戦国時代末期、豊臣秀吉は天下統一の総仕上となる小田原合戦において、近隣の石垣山に本陣を築きました。
その際、一夜で築城したように敵方に見せたのが伝説の「石垣山一夜城」です。
そんな伝説の石垣山城は実際はどんな城だったのか?
小田原市にある石垣山一夜城歴史公園で、城跡を巡って確かめてきましたのでご紹介します。
目次
『石垣山一夜城』 豊臣秀吉の小田原合戦本陣
石垣山一夜城の名の由来は?
豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして、天正18年(1590年)、小田原北条氏との戦い「小田原合戦」を起こしました。(別名・小田原征伐など)
その際、秀吉が小田原城攻めの本陣として築いたのが「石垣山城」です。
石垣山一夜城とも呼ばれます。
一夜城の名の由来ですが、秀吉は密かに築城を進め、完成後に周囲の樹木を切り倒した。
その為、小田原城側からはあたかも一夜で築城されたように見えた。
それが、小田原北条氏側の戦意喪失を起こさせ投降に至った、といわれます。
そんな伝説の石垣山城ですが、実際はどんな城だったんでしょうか?
確かめるべく足を延ばしてみました。
「関東最初の総石垣の城」 続日本100名城
石垣山城は国指定史跡となっており、歴史公園として一般公開されています。
また、続日本100名城の一つに数えられます。
- 石垣山城には以下の特徴があります。
- ■ 位置は小田原城から南西約2.8m離れた、標高241mの山中にある山城。
- ■ 城郭の縄張りは梯郭式(ていかくしき)。本丸を隅に置き、囲むように二の丸・三の丸を配置。
- ■ そして最大の特徴は石垣のある城郭であること。
石垣山城は関東最初の総石垣の城である、ともいわれています。
「南曲輪石垣と城道入口」 野面積みの石垣
当初、最寄りのJR早川駅からのんびり歩くかな~、なんて思ってました(約50分)。
しかし、生憎の雨模様でその気も失せていた。
少々思案したが、小田原駅発の観光回遊バス「うめまる号」が、土・日・祝日限定で運行しているのを発見。
小田原駅から石垣山一夜城歴史公園入口まで、約20分でアクセスできる。
うまいことこれに飛び乗れた!これは便利だな~。
てな感じで、石垣山一夜城歴史公園に到着。
バスを降りると、さっそく発着場所近くに大きな石材が置かれていた。
石垣山の西側には、江戸城用の石垣用石材を調達した「石丁場跡」があるそうだ。
石材の切り出し過程が分かりやすく展示されている。
矢穴と呼ばれる穴を一列に開けた後、矢(くさび)を入れて2石に分割されている。
こちらは「南曲輪」南側の石垣跡ですね。
おー、こんな感じなんですね。
周辺で多く産出される安山岩を使用し、石を加工しないで野面積み(のづらづみ)されていてます。
一夜城の呼び名とはうらはらに、石垣はけっこう本格的に積まれてますね!
そして一部では石垣の崩落が著しく、デカい石材がゴロゴロ落ちている箇所がある。
これは、関東大震災による影響も見られるそうだ。
城内への入口は東口・北口の2ルートあり、公園正面側は東口城道入口になっています。
享保5年(1720年)に小田原藩により、「太閤御陣城相州石垣山古城跡」という城内絵図が描かれている。これがかつての縄張りの参考になるそう。
そこでは大手口は東口にあった、とされています。
石段を登ってゆくと、本城曲輪に向かう東口城道の続きがある。
しかし大きな石垣が城道に崩れており、さながら岩場の登山道の様相。
迂回できる見学路があるので、ここを避けて右手に進みます。
ちなみに帰路でこちらを下りましたが、雨で滑ってコケそうになりました(冷汗)。
危ない。。。雨の日の山城攻めは、避けた方が無難ですよねぇ。
「馬屋曲輪(二の丸) 東側の石垣」
整備された見学用の遊歩道を進みますが、これは当時は無かった道らしい。
二の丸にあたる、「馬屋曲輪」東側の石垣が見えてきます。
(建物は公園の管理用施設。)
馬屋曲輪の石垣は、今でも当時の姿を保ってますね。
延長67m・高さ最大約6mで勾配は約60度。
比較的小さな自然石を巧みに組み合わせ、丈夫な石垣を築いているのが伺えます。
「馬屋曲輪(二の丸)」
広々とした空間が現れました。
こちらは、二の丸にあたる「馬屋曲輪」。
写真奥、少しポコっと盛り上がったあたりは「櫓台跡」です。
反対の西側から見た馬屋曲輪。
馬屋曲輪は東西100m・南北80m程の広さを持つ、本城曲輪に次ぐ広い曲輪でした。
短期間で山中にこんな広大な平坦面を造る作業も、大変だったでしょうなあ。
「本城曲輪の石垣」 石垣の職人集団・穴太衆が在陣
「本城曲輪」は、馬屋曲輪の南西側の高台にあります。
本城曲輪東側の石垣跡が見えます。
このあたりは当時小田原城からも見え、北条氏勢を震撼させた石垣の一部だったんでしょうね。
10mを超えの高さで築かれており、石垣技術の見せ場だった箇所と思われます。
小田原合戦の際、安土城の石垣普請で知られる近江の石工集団、穴太衆(あのうしゅう)35人が在陣。
石垣山城の石垣も穴太衆により築かれたもの、と考えられています。
本城曲輪の北口に向かい登ってゆきます。
城道の左手が本城曲輪。
この辺もあまり足場が良くないので、晴れた日の登城を推奨!
入口手前は本城曲輪より一段低く造られ、かつては枡形門が形成されていたそう。
現在は石垣が散乱しており、元々の形状は残ってないですねえ。
「本城曲輪の天守台跡」 淀殿や千利休も滞在
坂を登りきると、広々とした「本城曲輪」が出現。
石垣山城の中で最も大きい曲輪で、東西105m・南北95m程の面積を有します。
まずは西側の天守台跡へ向かいます。
こちらの小高い丘が天守台跡。
天守台は、南西隅から西曲輪へ張り出すように造られています。
本城曲輪より4m程高く西曲輪側からは10m高い位置にあり、長方形の平面を持っていたとされます。
現在は天守台の石垣は崩れ落ち、全体も丸っとした形に変形しているように見受けられます。
秀吉はこの城に小田原合戦のあいだの100日余り滞在し、淀殿や千利休等も50日余り滞在したといわれます。
一夜城といわれつつ、長期戦に備えた本格的な城郭だったようだ。
建てられていた天守の具体的な構造は、わかっていません。
天守台周囲からは多くの瓦の出土があり、天守に瓦が使われたことが分かっています。
小田原合戦の後は、石垣山城は使用されなくなりました。
「本城曲輪の物見台」 徳川家康とともに見下ろした
本城曲輪の標高は257mで、東側には物見台があります。
一夜城といわれますが、実際は築城にのべ4万人が動員され、天正18年の4月から6月までの約80日間が費やされたといわれます。
ちなみに小田原北条氏側の総勢は約3万4千騎で、秀吉軍の総勢は約21万といわれています。
圧倒的な力の差を感じる数字ですねぇ。
当時秀吉配下にいた徳川家康も、石垣山城へ招かれました。
その際、小田原城を見下ろせる場所で「小田原城落城後、関東八州を与える」と秀吉に言われた、というエピソードは良く知られます。
眼下には小田原城の天守と周囲の町並みも良く見えるでしょ!って紹介したいところですが。。。生憎の天気。
良く見えん。。。
相模湾までが見渡せるスポットなので、やはり晴れた日の登城がオススメ!
「西曲輪」 天守台裏手の曲輪
天守台裏手にあたる「西曲輪」に下りてみました。
曲輪入口には西曲輪東門があったそう。
散乱した石垣が見られましたが、門の痕跡は確認できませんでした。
西曲輪の全景。
東西85m・南北50m程の、比較的広い面積を持つ曲輪。
城郭の西側を守る役割を持ったとされ、南西隅には櫓台跡が残っています。
この辺りが天守台の裏手ですね。
西曲輪側にせり出している構造なのが良くわかります。
大きな石垣の崩落が見られます。
「南曲輪」 大手口を防御
西曲輪の東側の一段低いに位置する「南曲輪」は、比較的狭い曲輪。
位置的に、大手口の防御の役割だったと考えられます。
南曲輪の見どころは、入口付近からも見える、冒頭紹介の南面周囲にある石垣になります。
関東周辺の山城攻めをトレッキング視点でまとめた、ありそうでなかったタイプの城攻め本。
これから山城歩きをする人は、東京都にもタフな山城があったりするのには超驚くと思いますよ!
一夜城ヨロイズカファーム
荒々しい城郭跡をご紹介しましたが、駐車場を挟んだ場所に、対照的な洒落た可愛らしい建物があります。
こちらは世界的なパティシエ・鎧塚俊彦氏がプロデュースしたお店、「一夜城ヨロイヅカ ファーム」です。
スイーツや地元野菜の販売、そしてレストランやイートインなどがあります。
こちらで一息つくのも良いと思います。(他に飲食店もありませんし。。。)
石垣山城の御城印もこちらで購入できますよ。
石垣山一夜城公園の詳細情報・アクセス
石垣山一夜城公園
小田原市のページ
住所: 神奈川県小田原市早川1383-12(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR「早川駅」下車、石垣山農道を経て徒歩約50分
・箱根登山鉄道「入生田駅」から徒歩約60分
・土・日・祝日(年末年始等を除く)のみ、観光回遊バスが運行。JR「早川駅」、「小田原駅」などから乗車可能。
車)
・国道1号線横浜方面から: 板橋交差点を左折、箱根ターンパイク入口交差点を左折
・国道135号線熱海方面から: 早川交差点を左折 *注、小田原方面からは右折不可
・国道1号線箱根方面から: 地球博物館前交差点を右折
・無料駐車場あり
小田原ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
\ 海産物をはじめ美味しそうな返礼品が沢山!/
石垣山一夜城へ出かけてみませんか?
伝説の石垣山一夜城を紹介しましたが、いかがでしたか?
豊臣秀吉が天下統一の総仕上げ戦の本陣とした城だけあって、一夜城の名とは裏腹に、堅牢な石垣の普請を始めしっかりと縄張りが組まれた印象の城郭跡でした。
今回紹介できませんでしたが、北側の井戸曲輪の石垣も見応えがあるそうです。
訪問されたらお見逃しなく。
続日本100名城のスタンプは駐車場のトイレ前にあります。
石垣山一夜城跡は展望の良い場所なので、是非天気の良い日に出かけてみて下さい!
※参考資料について: 公園内の説明看板の他、小田原城天守閣展示案内(小田原城天守閣編集)、史跡石垣山(石垣山一夜城)早川石丁場群関白沢支群(小田原市教育委員会)などを参考にしました。
記事の訪問日:2022/4/29
小田原周辺の立寄りスポットを探して予約しよう!割引プランも!
近隣スポットもチェック!
あわせて読みたい
天守から絶景!「小田原城址」、城らしい雰囲気や造りが楽しめる【神奈川・小田原市】
「小田原城址公園」にはかつての天守閣や城門が本格的に復元されており、実に城らしい雰囲気が楽しめるスポットです。水堀を越え門を抜けると枡形と呼ばれる形状や巨大…
あわせて読みたい
「駿府城」に2つの天守台出現!?大御所時代の家康の居城探訪【静岡・静岡市】
徳川家康は江戸幕府を開いたことから江戸在住期間が長そうですが、実は生涯で最も長い期間を過ごしたのが駿府なんですね。そんなゆかり地にある、家康が大御所時代を過…
あわせて読みたい
家康が元服した静岡浅間神社には、日本一高い拝殿がそびえ立つ【静岡・静岡市】
静岡県にある駿河国総社「静岡浅間神社」は、約2100年前が起源とされる地方最古の神社。そしてこの神社は徳川家康が元服式をおこなった場所でもあり、徳川家康と江戸幕…
あわせて読みたい
家康が眠る久能山東照宮は、駿河湾を望む風光明媚な地だった【静岡・静岡市】
徳川家康本人の遺言に従い葬られたのが、晩年の大御所時代を過ごした駿府の地にある久能山東照宮です。境内には江戸時代初期に造営された建物が、ほぼ当時の姿のまま残…
歩きがいのある山城をさらにチェック!
あわせて読みたい
「八王子城」秀吉軍と壮絶な戦いをした北条氏の山城【東京・八王子市】
戦国時代、豊臣秀吉が天下統一の総仕上げとしておこなった、小田原征伐による北条氏の攻略。北条氏の支城であった八王子城では、秀吉軍との壮絶な戦いが繰り広げられま…
あわせて読みたい
上杉謙信撃退も納得!「金山城」は石垣堅固な巨大山城【群馬・太田市】
群馬県太田市にあった「金山城」は、関東では珍しい石垣を持つ戦国時代の山城でした。縄張りがほぼ山全体に展開されている城跡で、石積土塁に囲まれた大手虎口に圧倒さ…
あわせて読みたい
なぜ山城「杉山城」は築城の教科書と呼ばれるのか?登城して体感してみた【埼玉・嵐山町】
埼玉県嵐山町にある「杉山城跡」は、自然の地形を生かした戦国時代の山城跡です。続日本100名城の一つに数えられ、城郭ファンからは「築城の教科書」とも呼ばれる人気の…
さらに「城」に関する記事を探す
<a href=”//ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=3694017&pid=889865292″ rel=”nofollow noopener” target=”_blank”><img src=”//ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=3694017&pid=889865292″ border=”0″></a>
関東近郊へは、気軽なバス旅で出かけてみない?