年(1662年)、宗岡村を知行した旗本・岡部氏の家臣・白井武左衛門が、交差する新河岸川に「いろは樋」と呼ばれる掛樋を敷設して、引又から野火止用水の水を通した。これが宗岡にゆたかな実りをもたらしました。
この樋は板を48枚継いでいたことから、いろは樋と呼ばれました。
「いろは親水公園」の名前はここからきていたんですね、なるほど。
いろは樋の大桝(復元)
住所:埼玉県志木市本町1丁目1(GoogleMapで開く)

復元模型から少し離れた所には、いろは樋の遺構も残っています。
当初木製だった桝は明治時代にはレンガ積みとなり、木樋は川の下を通る鉄管に変わりました。
いろは樋は昭和40年にその役目を終えるまで、長きにわたり活躍したそうです。
いろは樋の大桝
住所:埼玉県志木市本町2丁目1(GoogleMapで開く)
志木の街には沢山のカッパ像であふれてる!?

いろは公園のカッパ像
志木市内では、いたる所でカッパの像に出会います。
これは河川との関わりが深い志木市に伝わる、カッパの伝説によるものです。
「昔、柳瀬川には人や馬に悪さをするカッパが住んでいたが、ある日、そのカッパが村人たちに捕まった。
哀れに思った宝幢寺(ほうじょうじ)の和尚は村人たちを説得し、カッパを助けた。
すると翌朝、和尚さんの枕元にカッパからのお礼の鮒(ふな)が置いてあり、それ以来、人や馬が襲われることはなくなった。」というもの。

敷島神社のカッパ像
この話は江戸時代の随筆集「寓意草」に収録された後、民俗学の第一人者である柳田国男の「山島民譚集(さんとうみんたんしゅう)」でも紹介されています。
この伝説を背景に、志木市内の駅周辺や小学校、公園などの約30カ所に、カッパをモチーフにした石像が設置されているというものです。
まちあるきマップを片手に、ちょっとアートなカッパ像を巡ってみるのも楽しそうですよ!
志木市「市内カッパ像めぐり」のサイト
【記事の参考にした情報】
・田子山富士保存会のサイト
・文化遺産オンライン「志木の田子山富士塚」 文化庁
・文化遺産オンライン「朝日屋原薬局主屋」 文化庁
・ご近所富士山の「謎」 富士塚御利益散策ガイド 有坂蓉子著(講談社)
関東近郊に数多く残っているミニチュアの富士山の謎。
その歴史や見どころを知ると、歴史散歩が楽しくなりますよ!
タモリさんならではの視点で、大宮の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
田子山富士塚にアクセスと立寄り情報
立寄りにおすすめの食事処とカフェ
田子山富士周辺の散策時に立寄りたい、食事・カフェスポットを紹介します。
【ベーカリーカフェ】Bakery & Cafe DAISY(デイジイ)志木店
「いろは親水公園」の入口、志木市役所の目の前に位置するベーカリーカフェで、散策の終着点として最適。
テラス席からは公園の緑や、かつての舟運の舞台となった新河岸川のゆったりとした流れを眺めることができます。
焼き立てのパンとコーヒーで一息つける、歴史散策の締めくくりに最適なスポットです。
公式サイト
住所:埼玉県志木市中宗岡5丁目1-7 いろは親水公園内(GoogleMapで開く)
【喫茶店】プーポ
志木駅東口から徒歩数分、かつての引又宿へと続く道沿いで40年以上続く老舗喫茶店。
昭和の面影を色濃く残すアンティークな内装と、ボリューム満点のスパゲッティが地元で愛されています。
時間が止まったような空間での一時が過ごせますよ。
住所:埼玉県志木市本町5丁目18-3(GoogleMapで開く)
志木のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
近隣スポットもチェック!
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田子山富士塚登山へでかけてみませんか?
明治の初頭に築かれた田子山富士塚は、単なる信仰のシンボルではありません。
新河岸川の舟運が生み出した「富」と、江戸から運び込まれた「富士信仰の熱気」が一本の線で繋がった、いわば水運都市・志木の結晶そのものでした。
今週末は、細部こだわり抜いて築造された富士塚登山と、舟運の街として発展した面影をたどる街歩きをするという、小さな週末旅にでかけてみませんか?

記事の訪問日:2025/3/31
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