戦国時代末期、豊臣秀吉は天下統一の総仕上となる小田原征伐において、小田原城を見下ろす石垣山に本陣を構えました。
そこで築いた天守を一夜であっという間に築城したかの様に見せつけ、これが北条氏側の戦意喪失に繋がったため「石垣山一夜城」と呼ばれています。
そんな伝説の石垣山城は、実際は一体どんな城だったのか?城跡をめぐって、その見どころを紹介します。
目次
「石垣山一夜城」豊臣秀吉が築城した関東最初の総石垣の城
石垣山城は小田原征伐の秀吉本陣

小田原城城址公園から望む、石垣山城側がある場所は中央鉄塔の上あたり
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして、服従しない小田原北条氏に対し「小田原征伐」を起こしました。
豊臣秀吉による小田原征伐の概要
秀吉軍は水陸合わせて約22万という圧倒的な大軍で小田原へ進軍。
対する小田原北条氏側の総勢は約3万4千騎とされ、堅固な小田原城に籠城する長期持久戦を選択します。
秀吉軍は小田原城とその周囲を見渡せる石垣山に本陣を張り、小田原城を完全に包囲し兵糧攻めをおこないます。
その一方で、別働隊が周辺の支城(山中城、八王子城、韮山城など)を次々と攻略。
北条側を外部から完全に遮断し、孤立無援の状態に追い込みました。
極めつけは「石垣山城」を一夜のうちに築いて見せて、度肝を抜いた北条側の戦意は喪失。
約3ヶ月の籠城をしていた当主・氏直は降伏し、小田原北条氏は滅亡しました。
決戦の決め手となったのが、この石垣山一夜城だといわれています。
関東最初の総石垣の城で続日本100名城の一城

公園内の案内板より
一夜城と呼ばれますが、実のところさすがに一夜で築城されたわけではありません。
秀吉は山中に密かに築城を進め、完成後一気に周囲の樹木を切り倒し、あたかも一夜で築城した様に見せたというわけです。秀吉の技あり一本、というところですね。
石垣山城の特徴
■ 位置は小田原城から南西約2.8m離れた、標高241mの山中にある山城。
■ 城郭の縄張りは梯郭式(ていかくしき)で、本丸を隅に置き、それを囲むように二の丸・三の丸を配置。
■ そして最大の特徴は石垣のある城郭であるということ。
関東最初の総石垣の城であるともいわれている石垣山城は、国の史跡に指定されており、歴史公園として一般公開されています。
また、続日本100名城の一つにも数えられます。
「南曲輪石垣と城道入口」野面積みの石垣
本日は小田原城を見学した後の石垣山城訪問でした。
小田原駅からのアクセスですが、土・日・祝日限定で運行する観光回遊バス「うめまる号」があったのでこれを利用。
石垣山一夜城歴史公園入口まで、約20分ほどで行くことができるのでこれは便利でした。
ちなみに公園最寄りのJR早川駅からだと、歩いて50分程とわりと距離があります。

石垣用石材
石垣山一夜城歴史公園に到着しますが、本日は生憎の雨の中の見学となりました。
バスを降りた近隣には石垣石が置かれており、石材の切り出し方法が解説されていました。
右に置いてある石の左端に、ギザギザの小さな穴が続いているのが見えますかね?
石垣石の切り出し手順
・まずは矢穴(やあな)と呼ばれる穴を一列に打ち込んでゆく。
・その後、開けた後、矢(くさび)を入れて2石に分割する。
ちなみに石垣山の西側には「石丁場跡」があり、江戸城用の石材調達もそこでおこなわれたそうですよ。

南曲輪南面石垣
こちらは本城(本丸)の南側にある「南曲輪」の石垣ですが、ああ、結構びっしりと本格的に高積みされているじゃないですか!
この時点で”一夜城”のイメージだったものが、早くも洗い替わりましたね。
石材は周辺で多く産出される安山岩が使用され、石は加工しないで野面積み(のづらづみ)されています。

南曲輪南面石垣
大きな石材がゴロゴロと転がっており、一部では石垣の崩落が著しく見られます。
これは主に関東大震災の影響にようもののようですね。
旧城道東登口(大手口)より登城

旧城道東登口
城内の入口は東口・北口の2ルートあり、公園正面側にあるのは東口城道入口です。
享保5年(1720年)に小田原藩が描いた城内絵図「太閤御陣城相州石垣山古城跡」がかつての縄張りの参考になり、そこでは東口に大手口が描かれているとのこと。

東口城道は石段を登った先も、本城曲輪に向かって真っすぐ続いているようだ。
ですが。。。大きな石垣石が散乱し岩場の登山道の様相なので、右手にあった見学路で迂回して進みました。
帰路ではショートカットしてここを下りましたが、雨で滑ってコケそうになった!(冷汗)。
やはり雨の日の山城攻めは、できれば避けたいところ。
時の姿を保つ馬屋曲輪(二の丸)東側の石垣

見学用の整備された遊歩道を進んでゆくと、「馬屋曲輪」東側の石垣が見えてきます。
ちなみに、正面の建物は公園の管理用施設です。

馬屋曲輪の石垣は今でも当時の姿を保っていますね。
比較的小さな自然石を巧みに組み合わせた高さ最大約6mの石垣が、延長67mに渡って続いています。
馬屋曲輪(二の丸)は本丸に次ぐ広い曲輪

西側から見た馬屋曲輪
その石垣上段にあるのが「馬屋曲輪」と呼ばれる、二の丸にあたるこちらの曲輪。
東西100m・南北80m程の広さで、本城曲輪に次ぐ広い曲輪です。
名称からすると馬や兵を集結させるための空間ですかね。曲輪内には櫓台跡も残っています。
しかし短期間で山中にこんな広大な平坦面を造る作業も、大変なことだったでしょうね。
石垣の職人集団・穴太衆が在陣して石垣を築造

馬屋曲輪の南西側のこの高台の上に、本丸にあたる「本城曲輪」があります。
本城曲輪も石垣で固められていますね。

この辺りの石垣は小田原城からも見えたのかもしれませんね。
10mを超えた高さで築かれており、石垣技術の見せ場の一つだったことでしょう。
当時、安土城の石垣普請で知られる近江の石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」が35人在陣しており、石垣山城の石垣もこの穴太衆により築かれたと考えられています。
かつて本城曲輪入口には枡形門

ここを上がった先を左に折れると、本城曲輪の北口となります。

入口付近も雨の日にはオススメできない足場ですね。

かつての本城曲輪北口には、枡形門が形成されていたそうだ。
現在は石垣が散乱するのみで、その面影は残っていないようですね。
枡形門とは
城郭の出入口に設けられた防御施設で、四角い空間に二つの門を直角に配置し、周囲を石垣や土塁、塀で囲んだ構造が特徴です。敵が内部に入り込んだ際には三方からの集中攻撃が可能で、城内への侵入を阻止するための重要な役割を担いました。
「本城曲輪の天守台跡」本城には淀殿や千利休も滞在

坂を登りきると、広々とした「本城曲輪」が現われました。
石垣山城の中では最も大きな曲輪で、東西105m・南北95m程の広さを有します。

天守台跡が西側の小高い丘の上にあり、背後の西曲輪へ張り出すように造られています。
本城曲輪の平地部分より4m程高い位置にあり、背後の西曲輪側から見ると10m程の高さがあります。
当時は長方形の平面を持っていたらしいですが、原形をとどめていないように見受けられます。
周囲には、天守台の石垣の一部と思われる石が散乱しています。

天守台跡から見た本城曲輪
本陣として本城曲輪に滞在した豊臣秀吉
小田原征伐において、秀吉はこの城に100日余り滞在し、淀殿や千利休等も50日余り滞在したといわれます。
一夜城といわれつつ、長期戦に備えた本格的な城郭だったようです。
建てられていた天守の具体的な構造はわかっていません。
天守台周囲からは多くの瓦の出土があり、天守に瓦が使われたことが分かっています。
小田原征伐の後は、石垣山城は使用されなくなりました。
天守の壁に紙を貼って白壁に見せた、という逸話も聞かれますが、実際どんな天守だったんでしょうね?
秀吉は小田原城を徳川家康とともに見下ろした

石垣山城の築城には4万人が動員され、天正18年の4月から6月までの約80日間が費やされたといわれます。
当時秀吉の配下にいた徳川家康も、この石垣山城に招かれました。
その際、小田原城を見下ろせる場所で「小田原城の落城後は、関東八州を与える」と秀吉に言われた、という話も良く知られています。

眼下には小田原城跡と周囲の街並みも良く見えるでしょ、って紹介したかったのですが、生憎の天気により残念ながらご覧の通りです。
相模湾までが見渡せるスポットなので、やはり晴れた日の登城がオススメですね。
天守台裏手から見る天守台石垣

こちらは天守台裏手にあたる「西曲輪」で、東西85m・南北50m程の比較的広い曲輪でした。
城郭の西側を守る役割を持ち、南西隅には櫓があったようです。

この辺りが丁度先程の天守台の裏手で、天守台がこちら側にせり出している造りなのがわかります。
ここでも崩落した大きな石垣が見られました。
南曲輪は大手口を防御する曲輪

西曲輪から一段下がった位置にある、「南曲輪」と呼ばれる小さな曲輪。
位置的に大手口を防御する役割だったことでしょう。
この南曲輪の周囲を囲んでいる石垣が、最初に入口付近から見えた石垣となります。
「一夜城ヨロイズカファーム」御城印の販売もあり

石垣山城の駐車場を挟んだ場所に、荒々しい城跡とは対照的な洒落た可愛らしい建物があります。
こちらは世界的なパティシエ・鎧塚俊彦氏がプロデュースしたお店「一夜城ヨロイヅカ ファーム」です。
スイーツや地元野菜の販売、そしてレストランやイートインなどがあります。
城跡を見学した後は、こちらで一息つくのも良いと思います。(他に飲食店もありませんし。。。)

石垣山城の御城印がこちらで購入できますよ。
関東周辺の山城攻めをトレッキング視点でまとめた、ありそうでなかったタイプの城攻め本。
これから山城歩きをする人は、東京都にもタフな山城があったりするのには超驚くと思いますよ!
タモリさんならではの視点で、小田原の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
石垣山一夜城公園の詳細情報・アクセス
石垣山一夜城公園
小田原市のページ
住所: 神奈川県小田原市早川1383-12(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR「早川駅」下車、石垣山農道を経て徒歩約50分
・箱根登山鉄道「入生田駅」から徒歩約60分
・土・日・祝日(年末年始等を除く)のみ、観光回遊バスが運行。JR「早川駅」、「小田原駅」などから乗車可能。
車)
・国道1号線横浜方面から: 板橋交差点を左折、箱根ターンパイク入口交差点を左折
・国道135号線熱海方面から: 早川交差点を左折 *注、小田原方面からは右折不可
・国道1号線箱根方面から: 地球博物館前交差点を右折
・無料駐車場あり
小田原ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!

石垣山一夜城へ出かけてみませんか?
豊臣秀吉が天下統一の総仕上げ戦の本陣とした城だけあって、一夜城の名とは裏腹に、石垣の普請を始めしっかりと縄張りがおこなわれていた城跡でした。
必要以上の石垣築造には、敵に対してのみならず、見方の大名に威厳を見せつける目的もあったんじゃないですかねえ。
今回紹介できませんでしたが、北側の井戸曲輪の石垣も見応えがあるそうなので、訪問されたら是非ご覧ください。
そうそう、続日本100名城スタンプは駐車場のトイレ前にありますよ。
石垣山一夜城跡に出かけてみませんか?
記事の訪問日:2022/4/29




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