こんな場所に観音堂が?と、山の崖の斜面に寄り掛かかるように建っているのが、吉見町にある「岩室観音堂」です。
懸造りと呼ばれる珍しい建築物で、代表される建物が京都・清水寺の清水の舞台なんですね。そんな珍しい様式の建築物が、埼玉県内で見られるなんて貴重。
堂内の洞窟には88体もの石仏がひっそりと並ぶなど、秘めやかな雰囲気を持ちます。
そんな岩室観音堂の見どころや歴史について紹介します。
目次
「岩室観音堂」丘陵地にある懸造りのお堂
山の斜面に立つ吉見百穴近隣の観音堂
埼玉県吉見町を代表する観光遺跡スポットである吉見百穴。
その吉見百穴のすぐ近隣にあるのが、今回ご紹介する「岩室観音堂」です。
吉見丘陵と呼ばれる丘陵地帯が広がる吉見町の西地区ですが、訪問した岩室観音堂もご覧のように独特の地形の場所にありました。
山の斜面に寄りかかる様に建つ、独特の佇まいが現れたのには驚き。
このように山や崖にもたせかける様に造られた建築物は、「懸造り(かけづくり)」と呼ばれています。山岳地帯にありそうな佇まいの観音堂が、埼玉にもあったんですねえ。
懸造りについて
断崖や急峻な斜面に舞台状の建築を組み出す日本独特の様式で、山岳信仰や修験道と結びついて発展しました。
自然地形を活かし、長大な柱を用いて床を支えることで、崖上に堂宇や舞台を設け、参拝や修行の場を確保します。足場の悪い山地においても大規模な建物を建立できる利点があり、景観との調和も特徴です。
代表的な建物は、清水寺の舞台(京都府)・東大寺の大仏殿(奈良県)・比叡山延暦寺の根本中堂(滋賀県)など。
この周辺は丘陵地帯ということもあり、吉見百穴の駐車場に車を停めて周辺のハイキングに出かける方々もいるようです。
その方々も岩室観音堂の前を通る際には、おおっ!とばかりに観音堂にカメラを向けてましたね。
\ 吉見百穴の紹介はこちらをご覧下さい! /
戦国時代には武蔵松山城城主が代々信仰
岩室観音堂が創建されたのは、平安時代の弘仁年中(810~824年)頃だと伝わりますが、確かな記録は残っていないようです。
戦国時代には近隣に(というか、すぐ裏手に)武蔵松山城があり、城主が代々信仰したといわれています。
観音堂の南側一帯には武蔵松山城の跡がありますが、観音堂がある場所は城の搦手門(裏門)にあたるといわれています。
武蔵松山城は小田原北条氏(後北条氏)配下の城だったため、天正18年(1590年)に豊臣秀吉がおこなった小田原征伐における攻めに遭います。
その際、岩室観音堂も戦火に巻き込まれており、当初よりあったお堂は焼失しました。
現在の観音堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に、近隣にある龍性院の第三世堯音法師が近郷の信者の助力を得て再建したものです。
\ 武蔵松山城の紹介はこちらをご覧下さい! /
洞窟内に四国八十八ヶ所の石仏が並ぶ
そして内部に入ってみると、おお~、岩と一体化しておりなんだか凄いですね!山側に寄り掛かるような造りであることが実感できます。
建物は外からだと大きな山門のように見えますが、この建物自体が観音堂となっています。
そして1階には左右分かれて2ヶ所の洞窟がありました。
洞窟内には四国八十八ヶ所各寺の写し本尊の仏像が所狭しと祀られており、厳かな雰囲気でした。
八十八ヶ所の1番~51番までの仏像が左手の洞窟に、52番~88番までが右手の洞窟に納められていました。台座には寺名とともに年代が彫られており、寛政十年(=1798年)の文字が見えたので江戸時代に作られた像のようですね。
この石仏群を拝めば四国八十八ヶ所の巡拝と同じ功徳が得られるとのことなので、ありがたく参拝させて頂きました。
岩室観音堂は比企西国三十三所の一寺
岩場に取り付いた階段を上がり、本堂がある2階へと上がります。
階段の半分程からは、ほぼ直角ですね(苦笑)。かなりの足元注意箇所ですよ。
岩室観音は比企郡内の33寺院を巡拝する「比企西国三十三所観音札所」の第3番にあたりますが、かつて多くの巡拝者が訪れたであろう雰囲気を感じさせます。
比企西国三十三所観音札所は江戸時代に設置された霊場ですが、明治以降は廃寺になった寺も多く、残念ながら現在は12ヶ所しか現存していない様です。
こちらに御本尊が祀られています。
観音堂は戦国時代に戦火に遭いましたが、その際、岩窟内にあった御尊像だけは燃えずに、奇跡的に残ったとのこと。
ということもあり、御本尊には災難除けや交通安全の御利益があるといわれています。
堂内には江戸時代のものと思われれる彫刻が施されています。
彫刻は素木による素朴な感じのものですが、立体感のある細やかなものでした。
ハート型の「胎内くぐり」で安産祈願
お堂を抜けた裏手には「胎内くぐり」があります。
「ここをくぐると諸難を除き、安産、その他の願いが叶う」そうですよよ!
岩室観音の裏手はこんな感じの岩場になってます。
右手の道は武蔵松山城跡に続く道で、その先には城の搦手門があったといわれます。現在は通行止めになっていました。
写真だと少しわかり辛いですが、左手の岩場に鎖が掛かっており、そちらが「胎内くぐり」となっています。
はい、こちらがその胎内くぐりですが、こちらの胎内くぐりはハート型なのが特徴です。ちょっとアングルが一息で、ややギザギザハートで映りましたが(苦笑)。
胎内くぐりは各地で見られる風習ですが、胎内に見立てた輪をくぐると清らかな体に生まれ変わる、という意味合いを持つらしいです。
人がいる方が登り口が分かり易いので、失礼ながらこちらをパチリ。
胎内くぐりには安産のご利益が有るらしいですが、足場が悪いんで妊婦さんが登る時は特に足元に要注意ですね。
「なぜ、こんなところに?」に、と驚くような場所にある寺や神社の写真入り
の紹介を見れば、きっと実施に見に行きたくなるはず!
岩室観音堂の詳細情報・アクセス
岩室観音堂
住所:埼玉県比企郡吉見町北吉見309(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武東上線「東松山駅」下車、川越観光バス「免許センター行」約5分、「百穴入口」下車徒歩約5分
・JR高崎線「鴻巣駅」下車、川越観光バス「東松山駅行」約25分、「百穴入口」下車徒歩約5分
車)
・関越自動車道「東松山IC」から鴻巣方面へ約5km
・圏央道「川島IC」から東松山方面へ約8km
・国道17号・鴻巣天神2丁目交差点から東松山方面へ約10km
・吉見百穴の近隣につき吉見百穴の無料駐車場が利用可
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周辺おすすめスポット(吉見百穴ほか)
~近隣スポット~
岩殿山 安楽寺
源頼朝の弟・源範頼が幼少期に身を隠したのがこちらといわれる。
江戸時代には、息障院ともに大寺院を構成していたという。
約1.5kmの近隣にあるので、こちらも是非立ち寄ってみたいスポット。
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岩殿山安楽寺(吉見観音)
住所:埼玉県比企郡吉見町御所374(GoogleMapで開く)
※バスによる移動:バス停「百穴入口」から「久保田」までの乗車時間は約7分、そこより徒歩約30分
岩殿山 息障院光明寺
源範頼が館を築き住んでいた場所と伝り、館の名残りとされる空堀が今も残る。
場所も近く、立ち寄ってみたいスポットの一つです。
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岩殿山安楽寺(吉見観音)
住所:埼玉県比企郡吉見町御所374(GoogleMapで開く)
※バスによる移動:バス停「百穴入口」から「久保田」までの乗車時間は約7分、そこより徒歩約20分
~食事・土産処~
名代 四方吉うどん
息障院から約1.2kmの近隣にある、人気のうどんや「四方吉(よもきち)」。
太くコシが強い麺を、アツアツのつけ汁で頂くのが武蔵野うどんスタイル。
道の駅 いちごの里よしみ
農産物の直販所や、お土産屋などがある。
名産の吉見産の苺を使った加工品もあります。
道の駅 いちごの里よしみ
公式ページ
住所:埼玉県比企郡吉見町大字久保田1737番地(GoogleMapで開く)
※バスによる移動:バス停「百穴入口」から「いちごの里よしみ」までの乗車時間は約7分
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岩室観音堂にでかけてみませんか?
「岩室観音堂」はそれほど山奥にあるわけではないですが、ちょっと秘境っぽい雰囲気が味わる場所でした。
近隣には武蔵松山城跡や古代の墓所・吉見百穴などのスポットもあるので、岩室観音堂とともに歴史スポットめぐりをしてみませんか?
記事の訪問日:2021/5/9
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