江戸時代、中山道における有数の難所だった碓氷峠。その群馬県側の山麓には碓氷関所があり、そこでは通行手形にもとづき入鉄砲と出女が厳しく監視されました。
その関所を抜けた先にあり、峠手前の最期の宿場町であった坂本宿は多くの宿泊者で賑わいました。
碓氷関所跡と旧坂本宿を歩いて、かつての宿場町の歴史や面影をたどってゆきます。
目次
碓氷峠は中山道の三大難所の一つ

中山道は江戸時代を中心に整備された五街道のひとつです。
江戸と京都を結ぶ132里(約540km)の街道で、その街道沿いには全部で69ヶ所の宿場が設置されました。
中山道の道筋は同じく江戸と京都を結ぶ東海道と比べると、内陸部を通るのが特徴で半分以上が山間部となります。
その中でも関東と信濃を結ぶ要衝だった「碓氷峠」は急坂と屈曲が多く続き、特に馬や駕籠の通行に苦労した箇所。そのため長野県の鳥居峠・和田峠とともに、中山道の三大難所の一つとされました。
そんな碓氷峠の群馬県側の麓にあった、「碓氷関所跡」と宿場町「坂本宿跡」を訪ねてみます。
「碓氷関所」安中藩と江戸幕府で管理

今回は電車にて、最寄りの信越本線・JR横川駅にアクセス。そこから旧中山道沿いにある「碓氷関所跡」に向かいます。
関所というと山間部にあるのかな?と想像していましたが、駅から歩いて10分足らずの近隣にありました。
関所跡がある旧道には、そこはかとなく旧街道の雰囲気が感じられます。

関所跡の少し手前に現われたのが、「東門の位置」の標柱。
元々ここにあった東側の門が、関所跡に移設されているようです。

やがて碓氷関所跡へと続く石段が現れます。

上がった先の碓氷関所跡には、東門の復元がありました。
ケヤキ材による堅牢な造りの門で、門柱2本と門扉部分は当時のものが使用されているとのこと。
門自体はさほど大きくはなく、色んな意味で狭き門だったんだな、と思ったりして。
関所では入鉄砲と出女を監視

江戸幕府により設置された関所では、「入鉄砲(いりでっぽう)と出女(でおんな)」が厳しく監視されました。
入鉄砲は文字通り武器の出入りの監視のこと。
一方、出女というのは、大名の謀反対策としてその妻子を江戸に住まわせており、その出入りを監視するものでした。
参勤交代制度について
江戸幕府が大名統制のために定めた制度で、寛永12年(1635年)に3代将軍・徳川家光が制度化したもの。
大名は一年おきに江戸と領国を往復し、江戸では将軍に謁見し、政務に従事する義務を負った。妻子は江戸に常住させられ人質の役割を果たしました。
長距離の移動や江戸屋敷の維持に莫大な費用がかかり、大名の財力を削ぐ効果がありました。
これにより幕府は諸大名の反乱を防いだとともに、交通や経済の発展にも繋がる結果となった。

関所は西門と東門で区切った、約100mの区間にありました。
碓氷関所の特徴
■東門は地元の安中藩が、西門は江戸幕府が管理した。
■四方は木柵で囲まれ、その外は忍び通ることができない自然の林だった。
■通行の監視は総勢20名の役人でおこなわれていた。
周囲に山が迫るこの地は、関東への出入りを取り締まるにはうってつけの場所だったことでしょうね。

通行人は通行許可を受けるために、この「おじぎ石」に手をついて手形を差し出したとのこと。
封建社会ならではの役所手続きだったことが、生々しく伝わってきますねえ。

関所跡の裏手には、かつて八幡社があったという小高い丘があった。
登ってそこから近隣を望むと、ホント、一帯が峠手前の町であることを実感します。
碓氷関所跡
住所:群馬県安中市松井田町横川573(GoogleMapで開く)
アクセス: 電車)JR「横川駅」より徒歩8分
「観光案内所(安中市観光機構)」碓氷関所のミニ資料館あり

碓氷関所跡と横川駅との中間地点にある「観光案内所(安中市観光機構))」には、碓氷関所に関するミニ資料館があるので立ち寄ってみました。

こちらには安中市関連の観光パンフレットも豊富に置いてあり、休憩所としても利用できます。
資料展示コーナーは撮影不可でしたが、通行手形のサンプルが配布されていました。
手形を書いた方々は、達筆だったようですなあ。
ちなみにサンプルは、信州松代藩藩主であった真田信濃守の家系の者が、関所役人に提出したものとのことでした。
安中市観光機構(観光案内所)
住所:群馬県安中市松井田町横川441-6(GoogleMapで開く)
営業時間:9時~17時
アクセス: 電車)JR「横川駅」から徒歩3分
「坂本宿」碓氷峠手前の宿泊地として賑わった宿場
坂本宿は碓氷峠山麓に計画的に作られた宿場町

碓氷関所跡を西に進むと、現在の中山道に合流。
その中山道に沿って1km程北に進むと、復元されたかつての木戸跡の一部が立つ、坂本宿の江戸側の入口に到着しました。
坂本宿は江戸から数えて17番目の宿場町です。
入口の先には、碓氷峠に向かってえらく一直線の道が続いていたのが印象的でした。

坂本宿の特徴
坂本宿は慶長・元和・寛永年間(1596-1644年)に幕府の命で、近隣の高崎藩領と安中藩領から住民を移住させて計画的に作られた宿場町です。
宿内の長さは392間(約713m)で、宿場の両端には保安のための木戸が設けられました。江戸側の木戸は「下木戸」、軽井沢側の木戸は「上木戸」と呼ばれました。
道の中央に用水堀が設けられ、その両脇に道を敷設。家屋は片側80軒で、合計160軒の建物が区画整理されて建てられました。
そのうち本陣(兼、問屋場)が2軒、脇本陣が2軒置かれ、旅籠屋は53軒(大12軒・中10軒・小31軒)でした。
木戸の開閉は、明け六ツ(現在の午前6時)から暮れ六ツ(現在の午後5時)までだったとのこと。
閉まるのは結構早いのですね。
当時は強健な旅人でも、碓氷関所と碓氷峠を一日で通り抜けるのは難しかったらしい。
そのため峠手前にあった坂本宿は、多くの宿泊客でにぎわったそうだ。
坂本宿の一大事件であった皇女・和宮の降嫁

街道沿いには、当時の面影を残す古い建物が残っていました。

街道沿いの家屋にはかつての屋号が架けられており、当時を偲ばせます。

金井本陣跡
こちらは”下の本陣”と呼ばれた「金井本陣跡」。
現在は普通の民家が建ちますが、当時は間口10間半(約19m)・建坪180坪(約594m2)・屋敷360坪(約1200m2)の大きさの玄関・門構え付きの建物が建っていたそうです。
その金井本陣には、かつて皇女・和宮(かずのみや)が宿泊しています。
皇女・和宮の降嫁と坂本宿
和宮(1846-1877年)は、仁孝天皇の第8皇女として生誕。
嘉永5年(1852年)の16歳の時に、公武合体を目指した政略結婚にて、徳川14代将軍・家茂のもとへ降嫁しました。
江戸への移動に際し、東海道は川が多くて不便だったうえに海側の道が多く、当時異国船渡来の危険性もあると避けられた。ということで、中山道が下向ルートとして選ばれました。
坂本宿に到達した際の和宮一行の人数は約5千人、さらに江戸からのお迎えの人数も同数程度あったと考えられ、宿場では約1万人の宿泊者を受け入れたと考えられています。
一行は11月9日の暮れ七ッ時(午後4時)前に本陣に到着して、各宿舎に分宿。
翌10日は朝5ッ時(午前8時)に坂本宿を無事出発して、次の松井田宿へと向かいました。
これは大変な大イベントでしたねえ。

佐藤本陣
こちらは”上の本陣”と呼ばれた、もう一つの本陣「佐藤本陣」。
文政年間(1818~1831年)の坂本宿には、31もの大名が往来。大名の宿泊が重なるケースもあり、2つの本陣が活躍したとのことだ。
当時、加賀藩(現、石川県)の前田家や、松代藩(真田家)をはじめとする信濃(信州)の諸藩は、碓氷峠越えで江戸に向かっていたので坂本宿の本陣を利用していたことでしょう。

佐藤本陣
佐藤本陣の建物は明治初期には小学校に充てられたとのことで、「坂本小学校発地の地」の碑が立っていました。
「永井脇本陣跡・酒屋脇本陣跡」当時の門構などが残る

永井脇本陣跡
こちらの「永井脇本陣跡」の門構えは、宿場町当時のままのものとのこと。

永井脇本陣跡
一般の旅籠屋と違い、本陣と脇本陣は門や玄関を付ける特権が認められていました。

永井脇本陣跡
その先の宿屋風のお屋敷も立派な造りのものでした。当時の建物なのかな?

もう一つの脇本陣であった「酒屋脇本陣」の建物は、現在は坂本地区の公民館として使用されています。

その公民館の前には当時の「中山道坂本宿屋号一覧」があった。道の真ん中の用水路も描かれていますね。
用水は道の端に移動され、道路下に埋められた状態で一本通っています。
「かぎや」特徴的な旅籠建築

「かぎや」は宿場時代の面影を残す旅籠建物です。他の建物と違い、妻入りで奥行きのある造りが特徴的 。

屋根下には神社仏閣の建物で良く見かける、懸魚(げぎょ)が付いていました。
魚の形をしている懸魚には、火除けの願いが込められています。

店の看板に唐破風屋根が付いているのが洒落ている。
小林一茶の宿泊時には俳句好きが集まった

たかさごや
江戸時代の俳人・小林一茶が、江戸と郷里の信濃国(長野)を中山道で往来した際は、ここにあった「たかさごや」を定宿としていたとのこと。

たかさごや
宿場内では俳句をはじめとした文化的な楽しみも発展し、一茶が宿泊する際は俳句好きが集まり賑わったそうだ。
与謝無村や十返舎一九なども坂本宿に宿泊したようです。
一方、明治41年(1908年)に歌人である若山牧水が訪れた際は、鉄道開通に伴い宿場町もだいぶ寂れていたそう。一軒だけ残る宿屋「つたや」に無理を言って泊めてもらった、とありました。
「上木戸跡」軽井沢宿方面の出入口

軽井沢宿側の出入口にあたる上木戸跡に至り、坂本宿歩きは終了となります。
現在、車による碓氷峠越えのメインルートは上信越自動車道に取って代わっており、車の往来も少なかったですね。時が止まったような感じの静かな町でした。
この後、廃線の道を散策路として整備した「アプトの道」を通って横川駅に戻りました。
\ アプトの道の詳細についてはこちら!/
「名物・峠の釜めし おぎのや」 横川駅前

横川の名物といえば「峠の釜めし」。
横川駅前には峠の釜めしの元祖で有名な、明治18年創業の「おぎのや・本店」があります。
こちらでは店内で食事ができます。
時間がない方向けには駅に売店もあるので、お土産にいかがですか?
峠の釜めし「おぎのや(横川本店)」
公式ページ
住所:群馬県安中市松井田町横川399(GoogleMapで開く)
営業時間:10:00~16:00(L.O 15:30)、定休日:毎週火曜日
アクセス: 電車)JR「横川駅」出てすぐ
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碓氷関所跡と坂本宿を歩いてみませんか?
碓氷関所跡と旧坂本宿がある峠の手前の静かな町を歩き、タイムトリップしてきました。
街道の歴史に触れることができ、興味深く歴史散歩ができましたよ。
この周辺ではアプトの道の散策も楽しめるので、是非そちらと併せての訪問をお勧めしたいですね。
碓氷関所跡と坂本宿を歩きに出かけてみませんか?
記事の訪問日:2021/6/18
横川へのアクセス
電車)JR「高崎駅」から信越本線で乗車約35分、「横川駅」下車
車)上信越自動車道「松井田妙義IC」より国道18号経由で約10分




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