高層ビルが立ち並ぶビジネス街の真ん中、人々の憩いの場として親しまれる「日比谷公園」。
日本初の本格的な洋風公園として知られていますが、実は一歩足を踏み入れると、そこは「江戸と明治の記憶」が色濃く残るタイムカプセルのような空間です。
園内にひっそりとたたずむ見事な石垣は、伊達政宗らが築造した徳川幕府の中枢施設であった江戸城の城門跡の一部。
さらに、歴史ある洋食店にも、西郷隆盛、孫文といった歴史の主役たちが紡いだドラマが隠れています。
今回はただ散策するだけではもったいない、日比谷公園のディープな歴史遺構と見どころを、歴史好きに向けて徹底解説。すぐに出かけたくなる、歴史散歩コースとして紹介します。
目次
日比谷公園に残る江戸城の記憶。防御拠点「日比谷見附」の石垣を歩く
「江戸三十六見附」江戸の出入りを監視した防御の要
江戸時代において現在の日比谷公園の辺りは、江戸城の中心部に寄り添う特別な場所でした。

日比谷公園に面した皇居の日比谷濠
すぐ北に徳川将軍の居城があるこの地は、幕末まで有力大名の屋敷がずらりと並ぶ、まさに江戸城下屈指の一等地。政治と権力の中心地だったといえます。

日比谷門の案内板より
現在は江戸城跡すなわち皇居のイメージがありますが、当時の江戸城は内堀・外堀によって町全体を囲み、城と城下町が一体となった「総構え」と呼ばれる巨大な防御都市でした。
約16kmにおよぶ外郭周囲の距離は、現在の千代田区・中央区が丸々入ってしまうという広大なものだったんですよ。
総構えにおける防衛の要となったのが、主要な出入口に配置された「見附」と呼ばれる城門や番所。
主要な見附を挙げて「江戸三十六見附」といわれ、人や物の出入りを見張る、いわば江戸における“関所”のような役割でした。
その見附の一つである「日比谷見附」は東海道方面からの江戸城の玄関口にあたり、三十六見附の中でも特に重要な位置でした。
そんな日比谷見附の面影が残る日比谷公園を、本日は歴史散歩します。
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日比谷見附跡はどこに?高麗門と渡櫓門で枡形門を構成
日比谷見附の遺構がある場所は、公園の北東にあたる有楽門から入ってすぐの心字池周辺です。
有楽門はJR有楽町駅からは一番近い入口で、日比谷の交差点を越えたすぐ先になります。

交差点からは日比谷濠と皇居外苑側の石垣も良く見える。日比谷公園が江戸城に程近いことを感じつつ、園内へ。

すぐに見えてくるのがこちらで、これは日比谷見附の石垣の一部が残っているものです。
見附は城の外側から順に高麗門(こうらいもん)・枡形(ますがた)・渡櫓門(わたりやぐらもん)・番所で構成されており、それらは石垣で囲まれていました。
枡形門とは
城郭の出入口に設けられた防御施設で、四角い空間に二つの門を直角に配置し、周囲を石垣や土塁・塀で囲んだ構造が特徴。敵が内部に入り込んだ際には三方からの集中攻撃が可能で、城内への侵入を阻止するための重要な役割を担いました。
多くの場合、外側の門には高麗門、内側の門には櫓門が用いられました。

石垣は隙間なく切込接ぎ(きりこみはぎ)で仕上げられた石垣。
いかにも門がのっていたような形状に見えますが、案内板には「門は現在の日比谷交差点付近にあった」とあるので、門自体ではなく、それに付随する石垣の一部だったんだと思われます。
伊達政宗や加藤忠広らが築いた石垣が現存

公園内から見た石垣の全貌がこちら。
結構見事に残ってますよ!先程の石垣はこの左手の始点にあたる部分です。
手前の池も元々は江戸城の堀の一部。
その堀跡とともに石垣が約90m程続く様は、江戸時代当時の景観とほぼ変っていないのでは。まっ、背後のビル群に目をつぶればですが(苦笑)。
この堀は元々内堀と外堀を繋ないでいたもので、東側の山下門へと続いていました。
それにしても予備知識なしで公園に遊びに来ていたら、石垣は見事に残り過ぎているため、江戸時代の遺構とは気づかないかもしれませんね。

慶長19年(1614年)に日比谷見附周辺の石垣を築造したのは、熊本藩主・加藤忠広。築城名人として知られる加藤清正の3男で2代目藩主です。
その後の寛永5年(1628年)に、仙台藩主・伊達政宗が日比谷門の石垣を構築しています。
この石垣も両者いずれかによる築造でしょう。
石垣の積み方はというと、まず、ある程度石の大きさを揃えたものを継ぎ目を通して布積。
その隙間に間詰石(まづめいし)と呼ばれる小さい石を打ち付けて固定する、打込接ぎ(うちこみはぎ)で仕上げられています。
心字池は日比谷入江の名残りかも!?

石垣造りの土手の上は歩けるようになっているので、ぜひ上がってみましょう。
約400年前の石垣の上にあるベンチに腰掛けて園内を眺められるなんて、なかなか歴史ロマンが感じられるスポットですよ!

土手の向かい池は心字池。心字池とは上から見ると「心」の字の形になっているという、庭園池の様式の一つです。
ところで、天正18年(1590年)に徳川家康が江戸に入府した当時、日比谷一帯は「日比谷入江」と呼ばれる海の一部でした。
仮にその海の一部を埋めずに堀に転用したとしたならば。。。この池も古代の海の名残りかもしれませんね。

公園内の至るところで見かける石垣石には、石を切り出す際に開ける矢穴付きのものも見受けられる。
園内では石垣石はオブジェ的に使われているようだ。

石垣の南端部分。当時の堀はここで屈折して山下門方面に向かっていた。

石には工事の際に付けられた刻印も見られるので、見学の際には是非探してみたい。
写真の刻印は、おそらく熊本藩主・加藤家の家紋として使われた「蛇の目」だと思われます。
江戸城の土木工事は徳川幕府が全国の大名に命じておこなわせた、天下普請によるもの。
特に徳川3代将軍・家光が寛永期におこなった外堀と石垣の敷設は、非常に大規模な工事でした。
工事を担当した藩が自身の石材にしたマーキングは、天下普請で多くの藩が作業に関わった証ともいえます。
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「仙台藩上屋敷跡」名将・伊達政宗の終焉地
心字池の近くには、「伊達政宗 終焉の地」の案内板が立つ場所があります。

慶長6年(1601年)から寛文元年(1661年)まで、この地には仙台藩の江戸の上屋敷があった。
敷地の広さは約3万m2にもおよび、藩祖である伊達政宗から3代藩主・綱宗の時代まで、外桜田上屋敷として使用されました。
諸大名は、参勤交代制度により1年毎に江戸と領地間を行き来しましたが、その際の江戸における大名の居住地が上屋敷。
政宗の時代には徳川家康が3回、2代将軍・秀忠と3代将軍・家光はそれぞれ4回、この屋敷を訪問しています。

伊達政宗が亡くなったのも、参勤交代で江戸に来た際のこと。
伊達政宗の最期
寛永13年(1636年)4月28日、伊達政宗は病を押して参勤交代で江戸に入ります。
道中で既に体調を崩していた政宗の病状は、江戸に到着するとさらに悪化。
5月21日には徳川3代将軍・家光が当屋敷に赴き、病を押して参勤した政宗を見舞っています。しかしその後の24日に政宗は死去しました。
遺体は仙台へ戻された後に葬られています。
大名屋敷が並んだ一等地。幕末には政局を象徴する空間に
日比谷公園一帯は幕末まで大名屋敷が並ぶ武家地で、幕政や警備上も重要な地域でした。

景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』外桜田永田町絵図,尾張屋清七,
嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館デジタルコレクション
一方、幕末になると、政局の緊張を色濃く映すエリアと変貌してゆきます。
日比谷公園からは少し外れますが、古地図の左手にある井伊掃部頭(かもんのかみ)邸は、彦根藩の上屋敷だった場所。
万延元年(1860年)、安政の大獄を進めた大老・井伊直弼がこの屋敷から程近い桜田御門の門外にて、登城途中に水戸浪士らに暗殺された「桜田門外の変」はあまりにも有名。
また、毛利敬親の長州藩邸は、尊王攘夷運動の拠点の一つとして幕府から警戒されました。
長州藩は元治元年(1864年)の「禁門の変」後には朝敵とされ、尊王攘夷運動の拠点の一つとして幕府から警戒され接収の対象となります。
このように幕末の日比谷周辺は、討幕派と幕府側の緊張が交錯しました。

公園内の数ヶ所には、大名屋敷へ水を供給した石桝の遺構を見ることができます。
上水道木管用の石桝の役割
江戸の上水は上水道(神田上水や玉川上水)から、地中に埋められた木樋(もくひ)を使って各所に水が送られました。
水は大通りの各所に設けられた石桝の水槽に一旦溜まり、そこから各大名屋敷や武家地・町屋へと供給されます。
石桝では水量調整がおこなわれたほか、ゴミや砂を沈殿させ簡易的に浄化させる機能や、点検口の役割があった。
現代の水道システムにも繋がるような、計画的な取水システムが既にあったことに驚かされます。
明治のハイカラ文化と「日本初の洋風公園」の誕生
大名屋敷から練兵場へ。日比谷公園に眠る変遷のドラマ
明治に入ると明治政府は広大な大名屋敷地を接収し、陸軍の軍事訓練をおこなう「日比谷練兵場」へと変貌させました。

日比谷練兵場は単なる訓練場ではなく、明治天皇を迎えての大観兵式や、憲法発布を祝う記念パレードなど、国家の威信をかけた軍事イベントの舞台として使用されました。
日本が近代国家・軍事国家へと歩み出した姿を誇示する、象徴的な空間として利用されたわけです。
首かけイチョウに見る、本多静六の公園建設に懸ける執念!
日比谷練兵場は明治時代後半になると、公園としての利用が検討されます。
公園を設計したのはドイツ留学経験を持ち日本初の林学博士の学位を取得している、「日本の公園の父」と称される公園設計の第一人者、本多静六博士(1866~1952年)です。

第一花壇
本多博士はドイツ式庭園を基本として設計をおこない、明治36年(1903年)に日本初の西洋風公園として日比谷公園が開園されました。
心字池などもあるように、造園には和洋折衷の要素も取り込まれています。

本多博士の日比谷公園造園に掛ける熱意を象徴するものが、写真真ん中に写っている「首かけイチョウ」。
現在は松本楼の南側にあるこの大イチョウだが、公園開設までは日比谷交差点脇にあった。
道路拡張のためにイチョウが伐採されようとしているのを見て驚いた本多博士は、東京市参事会の星亨議長に面会を求め直談判。博士の進言によりこちらへ移植された、というもの。
移植不可能といわれていたが、 博士が 「首にかけても移植させる」と言って実行されたもので、強い志をもった人柄が伺えるエピソードとなります。

雲形池
園内の広さは約16.2ヘクタールで東京ドーム約4個分。
公園内には花や緑を楽しめる施設のほか、日比谷公会堂、大音楽堂(通称、日比谷野音)、図書館、テニスコートなどの公共施設があります。
ところで今考えると、官庁街に隣接したこんな都心の一等地に、よくこれだけの広さの緑地公園が造れたよな、って不思議に思いますよね。
その理由は江戸時代までのこの一帯が、海・湿地だったことにあった。地盤がビル建設に向かなかったため公園化された、という理由があったようです。
知る人ぞ知る、公園内に点在する”歴史の断片”
日比谷公園の歴史を感じさせるスポットを紹介します。
※公園内に位置を表示してますので、訪問の際は最後に掲載している園内マップで位置を確認願います。
「松本楼」文明開化の象徴。文豪や革命家が愛した社交場
[公園内 中央部]

日比谷公園開園と同時に開業した「松本楼」は、当時最先端の”洋食”を提供するハイカラな社交場となりました。
そのモダンな雰囲気は夏目漱石や高村光太郎などの文豪にも愛され、また、中国の革命家・孫文が滔天(とうてん)らの支援者と密談を交わした歴史の舞台にもなりました。
名物のカレーは、昭和46年(1971年)の放火による焼失から再建を果たした際、全国からの支援への感謝を込めて始まった「10円カレー」の伝統と共に、今も多くの人々に愛され続けています。
公式サイト
住所:東京都千代田区日比谷公園1-2(GoogleMapで開く)
「旧日比谷公園事務所」明治期の希少な近代洋風建築
[公園内 東側]

「旧日比谷公園事務所」は、明治43年(1910年)に日比谷公園の管理事務所として竣工された建物です。
ドイツ式庭園に相応しくドイツ・バンガロー風の建築物として設計されたもので、明治期の数少ない近代洋風建築の一つとして建築史上貴重なもの。
明治期の面影を残すアークライト灯と水飲み場
[公園内 北側]

アークライト灯
「アークライト灯」は、開園当時に10基設置された鋳鉄製の公園灯の一つ。非常に明るい照明だったといわれます。
照明としてはアークライト灯以外に、ガス灯70基が設置されていました。

水飲み
アークライト灯の西側に残る鋳鉄製の「水飲み」も公園開設当時の物で、アークライト灯とデザイン的に統一されて造られたもの。
記念物として、アーク灯・水飲みの1セットが残されています。
「日比谷公会堂」大震災復興の象徴であるネオ・ゴシック建築物
[公園内 南側]

「日比谷公会堂」は昭和4年(1929年)に開館した日本を代表する公共ホールで、関東大震災からの復興事業の象徴として建設されました。
実業家・安田善次郎の寄付をもとに、建築家・佐藤功一が設計。
戦前から戦後にかけて音楽会や講演会、政治演説など数多くの重要な催しの舞台となり、「音楽の聖地」とも呼ばれました。
歴史的価値の高いネオ・ゴシック様式の建築として知られ、現在は耐震改修のため休館中。2029年の再開が予定されています。
「三笠山」頂上から緑とビル街の共演を楽しむ
[公園内 北側]
最後に公園の北側にある「三笠山」と呼ばれる高台に登ってみます。

三笠山は自然の山ではなく、公園造成時に発生した残土で作られた人工的な山。
当時、笠を伏せた形の山が三つできたたことから三笠山と呼ばれましたが、その内の一つはテニスコートとして整地されたため、現在は二笠山状態となっています。

高さは約9mの小山ですが、頂上からは高層ビル街と公園の緑が同居した、日比谷ならではの都会的な景観が楽しめます。なかなか良い景色ですよ。

奥まった先に残るもう一つの山へ。

こちらにはアメリアから贈られた自由の鐘が設置されています。
このこれは昭和27年(1952年)に、アメリカ合衆国の連合軍総司令官リッジウェイ大将より贈られたものとのこと。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
古地図と現代地図を見比べながら 江戸のなりたちを巡りませんか?
歴史好きならば、東京の街歩きが楽しくなる一冊!
日比谷公園のアクセス情報と、まだある!江戸城をめぐるスポット
日比谷公園マップで散策ルートを確認

地図を参考に、公園内を散策してみてください。
本日最初入園した有楽門は東側にあります。
日比谷公園の詳細情報・アクセス
日比谷公園
公式ページ
住所:東京都千代田区日比谷公園1-6(GoogleMapで開く)
開園日:常時開園 ※サービスセンター開所時間 8:30~17:30(除、年末年始)
入園料:無料(一部有料施設あり)
アクセス:
電車)
・東京メトロ丸ノ内線・千代田線「霞ヶ関駅」下車、B2出口すぐ
・東京メトロ日比谷線・千代田線・都営地下鉄三田線「日比谷駅」下車、A10・A14出口すぐ・東京メトロ有楽町線「桜田門駅」下車、出口5から徒歩5分
・JR「有楽町駅」下車、徒歩8分
車)
・有料の地下公共駐車場あり(日比谷自動車駐車場の公式ページ)
丸の内風辺ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
まだある!旧江戸城の遺構が残るスポット
居東御苑
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※大手門までは徒歩約25分(1.5km)。電車の場合は、「日比谷駅」から都営地下鉄三田線乗車約1分にて、「大手町駅」下車。
皇居周囲の内堀をめぐる
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しかしその足元には、江戸城を守った強固な石垣が眠り、幕末の志士たちが日本の未来を語り合った大名屋敷の記憶が刻まれています。
都会の喧騒の中に息づく、江戸・明治・大正の幾重もの歴史が重なり合った記憶。
次の休日はぜひ、この記事を片手に日比谷公園を歩いてみてください。かつてこの地を駆けた歴史の主役たちの足音が、きっと聞こえてきますよ!
記事の訪問日:2024/4//21

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