徳川家康が晩年の大御所時代を過ごしたのが駿府城。
そして本人の遺言に従い駿府の地に創設された久能山東照宮には、徳川家康が東照大権現として祀られています。
境内には江戸時代初期に造営された多くの建物が、ほぼ当時の姿のまま残っており貴重。
その中心となるのが権現造りの御社殿で、東照宮の創祀社に相応しい煌びやかな建物は国宝指定されています。
境内をめぐると家康の人となりにも出会える、久能山東照宮の見どころと歴史を紹介。
目次
「久能山東照宮」遺言により徳川家康が埋葬された東照宮発祥の地
経路はロープウェイか1159段の石段

さて、久能山の山上にある久能山東照宮へのアクセスですが、車では直接行けない場所となっています。
久能山東照宮へのアクセス方法は2つ
■車もしくはバスで久能山下へアクセスし、そこから表参道の石段を1,159段登り至る方法。
■車もしくはバスで日本平まで行き、そこからロープウェイで久能山に渡る方法。
この2つです。
時間が許せば是非とも表参道の石段を攻めたいところですが、今回は時間の都合もあり日本平からのロープウェイで目指すこととしました。

ロープウェイはそこそこ順番待ちが発生しており、20分くらい並びました。
訪問時はNHK大河ドラマ「どうする家康」の放映期間中だったので、その集客効果もあったのかもしれませんね。
久能山は桜の名所なので、季節的にはこれからさらに混みそう。
やがてドア部に金色の三つ葉葵紋が輝く、大名籠をイメージした綺麗なゴンドラが到着。
2019年末におこなわれた30年振りの入替えにより、デザインが一新されたものなんだそうですよ。
では大名気分で久能山駅への約5分間の空中散歩へ出発!
日本平ロープウェイ
公式ページ
住所:静岡県静岡市清水区草薙597-8(GoogleMapで開く) *住所は日本平駅の住所
運行時間:日本平駅発 9:10~16:45 / 久能山駅発 9:30~17:00
※片道5分、上記時間中10~15分間隔で運行。
一般運賃:大人(中学生以上) 往復1,250円・片道700円 / 小人(小学生以下,4~12才) 往復630円・片道350円
アクセス:
電車)
・JR「静岡駅」からバスで約50分
・JR「東静岡駅」からバスで約30分
・JR「清水駅」からタクシーで約15分
車)
・東名高速「日本平久能山スマートIC」から約20分、「清水IC」から約30分
・新東名「静岡IC」 から約30分
・富士山静岡空港から約65分
・日本平山頂に無料駐車場有り(200台)
かつて武田信玄の久能城があった

ガラス面が多く見通しの良いゴンドラの窓からは、切り立った断崖絶壁の険しい山肌と深い谷が良く見えました。
ちなみに久能山は標高270mの山なので、標高307mの日本平からは下って進みます。

久能山駅への到着時にちょっと注目したいのが、ホーム脇のこちらの石垣。
戦国時代、久能山には武田信玄が築城した「久能城」があり、これはその久能城のニノ丸の石垣跡とのこと。
久能山の歴史
■平安時代初期:久能寺が開創され、山上には多くの僧坊が建立されました。
■南北朝時代~室町時代:戦乱の際に兵が立て籠もるなど、寺院城郭の一面を持つに至る。
■永禄2年(1569年):駿府に攻め入った武田信玄は寺院を移し、本格的な山城・久能山城を築城。小田原北条氏・徳川氏への備えの拠点とした。
■天正10年(1582年):武田氏が亡んだのち駿河国一帯が徳川氏の領有地となり、久能山も徳川氏のものとなる。
■元和2年(1616年):大御所・徳川家康が駿府城にて死去し、家康の遺言により御尊骸を久能山に埋葬。
2代将軍・秀忠が山上に本殿等諸建造物の造営を命じ、久能城を廃し久能山東照宮を創建。
しかし武田信玄は、よくこんな断崖絶壁の山上に城を築きましたね。
ここからは駿府の町は全く見えないため、眼下に広がる駿河湾の海上を監視するために築いた城だった、と考えられています。
江戸時代初期の建築物が多く現存

拝観料を払って境内に入ります。
石段の先に大きな朱色の楼門が見えてくると、東照宮に来たな、という実感が湧いてきますね。

幸運なことに久能山東照宮は戦中の空襲などの被害を受けていないので、多くの建造物がほぼ江戸時代当時の姿のまま残っています。
この「楼門」も元和3年(1617年)に建造されたもので 国重要文化財に指定されています。
久能山東照宮は徳川秀忠が家康の遺言により創建

久能山東照宮は、徳川家康を祭神として祀る神社です。
江戸幕府の初代将軍である徳川家康は、1603年に江戸幕府を開設した後、武家諸法度の制定などを通じ約260年続く「太平の世」の礎を築きました。
将軍職を退いて大御所となった晩年は駿府城を居城とし、そこで元和2年(1616年)4月17日、75年の生涯を閉じます。
家康は生前に、自分の死後は”遺体は駿河国の久能山に葬り、一周忌が過ぎた後に下野の日光山に小堂を建てて勧請する”ように、家臣に指示していました。
その命により徳川2代将軍・秀忠が久能山に創建したのが、久能山能山東照宮です。
楼門にかかる「東照大権現」の扁額は、当時の天皇である後水尾(ごみずのお)天皇の筆によるもの。
そのため勅額御門(ちょくがくごもん)とも呼ばれています。
\ 駿府城の詳細についてはこちら!/

楼門の蟇股(かえるまた)には愛嬌を感じさせる動物がいますが、これは獏(ばく)なんですって。
獏は夢を食べる動物なんていわれますが、古代中国では鉄や銅を食料とする動物とされています。
争いの世になると鉄は武器に使われるので、獏の食料が無くなってしまうという。
なので、獏が居る世は平和な世であることを表しているとのことだ。う~む、深いなあ。
後水尾天皇(1596~1680年)
江戸時代初期の第108代天皇で、在位は1611~1629年。
徳川幕府の成立期に即位し、朝廷の権威が制約される中でも文化的存在感を発揮。紫衣事件では幕府の介入に抗議して譲位し、天皇の自律性を示した点が特筆される。
和歌・書・茶道などに優れ、宮廷文化の復興に尽力。譲位後も上皇として院政的影響力を保ち、後の皇室文化の基礎を築きました。
徳川家康は享年75歳の長寿だった

楼門のたもとには「家康公御手形」が置かれています。
手を重ねて大きさを比べたりもでき、徳川家康を人としてリアルに感じられる興味深いスポットであります。
当時38歳だった家康の手形からは、その身長が155~159㎝だったことが推定できるとのこと。
天下人は割と小柄だったようですね。

楼門の先にある、家康の愛馬が飼われていたという神厩(しんきゅう)
徳川家康の享年である75歳は、当時の平均寿命を大きく上回る長寿でした。
家康は自ら薬を調合するほどの「健康オタク」。また、晩年まで好んで出かけた鷹狩も健康法の一つだったといわれています。
それらの体への気配りが、長寿につながったのかもしれませんね。

愛馬亡き後は左甚五郎作と伝わる木像の神馬が納めらています
そんな徳川家康の死因については「鯛の天ぷらによる食あたり」説が有名。鯛の天ぷらは家康の好物だったもの。
しかし幕府の公式記録「徳川実紀」に記された症状を現代医学の観点から考察すると、その死因は進行した胃ガンだった、とする説が有力のようです。
徳川家光命の五重塔が建っていた

こちらは楼門を抜けた右手にある、木組みや文様の色彩が美しい「鼓楼(ころう)」。
元々は鐘つき堂(鐘楼)でしたが、明治の神仏分離の際に鐘を太鼓に入替えたとのこと。
鐘があるのは寺院、神社で時を知らせるものは太鼓、という見なしが当時はあったようです。

神厩の隣に石の土台と礎石が残っていますが、かつてここには徳川3代将軍・家光命による見事な五重塔があったといいます。
こちらは明治時代に仏教的として撤去されてしまったというのが、実に惜しい。
境内は人気の桜の花見スポット

”しだれ桜”が参道に春らしい彩りを添えていました。

久能山東照宮では、12月下旬から早咲きの桜が咲き始めます。
そして3月中旬から”しだれ桜”が咲き、その後”鹽竈(しおがま)桜”・”八重桜”とリレー式に開花が続き、4月中旬まで桜が楽しめるとのこと。これは長く楽しめて良いですねえ。
「唐門」彫刻が施された華やかな門

石段の上が玉垣に囲まれた社殿エリアですが、その入口に構えるのが「唐門」。
煌びやかな装飾が施された朱色の門です。

正面に顔だけぬっと突き出ているのは龍かな?獅子かな?ちょっとユーモラスに見える出で立ちです。
青を基調とした彫刻群には、落ち着いた雰囲気の美しさがあります。

羽目板彫刻に描かれていたのは黒松に鳥。
黒松は生命力が強く、長寿と繁栄を象徴する縁起の良い木といわれています。

こちらに描かれているのは、魔除けの役割を持つ唐獅子。
「御社殿」権現造りの原型を成す国宝指定の建築物

唐門を抜けた先にあるのが、久能山東照宮の中心的な建造物である「御社殿」です。
煌びやかな装飾が施された御社殿は元和3年に建立された建造物で、国宝指定されています。
社殿は拝殿と本殿の両殿を石の間でつなぎ一体化した、権現造(ごんげんづくり)の様式。
権現造は全国の東照宮をはじめ多くの社殿で用いられていますが、久能山東照宮が最古の東照宮建築であり原型となります。

社殿の造営は家康の側近であった大工棟梁、中井大和守正清(なかい やまとのかみ まさきよ)によるもの。
家康は生前その手腕を高く評価しており、「何事も御普請方之儀、大和次第」と言って全幅の信頼を寄せていました。
中井大和守正清は久能山東照宮の造営が終わった後、家康の後を追うようにすぐ亡くなっています。
中井大和守正清(1565-1619)
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した、徳川家康付きの大工頭。大和国(現、奈良県)出身。
建築家としては当代随一の手腕を持ち、徳川家の主要な建築事業を多く統括。
主な実績は江戸城・名古屋城・二条城の築城、久能山東照宮の造営、京都御所の修営など。
数千人の職人を束ねる行政官としての能力も高く、近畿一背の諸職人を支配する権限を持つなど、江戸幕府の建築組織の基礎を築いた人物です。
儒教の影響が色濃い極彩色の彫刻群

社殿の大きな見どころは、建物周囲に施された数々の彫刻。
写真は「司馬温公の瓶割り」と呼ばれるもので、昔の中国の政治家である司馬温公(しばおんこう)の子供時代の逸話が題材のもの。
貴重な瓶に一人の子供が落ちたが、これを迷うことなく石で瓶を割って助けたという話。
命はどのような高価な物よりも大切、との教訓を表すもの。

その隣には中国古代の思想家である孟子・孔子・老子が描かれており、終生勉強が大事!のメッセージが込められているとのこと。
全体的に儒教の影響を受けたものが多いようです。

拝殿の柱から延びている彫刻は「籠彫り」と呼ばれるもので、丸木の外側と内側を掘って、空洞化して透かす技法です。
これは素人目で見ても超絶技巧の世界を感じさせますね。
本殿屋根に一つだけ逆さ葵紋がある!?

拝殿で参拝した後は社殿の脇を抜けて、奥まった高台に位置する家康の墓所に向かいます。
と、その途中に本殿側を見上げて、多くの人が立ち止まる箇所があるんですね。
その理由は。。。本殿の屋根周りには徳川家家紋の葵紋(あおいもん)が無数に施されていますが、なんと!この中に一つだけ逆さ葵があるというんですね。
これがなかなか探すのがなかなかムズい(苦笑)。「あそこ!」「えっ、どれ?」、周囲の声にも聞き耳を立てつつ探すことしばし。

あった!あれですね。見つかって良かったわ、ほっ。
未完成部分をあえて残すことには、更なる発展への願いが込められていると伝わります。
間違い探しを楽しむ、というのが目的ではなかったようですよ(苦笑)。
そういえば日光東照宮の陽明門にも、逆さ模様の柱が1本だけありましたね。

神廟(しんびょう)へと続く廟所参道は高い位置にあるので、振り返ってみると社殿全体の様子がわかりやすいです。
写真手前側が本殿、右手奥が拝殿側です。
「神廟」徳川家光命による徳川家康の廟

参道の両脇には、家康に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が並びます。

その先の石段を上がり切った先が「神廟」エリアで、徳川家康の墓所がある場所。
社殿エリアの煌びやかさとは対照的に、簡素で厳かな雰囲気の空間です。

こちらに立つのが家康の遺骸が埋葬された廟です。改めて合掌。
石塔は徳川3代将軍・家光命によるもので、高さは5.5m・外廻りが8m。
神廟は家康の遺命により西向きに建てられており、その西には生誕地である岡崎城、さらに先には大阪・京都へと続く方角となります。
神廟内には家康の御遺訓の掲示がありました。
人の一生は重荷おもにを負をひて遠き
道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望のぞみおこらば困こん窮きゅうしたる
時を思ひ出いだすべし 堪忍かんにんは無事ぶじ
長久ちょうきゅうの基もとい いかりは敵とおもへ
勝事かつことばかり知しりてまくる事をしら
ざれば害がい其その身みにいたる おのれ
を責せめて人をせむるな 及ばざる
は過すぎたるよりまされり
有名な遺訓ですね。
幼い頃から人質生活を送った、苦労人ならではの言葉で綴られています。
(家康本人によって書かれてものかについては、諸説あり)

神廟裏手の南隅には、家康の愛馬が埋葬されていると伝わります。

神廟右手にある楠の大樹は「金の成る木」と呼ばれているらしい。
思わず「なになに?」と身を乗り出してしまいましたが、これは家康が家臣たちに話したある遺話に重ねられたものとのこと。
家康は自ら「金の成る木」として筆で3本の木を描いた。
「よろず程のよ木」「志ひふかき(慈悲深き)」「志やうぢ木(正直)]と書き、「これを常々信用すれば必ず富貴が得られよう」と言ったといいます。
幼少期は今川氏や織田氏のもとで人質生活を送るなど、苦労人だった家康の忍耐強い一面を感じさせますよね。
「久能山東照宮博物館」家康の愛刀”三池の刀”など

境内の外にある「久能山東照宮博物館」には東照宮伝世の物を中心に、家康の身近な愛用品や徳川歴代将軍の武器・武具などが多く展示されています。
見学は有料ですが、貴重な展示物か多いのでぜひ立寄ってみたいスポットです。
展示物の目玉は、家康の愛刀だった九州の名工・三池典太作と伝わる「三池の刀」。
戦国武将としての家康の気質を象徴する名刀の一つで、徳川家の重宝として伝来したものです。
その他で興味深かったのは、家康の愛用品だったという洋時計。
当時こんな精巧な時計が既に伝来してたんだ、と驚くとともに、家康の新し物好きの一面が垣間見れます。
ちなみに館内は撮影不可でした。
山本勘介築造と伝わる武田氏時代の井戸跡

石階段のある表参道方面も少し歩いてみました。

「勘介井戸」と呼ばれる石垣積の井戸跡は、武田信玄の軍師として名高い、かの山本勘介が掘ったと伝わるもの。

久能山下から続く石段の出入口にあたる「一ノ門」は、久能城時代には大手門があった場所。
現在は工事中のようで、景観的には少々残念な感じでした。
戦国時代は軍事拠点となった駿河湾、江戸時代は物流の要所に

門の外に出ると。。。おー、これが表参道の1,159段の石段ですね!結構皆さん頑張って登っていらっしゃる。
眼下に駿河湾が広がる開放的なこの景観も、久能山東照宮の魅力の一つといえます。

戦国時代の駿河湾は、海のない甲斐国の武田氏が海上進出を図るために進出するなど、軍事的な役割を持ちました。
江戸時代になり徳川家康が駿府に隠居すると、駿河湾は江戸と上方(京都・大坂)を結ぶ海上交通の重要拠点となります。
特に清水湊は年貢米が集まる「幕府の御用港」として、江戸の経済を支える巨大な物流拠点でした。
金の成る木の御朱印

杉の木で作られた「金の成る木」の御朱印。
お金が成るよう、家康公に習い「正直・よろず程のよ木・慈悲深き」の実践を心掛けたいと思います。
ロープウェイ・日本平駅で「大御所御膳」を頂く

ランチはロープウェイ日本平駅舎の2階レストランの「はなあおい」で、看板メニューの大御所御膳を頂きました。美味しいうえに、結構ボリュームもありオススメです。
日本平まで上がってしまうと食事処は少ないので、こちらのレストランは利用しやすい場所にあり便利でした。
静岡市ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
タモリさんならではの視点で、富士山の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
タイトル通り、いまいちばん美しい日本の絶景写真が楽しめます!
その場所・その季節・その時間帯などの組合わせが創り出す絶景。
久能山東照宮の詳細情報・アクセス
久能山東照宮
公式ページ
住所:静岡県静岡市駿河区根古屋390(GoogleMapで開く)
拝観時間:9時~17時(博物館の最終入館時間は16時45分)
拝観料:社殿)大人500円 子供200円、博物館)大人400円 子供150円、共通券)大人800円 子供300円
※大人は高校生以上、小人は小学生・中学生
アクセス:
電車)
・JR静岡駅より、しずてつジャストライン石田街道線にて終点「東大谷」下車(約40分)、久能山下行きバスに乗り換え、終点「久能山下」下車(約15分)。1159段の石段を登り約20分。 ※日に数本「静岡駅」から久能山下行きのバス(約50分・乗換無し)も有り。
・JR「静岡駅」からバスで約50分、又はJR「東静岡駅」からバスで約30分、又はJR「清水駅」からタクシーで約15分で日本平へ。ロープウェイで久能山へ約5分
車)
・久能山下から石段で登る場合) 日本平久能山スマートインターより約20分、久能山下、1159段の石段を登り約20分。 *駐車場は久能山下周辺の民間駐車場を利用
・ロープウェイ利用) 日本平からロープウェイで久能山へ約5分。
お得なチケットについて
ロープウェイで往復して東照宮拝観と東照宮博物館に入館する場合は、日本平駅で「ロープウェイ往復+東照宮拝観+東照宮博物館入館の3点セット券:1,950円」を購入した方が、「ロープウェイ往復:1,250円+東照宮で共通券:800円を購入」するより100円安くてチョイとお得!
※参拝には最低拝観料が発生します。

久能山東照宮に参拝に行こう!
徳川家康公が眠る東照宮の創祀社・久能山東照宮には、国宝指定の御社殿をはじめとした重厚な建物群が並び見応えがありました。
一方、駿河湾を望む風光明媚な景観のせいか、日光東照宮と比べても、カラッと乾いた感じの空気感を感じたりもしました。
そんな久能山東照宮に参拝に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2023/3/18

周辺おすすめスポット(日本平夢テラスほか)
日本平夢テラス

ロープウェイ日本平駅の近くにある展望施設で、富士山をはじめ駿河湾・静岡市街地など360度の眺望が望めます。ガラス張りで開放的な建物が素敵ですよ。
カフェでは日本茶や日本茶を使った、静岡ならではの軽食やスイーツが楽しめます。

訪問日は生憎の雲で残念でしたが、雲の無い日は裾野を延ばす素晴らしい富士山の雄姿が拝めます。
日本平夢テラス
公式ページ
住所:静岡県静岡市清水区草薙600-1(GoogleMapで開く)
定休日:無休 ※毎月第2火曜日及び年末(12/26~12/31)は休館日です。
営業・利用時間:無休、月火水木金日:9時~17時 / 土 9時~21時、展望回廊は終日入場可
アクセス:
電車)
・JR「静岡駅」からバス・静岡日本平線で約40分終点「日本平石碑前」下車
・JR「清水駅」からバス・山原梅蔭寺線で約30分「久能山下」下車、日本平ロープウェイ乗車にて
車)
・東名高速道路「静岡IC」から約25分、又は「日本平久能山スマートIC」から約20分
・駐車場:普通車 200台
駿府城跡
徳川家康が大御所時代を過ごした駿府城で天守台の発掘調査がおこなわれたところ、大御所時代から約20年さかのぼった時代の天守台が発見されました。これは歴史ロマン!
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駿府城公園
住所:静岡市葵区駿府城公園1-1(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR「静岡駅」から徒歩約15分
・静岡鉄道「新静岡駅」から徒歩約12分
車)
・東名高速「静岡IC」より約17分
・新東名高速「新静岡IC」より約18分
・専用駐車場無し、市民文化会館前駐車場(有料)等を利用。
静岡浅間神社
こちらで元服式をおこなったという徳川家康はゆかりの神社。江戸幕府が巨費を投じて造営した社殿がは一見の価値があります。
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静岡浅間神社
住所:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・静岡鉄道「新静岡駅」より、約1.6km(徒歩約20分)
・JR「静岡駅」より約2.5km(徒歩約30分)
・JR「静岡駅」より、しずてつジャストラインバスの安倍線又は美和大谷線で乗車8分、「赤鳥居 浅間神社入口」下車
・JR「静岡駅」より、駿府浪漫バス線乗車約30分、「浅間神社」「赤鳥居 浅間神社入口」下車
車)
・新東名高速道路「新静岡IC」より約15分
・東名高速道路「静岡IC」より約20分
・専用第一駐車場あり、80台。参拝目的以外の駐車は不可。駐車時間は30分。




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