近代日本経済の父と呼ばれ、新一万円札のデザインにも採用された渋沢栄一。
その人物像に触れることができる、渋沢栄一の生誕地・埼玉県深谷市にある渋沢栄一記念館に出かけてみました。
記念館では貴重な資料の見学ができるほか、なんと渋沢栄一そっくりの非常にリアルなアンドロイドによる講義も聴けるんですよ!
そんな記念館の見どころと、その近隣にある、若き栄一が学問の師として学び通った尾高惇忠の生家を紹介します。
目次
「渋沢栄一記念館」ゆかりの遺墨や写真を展示
渋沢栄一は約500社の企業に関わった近代日本経済の父

渋沢栄一の生家にも程近い場所にある「渋沢栄一記念館」は、平成7年(1995年)に開館した深谷市立の博物館施設です。
2階建ての重厚な建物で、入口の巨大な円柱が印象的でした。

記念館の1階には資料室があり、渋沢栄一ゆかりの遺墨や写真などの多くの資料を通して、その功績をたどることができます。
ちなみに、資料室内の撮影は不可でした。
ここで渋沢栄一の略歴をご紹介。
渋沢栄一(1840~1931年)
■天保11年(1840年)に、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に誕生。
畑作や藍玉の製造・販売、養蚕などの家業を手伝うかたわら、幼少から父より学問を習う。
後には従兄弟であった尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)からは「論語」などを学ぶ。
■幕末になり一橋慶喜に仕え、次第に認められてゆく。
慶応3年(1867年)の27歳の時、15代将軍・徳川慶喜の実弟で後の水戸藩主・徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会見学をはじめ欧州諸国に随行。
■帰国後、静岡に商法会所を設立した後、明治新政府に招かれ大蔵省の一員となる。
■明治6年(1873年)に大蔵省を辞して、「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)に就任。民間経済人としての活動がスタートされる。
■その後は第一国立銀行を拠点におき、株式会社組織による企業の創設・育成に注力。
「道徳経済合一説」を説き、生涯に約500もの企業に関わったといわれる。
また、約600の教育機関・社会公共事業の支援に尽力。
■昭和6年(1931年)に91歳の生涯を閉じた。
関わった企業の数が500社というのは凄いですね!「近代日本における資本主義経済の父」と呼ばれているのも納得。
また、企業の儲けと公共の利益を両建てで追求した点も、多くの共感を呼びました。
リアルな栄一アンドロイドの講義が聴ける!

そしてそして、記念館の2階の講義室では、なんと渋沢栄一アンドロイドによる講義が聴けるんですよ!
本日はこれを目当てにやってきたので、どんなものなのか非常に楽しみです。
見学枠がまだ空いていたので当日入場できましたが、基本は事前予約制なんですね。
入場人数に限りがあるため、予め予約しての訪問が無難のようですよ。
渋沢栄一アンドロイド講義の事前予約に関しては、下記のページを参照。
渋沢栄一記念館等の見学予約について(渋沢栄一記念館のホームペ-ジ)

館員の方による説明の後、いよいよ渋沢栄一アンドロイドによる講義の始まりです。
本物そっくりと言われるアンドロイドは、生誕180年にあたる令和2年(2020年)に作られたもの。
深谷市出身であるドトールコーヒーの名誉会長、鳥羽博道氏の寄付により制作されたものなんですって。
こちらは写真撮影OKなのがありがたい!

講義の題材は、渋沢栄一が大正12年(1923年)に語った「道徳経済合一説」を現代風にアレンジしたもの。
アンドロイドの風貌は、当時84歳だった栄一の姿が忠実に再現されているそうだ。

それにしても、アンドロイドの細やかな動きにはびっくりですね。
身振り手振りを交えつつ細かい表情の変化もあり、実にリアルな動きです。
音声も現存する肉声を元に、声が似ている声優さんを探して録音したというこだわり様だ。

講義終了後に、アンドロイドと一緒に記念撮影ができたりするのも楽しい。お子様はちっと怖がってましたが(苦笑)。
傍らには山高帽がありますが、栄一はこれをこよなく愛し季節を問わず被っていたらしいですよ。
ということで、なかなか貴重な体験でした。

2階フロアには、渋沢栄一の肉声を実際に聞けるコーナーが設けられていました。
記念館裏手には大きな渋沢栄一像

外には大きな渋沢栄一の銅像がありますが、裏手にあるので見逃さないように注意ですね。

栄一像は生れ故郷である血洗島の方角を望んで立っています。
\ 渋沢栄一の生誕地にある”中の家”の詳細はこちら!/
渋沢栄一記念館の詳細・アクセス
渋沢栄一記念館
公式ページ
住所:埼玉県深谷市下手計1204(GoogleMapで開く)
利用料金:資料室・講義室の見学は無料
見学時間:資料室 9:00~17:00、講義室(アンドロイド) 9:30~16:00(最終講義は15:30から)
休館日:年末年始(12月29日~1月3日) ※ただし清掃等による臨時休室有り。ホームページで確認してお出かけ下さい。
アクセス:
電車)
・JR「深谷駅」からタクシー約16分、JR「岡部駅」から約16分
・JR「深谷駅」からコミュニティバス「くるリン」北部シャトル便乗車・渋沢栄一記念館行き乗車にて約25分、「栄一記念館」下車
車)
・関越自動車道「花園IC」から約40分、「本庄児玉IC」から約30分
・北関東自動車道「太田藪塚IC」から約40分
・無料駐車場あり(179台)
「鹿島神社」 栄一の師・尾高惇忠を称える碑

渋沢記念館見学の後は、博物館からは1km程離れた場所にある、栄一の師であった尾高惇忠の旧生家の見学に向かいます。
道中は畑に囲まれた、のどかな雰囲気の道でした。
途中にあった旧下手計村の鎮守「鹿島神社」も、渋沢栄一と尾高惇忠ゆかりの地です。
鹿島神社は天慶年間(10世紀)に、平安時代の皇族・武将である源経基(つねもと)の家臣・竹幌太郎が祀ったのに始まると伝わります。

本殿は文化7年(1810年)の建築物で、拝殿の方は明治14年(1881年)に建てられたものです。
その拝殿に掛かる社名が書かれた扁額は、渋沢栄一筆によるものなんですよ。これは貴重ですね!

境内には尾高惇忠の人となりや業績を伝える「藍香尾高翁頌徳碑(らんこうおうしょうとくひ)」があります。
”藍香(らんこう)”は尾高惇忠の雅号で、今でいうところのペンネームですかね。ちなみに栄一の雅号は”青淵(あおぶち)”で、これは尾高惇忠が命名したものなんですよ。
碑は明治42年(1909年)に渋沢栄一ら有志によって建てられました。
除幕式には渋沢栄一をはじめ、協賛者した名士が多数参加したとのことです。

石碑の題字は、最後の江戸幕府将軍として知られる徳川慶喜によるもの。これまた貴重ですなあ。
渋沢栄一がかつて仕えた徳川慶喜は、栄一の尊敬する人物でもありました。

境内の大欅(けやき)。
欅の幹の中が空洞になっており、その底にはかつて井戸が湧いていたそうだ。ふ~む、なんだか不思議な状況ですねえ。
その神水を使い共同風呂が設けられ、栄一の母・栄はこれを汲んで、らい患者の背を流したと伝わります。
鹿島神社は大きな神社ではないですが、貴重な歴史が詰まっている場所でした。
鹿島神社
住所:埼玉県深谷市下手計1145(GoogleMapで開く)
※渋沢栄一記念館より徒歩約4分(約300m)、尾高惇忠生家より徒歩約10分(約600m)
「尾高惇忠生家」高崎城の乗っ取りを計画した場所!?

鹿島神社よりさらに500~600m程歩くと「尾高惇忠生家」に到着です。
渋沢栄一は少年時代から、尾高惇忠に論語をはじめ多くの学問を師事しました。
惇忠は元々従兄にあたる間柄でしたが、後に栄一が惇忠の妹・千代と結婚したため、惇忠は義兄となりました。

尾高惇忠(1830~1901年)
■深谷市下手計に生まれる。17歳で自宅に塾を開き、近隣の子供達に教えた。
■水戸学の影響を受け尊皇攘夷思想を抱き、幕末に栄一らと討幕を計画。
栄一が徳川慶喜に仕えたのをきっかけに考えを改めてゆく。
■明治維新後は民部省に招かれ、富岡製糸場の設立に尽力。設立後は初代場長を務める。
第一国立銀行の盛岡支店支配人や仙台支店支配人なども務めた。
渋沢栄一に学問の師として大きな影響を与えた人物であり、尾高惇忠もまた栄一からは大きな影響を受けたようですね。

建物は惇忠の曽祖父である磯五郎が江戸時代後期に建てたもので、この地方の商家建物の特徴を残す貴重な建造物とのこと。
中には上がれませんが、土間側から建物内部を見学することができました。

幕末に渋沢栄一は尊王攘夷論に共鳴し、尾高惇忠や従兄の渋沢喜作らと、なんと高崎城の乗っ取りを謀議しています。
その話し合いが、ここの2階でおこなわれたらしいですよ。へぇ~、ですね。
乗っ取り計画は結局未遂で終わっています。

明治30年頃建てられた裏手の煉瓦倉庫には、渋沢栄一が設立した「日本煉瓦製造社」の煉瓦が使われている可能性があるらしいです。
尾高惇忠生家
公式ページ
住所:埼玉県深谷市下手計236(GoogleMapで開く)
見学時間:9時~17時
休館日:年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:無料
アクセス:
※渋沢栄一記念館からは約1km弱離れており、歩くと約10分強掛かります。
電車)
・JR「深谷駅」からタクシー約15分/JR「岡部駅」から約15分
・JR「深谷駅」からコミュニティバス「くるリン」北部シャトル便・渋沢栄一記念館行き乗車にて約23分、「下手計壁ヶ谷戸」下車、徒歩約200m
車)
・関越自動車道「花園IC」から約40分、「本庄児玉IC」から約30分
・北関東自動車道「太田藪塚IC」から約40分
・無料駐車場有り
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住所:埼玉県深谷市血洗島247-1(GoogleMapで開く)
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誠之堂・清風亭
住所:埼玉県深谷市起会110番地1(大寄公民館敷地内)(GoogleMapで開く)
※渋沢栄一記念館から徒歩約30分(約2km)。コミュニティバス”くるリン”北部シャトル便の最寄りバス停は「誠之堂・清風亭」
諏訪神社
旧渋沢邸・中の家から歩いて5分くらいの場所にある血洗島の鎮守社で、渋沢栄一が少年時代から親しんだ神社。
栄一の喜寿を祝い氏子により建立された「渋沢青淵翁喜寿碑」や、栄一が寄進した拝殿を見ることができます。
~食事処~
麺屋忠兵衛 煮ぼうとう店
旧渋沢邸・中の家の隣にある、渋沢栄一も好物だったという深谷名物の煮ぼうとうが食べられる店。
中の家の見学の際に寄りやすい場所にあり、渋沢栄一直筆の掛け軸が見れたりするのも貴重。
素朴な味わいながら、美味しい煮ぼうとうはオススメ!
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