徳川家康は江戸幕府を開いたことから江戸在住期間が長そうですが、実は生涯で最も長い期間を過ごしたのが駿府なんですね。
そんなゆかり地にある、家康が大御所時代を過ごした駿府城。
その駿府城跡では天守台の発掘調査がおこなわれていますが、そこで大御所時代から約20年さかのぼった時代の天守台があわせて発見されました。これは歴史ロマン!
現在の駿府城の話題を交えつつ、駿府城と徳川家康の歴史をふり返りながら駿府城の見どころを紹介します。
目次
「駿府城」徳川家康が2度築城した城をめぐる
徳川家康は駿府に江戸よりも長く在住した
徳川家康が江戸幕府の将軍職を退いた後、大御所時代を過ごしたのが駿府(すんぷ)。
駿府は家康(幼名・松平竹千代)が、幼少期から19歳まで今川氏の人質となっていた地でもありました。
徳川家康の江戸暮らしは、江戸城に入城してから将軍職を退くまでの約15年間。
対して駿府で暮らしたのは延べ25年間で、江戸在住期間よりさらに長かったというのはちょっと驚きです。
駿府は駿河国にあった都市で、現在の静岡市葵区の中心市街地にほぼ相当します。
その中心的な存在で、徳川家康ともゆかりが深かった駿府城跡を訪ねます。
徳川家康を題材にしたNHK大河ドラマ「どうする家康」が放映されており、家康を知るには良い機会だなと、そんな動機もあったりしました。
ニノ丸堀に囲まれた駿府城公園
静岡駅から約2km弱くらい歩くと、お~、この辺りですね。
水堀越しに石垣が見え、城跡らしい佇まいが現れてきました。二ノ丸周囲を囲む堀の形状が良く残っていますね。
かつての本丸・二ノ丸跡が、現在は「駿府城公園」として整備されています。
ちなみに堀の外側は旧三ノ丸にあたり、静岡県庁をはじめ官庁や学校が立つエリアになっています。
二ノ丸南東に位置する、駿府城跡のシンボルとして復元された「東御門と巽櫓(たつみやぐら)」が現れてきました。
雰囲気のある木橋も架かり、この辺りが公園内で最も”お城然”とした佇まいが感じられる景観でした。
三ノ丸から二ノ丸に通じる門は東西南北の四方にあり、東御門もその一つ。
ちなみに南側の門が、正面入口にあたる大手御門でした。
櫓台の石垣の上部は下部と比べて綺麗なので、復元時に積み直されたものっぽいですね。
「東御門」寛永期の枡形門を復元
東御門の正面。
右手の櫓は東御門の上の渡り櫓で、左手が巽櫓(たつみやぐら)です。
駿府城が最初に築城されたのは天正13年(1585年)で、駿府周辺5カ国の大名となった徳川家康が居城として築いた時。
築城後直ぐに(嫌がらせのように。。。)、豊臣秀吉は家康に関東への国替えを命じます。秀吉が力を付けた家康を脅威と考えて左遷させたのではないか、といわれていますよね。
しかし徳川家康は秀吉の目論見に反して、天下統一して江戸に幕府を開きました。
そして最初に駿府城を築城した約20年後の慶長12年(1607年)、将軍職を退いた家康は再び駿府に戻ります。
全国の大名に天下普請による工事を命じ、5重(又は6重)7階建ての天守を持つ新駿府城へと拡張。
やはりこの地には、未練があったんでしょうなあ。
東御門は平成8年(1996年)に復元された門で、当時は主に重臣たちの出入り口として利用された門とのこと。
二ノ丸堀の橋を渡った先の高麗門を抜けると、周囲を多門櫓に囲まれた”枡形”と呼ばれる四角い空間に入ります。
石垣により直進が阻まれたところを周囲から狙い討つ、「枡形門」と呼ばれる防御の形態がとられています。
元々は天守と同時期に築造された門でしたが、寛永12年(1635年)に城下から発生した大火で天守ともども焼失。その後の寛永15年に再建されました。
現在の建築物は再建時の門を目指して復元されたものです。
太い柱を持った堅牢な造りで、ガシッとして威圧感が感じられます。
家康が天正時代に築いた天守台跡が発見された!?
櫓門をくぐった先の石垣には、鑑石となる大きな石垣石がはめられていました。
この辺に残る石垣は当時のものとのこと。
切込み接ぎにより、隙間なく積まれていた様子がわかります。
城内側から見た櫓門。
東御門の櫓部分から巽櫓までは内部で繋がっており、中は資料展示室として公開されています。
駿府城の予備知識を取得しに、加えて本降りになってきたので雨宿を兼ねて(苦笑)、入場料を払い東御門の見学へ。
あれ?櫓の中ってこんなに広いんだっけ?と思うほど広々していました。
築城にまつわる説明資料などの展示物も充実しています。
入口には日本100名城スタンプが設置され、巽櫓内の一番奥まった場所には御城印や記念品を扱う売店もありました。
東御門の上に載っていたと思われる青銅のシャチ。
二ノ丸堀の中から発見されたそうだが、こんなに綺麗な状態で残っていたのはラッキーですね!
家康が大御所時代の駿府城のジオラマ模型。
中心に置かれた本丸を二ノ丸が囲み、更にその外側を三ノ丸が囲む配置の輪郭式の平城です。本丸には御殿が広がり、その北西隅に天守台が見えます。
各曲輪の外側に内堀・中堀・外堀とそれぞれ3つの堀が配されており、まさに堀だくさんな縄張りだったようですね。
そしてこちらは駿府城跡で一番注目されている、本丸の北西にある天守台発掘現場のジオラマ模型。
天守台跡地の再整備方針を決めるため、天守台の正確な大きさなどの学術データを得ることを目的に、以下の調査が実施されています。
平成28年8月~令和2年3月:現地調査(掘削・測量等)
令和2年4月~令和4年3月:整理作業(遺物の洗浄・図化、遺構図面の整理等)、調査報告書の刊行
この発掘中に天守台の内側から、慶長時代のものとは異なる石垣が発見されました。
これは天正時代に家康が築いた時の天守台跡とみられています。
発見場所は橙色のラベルがある辺りです。
この想定外の発見には歴史ロマンを感じますねえ。
天正期の天守台跡からは、その時期一部の豊臣方の城で使われていた金箔瓦が大量に出土されています。
こちらは竹千代手習いの間の復元。
家康は今川義元の人質の間、今川家軍師の臨済寺住職・雪斎和尚から学問を学んだと伝わる。
集中できそうな部屋ですが、人質だったとことを考えると息が詰まりそうな気も。。
東御門に隣接して「紅葉山庭園」があるので(有料)、紅葉の季節に立ち寄ると良さそうです。
本丸堀(内堀)の遺構を一部公開
東御門内の見学後は、再び雨中の野外見学へ。
公園の中央部には芝生広場や児童広場があり、市民の憩いの場になっています。
天気の良い日の散策は気持ち良さそうですね。
4月の桜をはじめ、四季折々の花も楽しめます。
かつて本丸を囲っていた本丸堀(内堀)は埋められていますが、調査時に発見された遺構の一部が公開されています。
堀の幅は約23~30mで、深さは約5mの規模だったといいます。
石垣は石を荒割りして積み上げ、隙間に小さな石を詰めて安定させる「打ち込みはぎ」によるもの。
鷹狩姿の徳川家康像と手植えのミカンの木
そしていよいよ本丸エリアへ。
大御所時代の鷹狩の姿を現した、徳川家康の銅像とご対面。
晩年の姿の像で、恰幅も良く貫録がありますなぁ~。
ふと静岡駅前の竹千代像を思い浮かべ、比較してしまったが(笑)。
ここで徳川家康と駿府城との関連を振り返ってみましょう。
徳川家康と駿府・駿府城の関連年表
徳川家康と駿府・駿府城の関連年表
■天文18年(1549年)~永禄3年(1560年):徳川家康(幼名・松平竹千代)は、今川義元の人質として19歳まで駿府で過ごす。
■天正10年(1582年):家康、武田氏討伐に参陣、織田信長より駿河国を与えられる。
■天正13年(1585年)~天正17年(1589年):駿府城を居城として、現在の二ノ丸以内部分を築城。
■天正18年(1590年):家康、関白・豊臣秀吉の命により関東に国替えして江戸城に入城。駿府城は豊臣系家臣の中村一氏が城主となる。
■慶長8年(1603年):家康、征夷大将軍に就任し江戸幕府を開く。
■慶長10年(1605年):家康、将軍職を2代徳川秀忠に譲り大御所時代が始まる。
■慶長13年(1607年):家康、駿府入城し翌年本丸御殿が完成。
■慶長15年(1610年):天守落成。この時期に天正期の駿府城を拡張・修築(三ノ丸)、町割りや治水により現在の静岡市市街地の原型を作る。
■元和2年(1616年):家康75歳で死去、駿河の久能山に埋葬される。
■寛永12年(1635年):城下の出火が城内に延焼、天守・御殿・櫓・塀等大半が焼失。
後、御殿・櫓・城門等が再建されるが、天守は再建されず。
家康は75歳まで生きており、当時としてはかなりの長寿。
74歳の時に向かえた大坂夏の陣では、甲冑付けて戦場にまで出てますからね。驚くべき気力・体力の持ち主だったといえそうです。
銅像からも伺えるように、鷹狩が好きで晩年も頻繁に出かけました。これは健康法の一つとして実践していた、というのもなるほど頷けますわ。
家康像の傍には「家康公手植えのミカン」の木。
紀州より贈られた木を家康自ら移植したものと伝わる、県指定の天然記念物です。
静岡県は全国有数のみかん産地として知られますが、栽培が始まったのもその頃とのこと。
当時のみかんは、中国から伝わったコミカン(紀州みかん)という種類だった。
「天守台発掘現場」慶長期と天正期、2つの天守台
そして家康像の脇を抜けて、注目の天守台発掘現場へ。
発掘現場が常時一般公開されている城跡もそうそう無いと思うので、全国的にもホットなスポットかと。
おぉ~、こんな感じかあ、凄いなあ。
初めて見る発掘の現場に目を見張ります。
駿府城は明治時代に廃城になると、城跡は陸軍省に献納されます。
その際、天守台上部は解体され下部も埋められましたが、現在はそれを掘り起こして調査をしてるところ。
慶長期の天守の南側の天守台跡。
この辺は形が良く残っていますね。
家康の大御所時代に建てられた慶長期の天守台の大きさは、東西約61m x 南北約 68m x 高さ約19m。
一方、現在江戸城跡に残っている天守台は約45m x 約41m x 高さ約11m。
慶長期の天守台一辺の長さは江戸城の約1.5倍にも及び、日本最大級の天守台だったといわれています。(比較方法には異説もありますが。)
南側の石垣も原形を残しています。
手前の大きな石を使った石垣(緑のコーン部分)は慶長期のもの。
一方、赤のコーンの石垣はそれ以前に造られた野面積みの石垣で、素人目に見ても手前とは違う時代の石垣であることが分かる。
これは東西約33m × 南北約37mの天守台であることがわかっており、天正期の駿府城のものと考えられています。
この辺の天正期の石垣部分からは、金箔瓦が出土されています。
おおっ、これはなんだ!乱雑に積み上がったこちらの石垣石の山。
これらは発掘調査時に本丸堀から出てきた石とのことだ。
明治時代に取り壊された際の石垣石や土砂は、そのまま本丸堀を埋めるのに使われたようです。
発掘現場の一角にある発掘情報館「きっしゃる」では、発掘に関する情報の掲示物などがあります。
展示施設としてはミニサイズ。
情報館の前にあった、切り出す際に開けられる矢穴の付いた石垣石の展示。
施工者を示す刻印が打たれた石の展示。
駿府城公園で発見された刻印数は300以上あり、その種類はなんと150を数えるそうだ。築城に多くの集団が関わったことが伺えますね。
「坤櫓」二ノ丸跡に復元された隅櫓
公園内の南西角には「坤櫓(ひつじさるやぐら)」が復元されている。
城の四隅や門周辺に設けらた櫓の一つで、坤は当時の干支による方位の呼び方から来ています。
外見の屋根は2重で、内部は3階構造。物見櫓や外敵への攻撃拠点の役割を持ってました。
有料で内部の見学ができます。
公開は1階部分のみですが、床板や天井板が外されていて建物の構造が見える工夫がされています。
家康が使用した甲冑のレプリカが展示されていました。
「二ノ丸御門跡」 桝形門跡に残る石垣刻印
南側入口近くの二ノ丸御門広場には、枡形門の跡が残っていました。
こちらの石垣でも刻印を見つけた。東御門の説明パネルによると、加賀藩のものっぽい。
公園内を刻印めぐりするのも楽しそうだ。
静岡産のヒノキ材を使った「御城印」
記念に御城印を購入しました。
こちらは静岡産のヒノキ材を使い、薄くても割れない静岡市の地場産業の突板(つきいた)の技術を使った、オール静岡県産にこだわった天然木の御城印で素敵です。
大判で入れやすそうな御城印帳があったので併せて購入。
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
駿府城公園の詳細情報・アクセス
駿府城公園
公式ページ
住所:静岡市葵区駿府城公園1-1(GoogleMapで開く)
施設開館時間:9:00~16:30(入館16時まで)
休館日:月曜日(祝日・休日にあたる場合は休館振替なしで営業)、年末年始(12月29日~1月3日)
入場料:東御門・巽櫓:大人 200円、坤櫓:大人100円、紅葉山庭園:大人150円、小人(小・中学生)は各施設50円
アクセス:
電車)
・JR「静岡駅」から徒歩約15分
・静岡鉄道「新静岡駅」から徒歩約12分
車)
・東名高速「静岡IC」より約17分
・新東名高速「新静岡IC」より約18分
・専用駐車場無し、市民文化会館前駐車場(有料)等を利用。
静岡市ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
「丸七製茶」世界でいちばん濃い抹茶ジェラート!?
駿府城公園見学後、創業1907年の暖簾が掛かる老舗製茶屋「ななや」で一服。
ここはジェラートのイートインで人気の店。
入口近くのジェラート販売コーナーに、引っ切り無しに人が並んでゆきます。
人気なのは濃さが選べる抹茶のジェラート。
抹茶の濃さがNo.1~No.7まで選べるというのが面白い。
世界でいちばん濃い抹茶ジェラートというNo.7をチョイス。おおっ!これは濃いわぁ~。
駿府城訪問の際はお茶どころ静岡ならではジェラートを試しに、ぜひ立ち寄ってみて下さい。
ななや 静岡店
公式ページ
住所:静岡県静岡市葵区呉服町2-5-12(GoogleMapで開く)
営業時間:11時~19時
定休日:水曜定休(祝日の場合は営業)
アクセス)
電車)・新静岡駅から約400m
駿府城跡へ出かけてみませんか?
徳川家が長く暮らした駿府の地にあった駿府城を紹介しましたが、いかがでしたか?
二ノ丸の堀と石垣が綺麗に残っており、当時の城中心部の縄張りを体感することができました。
それと、天守台の発掘現場は今後どのように発展してゆくのかについては、興味味がありますねぇ~。
天守閣を復元するのかな?
今回公園内の見学のみでしたが、公園外側の三ノ丸エリアにも大手御門跡をはじめ城跡の痕跡が残っているらしい。
一日掛けて公園と周囲を散策してみるのも楽しそうですよ!
駿府城跡に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2023/3/18
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住所:静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・静岡鉄道「新静岡駅」より、約1.6km(徒歩約20分)
・JR「静岡駅」より約2.5km(徒歩約30分)
・JR「静岡駅」より、しずてつジャストラインバスの安倍線又は美和大谷線で乗車8分、「赤鳥居 浅間神社入口」下車
・JR「静岡駅」より、駿府浪漫バス線乗車約30分、「浅間神社」「赤鳥居 浅間神社入口」下車
車)
・新東名高速道路「新静岡IC」より約15分
・東名高速道路「静岡IC」より約20分
・専用第一駐車場あり、80台。参拝目的以外の駐車は不可。駐車時間は30分。
久能山東照宮
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・JR「静岡駅」からバスで約50分、又はJR「東静岡駅」からバスで約30分、又はJR「清水駅」からタクシーで約15分で日本平へ。ロープウェイで久能山へ約5分
車)
・久能山下から石段で登る場合) 日本平久能山スマートインターより約20分、久能山下、1159段の石段を登り約20分。 *駐車場は久能山下周辺の民間駐車場を利用
・ロープウェイ利用) 日本平からロープウェイで久能山へ約5分。
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