「鷲宮神社」は明治時代に明治天皇が定めた准勅祭社の一社にも選ばれている、関東を代表する一社です。
鎌倉時代には源頼朝や執権北条氏から尊崇を受け、歴史書・吾妻鏡にも度々登場します。以降も、武運を願った多くの武将からの崇敬を受けました。
そんな神社の歴史を振り返りながら、境内をめぐります。怪現象が起きた龍伝説の池の話や、人気アニメの聖地としての話題なども紹介!
目次
「鷲宮神社」多くの武将の崇敬を受けた関東鎮護の神
明治の思想家・徳富蘇峰による社号碑

武蔵國・鷲宮神社の社号碑が立つ境内の入口。
彫られている文字は、明治から昭和初期にかけての思想家・ジャーナリストである徳富蘇峰(とくとみそほう)によるもの。境内には他にも蘇峰の筆による石碑があります。
そして、以前は社号碑の横に明治時代の鳥居が建っていましたが、それが2018年に突如倒壊。老朽化によるものと思われますが、現在は鳥居再建待ちの寂しい状態でした。
徳富蘇峰(1863年-1957年)
明治から昭和にかけて活躍した思想家・ジャーナリストで、民友社を設立し雑誌・国民之友を創刊。自由民権運動の影響を受け、初期には民主主義的思想を主張しましたが、後に国家主義的立場に転じます。著書・近世日本国民史では国民史観を展開しました。
ベストセラーとなった小説・不如帰(ホトトギス)を書いた徳冨蘆花(ろか)は実弟。

参道の両脇に並ぶ木は全部桜の木で、春には桜のアーチが見られるそうですよ!素敵ですね。
江戸時代の灯籠の装飾は見事!

参道の両脇には、今にも飛び掛かって来そうな躍動感の狛犬が控えています。こちらは嘉永5年(1852年)の奉納品です。

青銅の灯籠も時代を感じさせます。こちらも江戸時代末期のもので、文政12年(1829年)の奉納品でした。

台座部分に刻まれた銘記によると、寄付者は久喜周辺のみならず小川町や飯能市などにもおよび、74ヶ村377名の氏子と世話人40名が確認できるとのこと。
また鋳工(ちゅうこう)として、江戸大門通(現日本橋周辺)の2名の職人の名が刻まれています。
飛び出さんばかりの躍動感を持った鳥達に目を奪われました。これは見事!
源頼朝や執権北条氏など、武将より崇敬を受けた

参道を進み社殿へ。拝殿・本殿は安政7年(1860年)に建立されたものです。
社殿の正面が参道に向いていないのが、ちょっと変わっている気がしました。
御祭神は天穂日命(あまのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の3祭神です。
天穂日命は商売繁昌・出世金運・厄難消除のご神徳を、武夷鳥命は交通安全のご神徳を、大己貴命は家内安全・縁結び・開運招福・病気平癒のご神徳をそれぞれお持ちとのこと。
あわせて建御名方神・伊邪那美神・大山祇神・宇迦之御魂神・大山咋神・天照皇大神・迦具土神・素戔嗚尊・菅原道真命の九柱が合祀祭神として祀られているので、これは幅広いご利益が頂けそうですね。

鷲宮神社は出雲族の草創に係る、関東でも有数の古社といわれています。
そんな鷲宮神社は、武将や皇族とも強い繋がりを持ってきた神社でした。
鷲宮神社の由緒概要
■鎌倉時代:源頼朝や執権北条氏からの篤い尊崇を受ける。
■中世以降:関東鎮護の神として、下野国守護小山氏や古河公方足利氏、小田原北条氏(後北条氏)などより保護を受ける。
■江戸時代:徳川家康より4百万石の神領を受領。代々の将軍の朱印状も残る。
■明治時代:明治天皇により准勅祭社に定められる。明治天皇行幸の際、当神社で御少憩され金壱封を賜る。
■昭和時代:昭和天皇の御世にも幣帛を賜った。
鎌倉時代に幕府からの庇護が篤かったことは、鎌倉時代の歴史書・吾妻鏡からも伺えます。
また、正応5年(1292年)に鎌倉幕府執権の北条貞時により社殿が再興されたことが、神社に伝わる棟札に記されています。
明治天皇が准勅祭社の一社に指定

右が拝殿、左側が本殿。
天正19年(1591年)、徳川家康が関東に入封した際に有力寺社に領地寄進をおこないましたが、鷲宮神社には400石が寄進されました。
これは武蔵国内では大國魂神社(東京都府中市)の500石に次ぐもので、武蔵国内でも重要視された神社だったことが伺えます。
明治時代になると、明治天皇は皇居を守護する12社の「准勅祭社」を定めますが、鷲宮神社もその一社に指定されています。
このうち10社は東京都区内に鎮座する神社で、郊外にあったのは鷲宮神社と大國魂神社の2社のみでした。
現在は准勅祭社の制度は無くなっているので、元准勅祭社と呼ばれます。
戦国時代には鷲宮城が築城された!?


右は天穂日命・武夷鳥命を祀る鷲宮神社本殿 / 左は大己貴命を祀る神崎本殿
鷲宮神社の神主職についてですが、戦国時代末から明治時代初頭までは大内氏が世襲していました。
この大内氏ですが、現在の神主の姿とは大分異なっていたようです。
戦国時代末期、境内に隣接して小田原北条氏の鷲宮城(栗原城)が築城されました。その際、当時の神主・大内泰秀(やすひで)はその城主としての役割を担ったといいます。
また慶長5年(1600年)、徳川家康が会津征伐の遠征をした際、利根川を渡河する際に船橋の綱が切れたのを見て、大内泰秀が川中に飛び込んでこれを繋ぎ止めたという伝承もある。
これを賞して家康から拝領されたといわれる、銚子と盃が今も残っています。
このように大内氏の一介の武将のような活躍が、江戸時代以降の発展にもつながっているようです。
「鷲宮催馬楽神楽」 国重要無形民俗文化財に指定

拝殿の正面にある「神楽殿」では、年6回の神楽が奉納されます。

鷲宮神社に伝わる「鷲宮催馬楽神楽(わしのみやさいばらかぐら)」は、江戸時代中期に形作られた関東神楽の源流とされる様式のもの。
江戸時代より広く親しまれるようになった、江戸の里神楽の基礎を形成したものだといわれます。
現在は国の重要無形民俗文化財に指定されています。

平成19年(2007年)に天皇皇后両陛下がスウェーデン国王王妃両陛下とともに行幸された際、その御前で伝統の神楽が上演されています。その時の写真の紹介がありました。
鷲宮催馬楽神楽は、保存会を中心に保存・伝承がおこなわれてるとのこと。伝統文化の担い手づくりも大変そうですよね。
「寛保治水碑」 江戸時代の”寛保の大洪水”の痕跡

「明治天皇行幸」の記念石碑。
明治29年(1896年)、明治天皇が近衛師団(=天皇を護衛する軍隊)の演習観覧のために行幸。その際、鷲宮神社社務所が小休所となりました。
この碑の文字も徳富蘇峰によるもの。

寛保治水碑
こちらは社務所前に残されている「寛保治水碑」。
寛保3年(1743年)に利根川の改修工事に携わった、萩藩(現、山口県萩市)の藩主・毛利宗広による奉納品。
埼玉でなんで萩藩なの??と不思議に思いましたが。。。
寛保2年(1742年)に「寛保二年の洪水」と呼ばれる、関東地方を中心とした江戸時代屈指の大水害が発生しました。
長期間の豪雨と台風の影響で利根川・荒川・渡良瀬川などが氾濫。広範囲にわたり堤防が決壊し、家屋の流失や死者多数の深刻な被害が起こりました。
江戸幕府はその復旧作業に、西の諸大名も動員。毛利家は現在の本庄市から加須市・春日部市に至る、利根川流域水路の復旧・改修を担当。1,707人の家臣・人足を派遣して、堤防の補修・補強を実施。
工事は難行したが、延べ100万人以上の人足を動員し翌年に工事を完了させた。
ふ~む、そんな西の大名に助けられた歴史がこの地にはあったのですね。歴史の記録として貴重な碑。
「鷲宮堀内遺跡」 かつては古墳があった場所

境内に「鷲宮堀内遺跡」なる石碑がありました。
由緒を紐解くと様々な歴史が出てくる鷲宮神社ですが、なんと、かつては古墳があった地でもあったようだ。
古代の遺跡が発見されており、昭和37年(1962年)と昭和59年(1984年)の2回にわたり発掘調査を実施。調査では縄文時代や古墳時代の住居跡や、土器などが出土されました。
「光天之池」 龍伝説の池に怪現象!?

その遺跡碑の正面に、「光天之池(みひかりのいけ)」と呼ばれる不思議な池がありました。

大きくはないですが雰囲気のある池ですね。傾斜があるので、落ちないように注意しながら近くへ。
案内板によると。。。
龍神様が住むと伝わる池だったが、長いあいだ土砂などで埋もれていた。
平成11年よりの境内整備事業の一環で土砂の搬出を行っていると、池から突如湧き水があふれ出て、龍のような雲が空を覆ったとのこと。
それにより光天之池と名付けられたそうだ。
池が綺麗になって、龍神様もお喜びになったのでしょうね。
「境内社」 鹿島神社・八幡神社ほか

鹿島神社
全部で13社ある境内社の多くは、境内を囲む厳かな雰囲気の深い雑木林内にあります。
「鹿島神社」は、武運長久の御神徳である武甕槌大神(たけみかづちのかみ)を祀る神社。

八幡神社
出世開運の御神徳を頂きたければ、こちらの「八幡社」へ。

八坂神輿殿の輿殿
「八坂神社」の神輿殿には、八坂祭で使用される神輿が収められてました 。
アニメ「らき☆すた」の聖地としても知られる

参拝を終えて、境内入口にある古民家風の茶屋「大酉(おおとり)茶屋 田々」に立ち寄ってみました。
築110年の酒屋店舗を改築した茶屋で、商工会が主体となって食事や喫茶ができる休憩処として営業されています。なかなか雰囲気がある建物ですよ。

実はこの茶屋の前に人気アニメ「らき☆すた」の石碑があることは、アニメファンには良く知られております。
らき☆すたとは?
「らき☆すた」は4人の女子高生達のスクールライフを描いた、日常系のゆる~いタッチのアニメです。
鷲宮神社はその主要舞台になっており、ファンの聖地巡礼地として人気なんですよ!
今はアニメの聖地巡礼って言葉はよく耳にしますが、こちらはその先駆け的な存在らしいです。

石碑の前にはキャラクターを描いたマンホールも!店では地元とコラボした限定商品も売っていました。
コラボは参拝客増加や地元の活性化にもつながっているそうです。
伝統ある古社とほんわかした話題の組み合わせに、親しみを感じました。
鷲宮神社の御朱印

参拝を終えて御朱印を頂きました。こちらは通常の御朱印。

こちらは、国指定無形重要文化財・鷲宮催馬楽神楽の御朱印。用紙も色使いも上品で素敵なものでした。
神社に参拝に行くと、神々についてや神社施設の呼び名・役割について知りたいけど、聞ける相手もいない!
ってことありません?そんな時、網羅範囲が広い本書は結構頼もしいですよ!
鷲宮神社の詳細情報・アクセス
鷲宮神社
公式ページ
住所:埼玉県久喜市鷲宮1-6-1 (GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・東武伊勢崎線 鷲宮駅より徒歩8分
・JR宇都宮線「東鷲宮駅」西口より、朝日バス加須川口循環線「鷲宮神社入口」下車
車)
・東北自動車道「久喜IC」「加須IC」より各約15分
・駐車場約60台分あり
久喜市のランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
鷲宮神社へでかけてみませんか?
多くの武将達からも崇敬を受けたという、その歴史を感じながら参拝できました。江戸時代の治水工事にまつわる石碑なども、興味深かったです。
一方、人気アニメの聖地でもある、というギャップも楽しいですね。
見どころも多い鷲宮神社に、参拝にでかけてみませんか?
記事の訪問日:2021/9/19




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