なぜ土浦は城下町でありながら宿場町としても発展したのか――その答えは、霞ヶ浦と水戸街道が交差したそのロケーションにあります。
現存する櫓や堀、そして旧街道沿いの町並みを実際に歩いて見えてきたのは、軍事拠点としての城と物流拠点としての町の二つの顔。
関東で唯一本丸櫓門が現存する土浦城を、今回は「城・街道・水運」という三つの視点から、お城の中だけでは終わらない歴史散策に出かけてみました。
目次
水戸街道の宿場町としても栄えた土浦城城下町
土浦は至る所に堀が張り巡らされた”水の町”だった
続日本100名城の一つに指定されている土浦城は霞ケ浦の西端に位置しており、桜川河口の低地に築かれた平城です。
室町時代に小田氏の家臣・菅谷氏が築城したといわれ、戦国時代には戦いの舞台となりました。

戦国時代の後に土浦を治めたのは、徳川家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)。
江戸時代に入ると江戸近郊の要衝の一つとされた土浦には、代々譜代大名が入封しました。
室町時代よりの歴史を持つ土浦城ですが、城下町が本格的に整備されたのは、慶長9年(1604年)に水戸街道が城下を通過する様になってからだったようです。

今回歩くルートがかつてはどんな場所だったのか、イメージし易いように古地図の上に赤い点線で示してみました。
ご覧のとおり土浦城は本丸・二ノ丸のみならず、城下の至る所に幾重もの堀が複雑に張り巡らされていたのが特徴です。
水に浮くような城の配置から、亀に例えられた亀城(きじょう)という呼名も付いていたんですよ。
城中心部の周囲には武家地や商人町が配置されましたが、さらに城下町全体を堀と土塁で囲み出入口は北門・南門・西門などに限定するという、総構(そうがまえ)と呼ばれるつくりでした。
城下町も城郭の一部だったわけです。
本日はそんな土浦の街を、お城の境界線を探しつつ歩い行きますでお付き合い下さい。

土浦駅西口に出て、駅前から続く国道125号線沿いを道なりに進みます。
駅前には市役所やショッピングモールが入っている大きなビルがあり、都会的な雰囲気。

600m程歩くと、道端に指定史跡「桜橋跡」の石碑とともに残された、古風な橋の欄干が現れました。
古地図を見ると分かるのですが、この道路はかつて流れてていた川口川の跡です。
正しく言うと今も川は流れています。川口川は昭和初期に暗渠化され、地下には川と一緒に明治34年(1901年)に竣工された煉瓦造りの橋もそのまま残っているんですって。
覗き穴があればちょっと覗いてみたくなるような、何気に歴史ロマン眠る場所だったりします。

その近隣には「川口河岸(かし)跡」があり、こちらには享保12年(1727年)に設けられた船着き場があったそうだ。
当時は江戸の大量消費に対応するために、土浦からは村々から集積された醤油穀物・薪炭・木材などが舟運で江戸に送られ、帰りには塩・酒・小間物・呉服などが載せられて帰ってきたとのこと。
当時は川伝いに直結していた霞ヶ浦から利根川に入って上り、関宿(千葉県関宿市)から江戸川に入り江戸に至ったとのことだ。
「中城通り」水戸街道と城跡が溶け合う場所
旧土浦宿跡は城下町らしい食い違い道が多い
桜橋跡を過ぎると、かつて水戸街道の宿場町「土浦宿」があった中城(なかじょう)通りの入口に差し掛かります。
こんな河岸のすぐそばにある宿場町なんて、交通面や物流面では最高の立地ですよね。

では河岸で船を下りた旅人気分で、旧土浦宿に入ってみましょう。
と、その入口には雰囲気のある古い建物があり、しかも店先に行列ができていますね!
こちらは地元で人気の天婦羅屋「保立食堂」。明治2年(1869年)創業の、土浦で一番古い飲食店なんですって。

通りに入った先の道が、不自然にカクッと食い違いで曲がっているのが分かりますよね?
これは城下町ならではの防御の仕掛け。外敵が侵入して来た際、一気に町中に押し寄せられないような工夫が随所に設けられています。
こうした先が見通しづらい食い違いや、妙に狭いつくりの道は、脇道のあちこちで見られます。
「中城通り」商家の屋敷が残り、宿場町として繁栄した面影を残す
中城通りに入ると宿場町の面影を残す風情ある街並みが現れて、なかなかの良い感じ。
江戸時代の土浦は城下町であることに加え、水戸街道の宿場町としても繁栄しました。

水戸街道は、徳川御三家の一つである水戸徳川家の領地と江戸を繋ぐ道。五街道に次ぐ重要な存在の脇街道でした。
その水戸徳川家は江戸定府の藩だったため、参勤交代がなかった藩。
なので水戸街道は農産物・海産物を江戸へ運ぶための、いわば経済活動ロードとしての色合いが強かったのではないですかね。
水戸街道 土浦宿の概要
●日本橋から:12番目の宿(日本橋より18里半=約74kmの距離)
●本陣:2か所(大田家・山口家)、旅籠:多数
●人馬継ぎ立て:人足25人・馬25頭
陸上と海上の交通が交わる要衝だった土浦宿には、穀物問屋、 肥料問屋、小間物問屋、 古着屋、 金物屋、料理屋などが軒を連ね、多くの人々が行き交いました。
そんな中、江戸時代中期頃から、土浦藩の保護のもとで盛んにおこなわれたのが醤油醸造業。
”亀甲大 (キッコウダイ)”というブランド醤油が江戸城御用に指定されるなど、当時は野田や銚子と並ぶ醤油の一大産地として知られていたんですよ。
「まちかど蔵・大徳と野村」蔵造りの防火建築
中城通りの入口側には、観光物産館として利用されている「土浦まちかど蔵・大徳(尾形家)」が建ちます。

土浦まちかど蔵・大徳
国登録有形文化財に指定されている大徳は、江戸時代後期の呉服店だった2階建ての商家の蔵造りで、見世蔵・袖蔵・元蔵・向こう蔵から構成されています。
ちなみに、当時は宿場内に2つあった本陣のうちの一つ・山口家本陣がこの裏手にありました。

土浦まちかど蔵・大徳
土産物などが置いてあり見どころの多い大徳ですが、防火建築物である、蔵そのものについても是非眺めてみたいところ。
展示室に使用されている袖蔵は、一段高くなった場所に観音開きの分厚い扉があります。
重厚な扉を支える技術も凄いですが、注目したいのが扉周囲の噛み合わせ部分にある凸凹な箇所。
これは扉の合わせ目を階段状に合わせる“掛子塗り”と呼ばれる技術で、閉めると段がピタッと重なり、小さな火の粉の侵入さえも許さないという優れた職人技なんですよ。
まちかど蔵 大徳
住所:〒300-0043 茨城県土浦市中央1丁目3-16(GoogleMapで開く)
開館時間:9~18時、休館日:12月29日~1月3日
アクセス:
電車)
・JR常磐線「土浦駅」西口から徒歩約10分
車)
・常磐自動車道「桜土浦IC」又は「土浦北IC」より約10分
・付近に有料駐車場有り

土浦まちかど蔵・野村
大徳の向かいにもう一軒ある土浦まちかど蔵は「野村」。こちらも国登録有形文化財です。
江戸時代後期に建てられた砂糖商の店舗兼主屋、袖蔵・文庫蔵、そして明治時代のレンガ蔵が残っています。

野村を横から見ると、建物が奥に長く続いているのが分かります。
「間口が狭く、奥行きが長い短冊状」という町割は、江戸時代の宿場町においては多く見られる傾向。
これは宅地に対する年貢や諸役の賦課基準が、面積ではなく、道路に面した間口の広さを基準とすることが多かったためです。
まちかど蔵 野村
住所:茨城県土浦市中央1丁目12-5(GoogleMapで開く)
開館時間:9~18時
休館日:12月29日~1月3日

漆黒の土蔵造りが印象的なこちらの建物は、まちかど蔵の少し先にある「矢口家住宅」です。
正面に並んでいるのは、嘉永2年(1849年)築の店蔵(右手)と袖蔵(左手)。
防火建築としての土蔵造りが城下に取り入れられたのは、天保12年(1841年)の大火の後から。
矢口家住居にはその初期の商家建築が一式残っており、県指定文化財に指定されています。
通りに残る古い建物の数は多くはありませんが、これらの建物は宿場町の歴史を物語ってくれます。
「大手門跡」町人のエリアから武士のエリアからへ切り替わる”境界”
中城通りの終わりに差し掛かった辺りに現れるのが、大手門に通じる脇道。

ここも不自然なカーブと先が見通しづらい細い形状が、かつての城下町の名残りを感じさせます。
そして、実は当時のこの道の両側は水堀だったんですね。
現在ではその面影もありませんが、堀に架かる土橋を進んで大手門に向かっている様をイメージしてみて下さい。

土浦市立土浦小学校の門の前に立つ、大手門跡の石碑。
ここが土浦城の正面玄関で、町屋敷と城内との境目だったわけです。
大手門は、外側が単層の門、内側が二層の櫓門による枡形門でした。門は明治時代に取り壊されています。
枡形門とは
城郭の虎口(出入口)に設けられた防御性の高い門構えで、二つの門とそれを囲む四角い空間(枡形)から成る構造を指します。
外門と内門を直角に配置し、侵入者は枡形内部で進路を制限されるため、側面や上方から集中的な攻撃を受けやすい。敵の突破力を削ぐことを目的とした、日本の近世城郭を代表する防御施設です。
「土浦城」関東で唯一”本物”の本丸櫓門が現存
「亀城公園」本丸・二の丸跡を囲む堀が水城の面影を感じさせる

大手門跡抜けて進むと土浦城址(亀城公園)の正面入口に至り、そこで出迎えてくれるのが「前川口門」。
高麗門である前川口門は江戸時代末期に築造された現存門で、当時は本丸北側の多計郭(たけくるわ)と町屋の間を仕切る役割の門でした。
現在の公園入口は陸続きですが、かつてはやはり水堀を越えて門に至る形状で、「二の丸門」と呼ばれた櫓門を抜けた先には、更に「仕切門」と呼ばれる櫓門と枡形があったようだ。

公園西側にはニの丸周囲を囲んでいた堀が残っており、当時の雰囲気が伝わってきます。
古地図を見ると霞ヶ浦からこの堀までは水路で直結しているようなので、小型の舟はここまで入って来れたんでしょうね。まさに水城。

前川口門をくぐった先には、二の丸跡が広がっています。
二の丸には米蔵や厩、兵庫庫や武具蔵や楯蔵があったほか、馬場としても利用されました。

二の丸周囲に残る土塁。
高さはあまり無いようですが、外側は水堀だったので目的としては城内の目隠し程度だったのかも?
「本丸櫓門」関東唯一の本丸現存櫓門は実践的な堅牢な門だった
そして二の丸の先に見えてきたのが、水堀に囲まれた本丸。

本丸周囲の水堀が一部を除いて残っているので、立地に関しては当時の雰囲気が割とそのまま残っているようですね。
土浦城は本丸の周囲を二の丸が囲み、さらにその周囲を外丸などが囲む輪郭式と呼ばれる縄張りでした。

本丸入口に建つのは櫓(やぐら)を載せた構造の2階建ての城門で、土浦城の“顔”ともいえる建造物。
明暦2年(1656年)に改築されたと伝わるこの櫓門は、本丸に現存する櫓門としては関東唯一の現存遺構とされています。
櫓の中には刻(とき)を知らせるための太鼓が置かれていたことから、「太鼓門」とも呼ばれました。

門とその周囲には、実戦を想定した機能が随所に見られます。
●堅牢な扉:門扉は巨大な鏡柱と冠木(かぶき)で構成されており、非常に堅牢な造り。

●石落とし:2階の板張りの床部分は一部が開口可能で、石落としの機能が備わっています。

●狭間(さま):櫓から続く形で土塁上に土塀がめぐらされており、その壁面には鉄砲や弓を射るための窓である「狭間」が配置されていました。(現在の土塀は復元)
代々譜代大名が城主、なかでも土屋氏時代が長かった

櫓門を抜けた先の本丸に入るとだだっ広い平地が広がっていますが、かつては藩主の生活・政務の中心の場であった本丸御殿(本丸御館)が建っていました。
江戸時代になると譜代大名が代々城主を務めましたが、ここで主な城主とその功績をふり返っておきましょう。
歴代の主な城主とその功績
西尾忠照(ただてる):元和6年(1620年)~慶安2年(1649年)
・石高2万石。父・忠永が本丸・二の丸の整備を本格化させたのに続き、東櫓・西櫓を造らせ、本丸の正門を櫓門に改めた。
朽木稙綱(くつきたねつな):慶安2年(1649年)~万治10年(1660年)
・石高3万石。城郭の防衛・櫓・門の修繕を実施。現存の櫓門もこ明暦2年(1656年)に再建されたこの時代のものがベース。
・幕府職においても将軍直属の軍役・地方行政を担当。
土屋数直(つちやかずなお):寛丈9年(1669年)~延宝7年(1679年)
・石高4万5千石。初代藩主として城下町経営基盤の確立を進めた。以降、天和2年(1682年)~貞享4年(1687年)を除き、幕末まで土屋氏の統治が続く。
・徳川4代将軍家綱の御側や老中を務めるなど、江戸の政務にも多く従事。
土屋政直(つちやまさなお):延宝7年(1679年)~天和2年(1682年) / 貞享4年(1687年)~享保4年(1719年)
・延宝7~天和2年は石高4万5千石。貞享4~享保4年には石高9万5千石になり、常陸国では水戸藩に次ぐ大きな領地を有する藩となった。港湾交通の支援や水戸街道の整備などを実施。
・老中首座・大坂城代・京都所司代など、重要役職を歴任し幕府政務にも深く関与した。
江戸時代を通じて、土屋氏の統治期間が長かった城です。

土浦市立博物館の土浦城模型
こちらは土浦市立博物にある、幕末の本丸(手前)と二の丸(奥)のミニチュア模型。
書院造りの本丸御殿は、畳部分だけでも合計400畳もあったそうです。
明治に入ると土浦城は廃城となりますが御殿の建物は残され、明治4年(1871年)~明治8年(1875年)まで存在した新治県(にいはりけん)の県庁及び新治郡役所として使用されました。
しかし明治17年(1884年)の火災で、残念ながら焼失しています。
「東櫓」天守の役割だった土浦城の象徴
本丸の東側と西側の土塁上には、それぞれ東櫓と西櫓が建っていました。
これらは元和6~7年(1620~1621年)頃に、城主・西尾氏の時代に建てられたものです。

二の丸側から見た東櫓
東櫓は武器庫や貴重な物品を保管するための蔵としての役割だったとともに、天守のなかった土浦城においては、物見塔や城の象徴としての役割を担っていました。

東櫓は明治時代に発生した火災により、本丸御殿ととも焼失しています。
現在建っている東櫓は、平成10年(1998年)に古建築法を用いて同所に復元されたものです。
●構造:木造本瓦葺の入母屋造り、二階建(二層二階)
●1階:4間(約7.4m) x 5間(約9.3m)= 約20坪(約69.2m2)
●2階:3間(約5.6m) x 4間(約7.4m)= 約12坪(約41.5m2)
サイズ出典:パンフレット「茨城県指定史跡・土浦城」
内部は土浦市立博物館の附属展示室として公開されています。

櫓内の1階部には、かつて本丸櫓門内に置かれていた太鼓が展示されていました。
これが櫓門の別名である、太鼓門と呼ばれた所以となる太鼓なわけですね!
江戸浅草新町の太鼓師により明和7年(1770年)に作られたもので、胴部にあしらわれている模様は当時の藩主であった土屋家の家紋。
本丸櫓門とともに、土浦城の歴史を長らく見守ってきた遺物といえます。

こちらの鯱(しゃち)瓦は、西櫓の屋根に使われていたもの。

2階部分
櫓の壁は、二重木舞(にじゅうこまい)下地と呼ばれる強度の高い土壁が使用され、さらに内部に板壁を張った非常に丈夫な造りだったというもの。
いかつい梁からもその堅牢ぶりが伺え、木造復元ならではのリアリティーが伝わってきます。

東櫓か2階からの眺望は遠くまで見渡せ、なかなかのものでしたよ。
「西櫓門」元は東櫓と同時代に築造されたもの

そしてもう一方の西櫓も、平成3年(1991年)に西側の土塁上に復元されました。こちらは内部の公開はされていません。
実は西櫓は昭和に入っても残っていたのですが、昭和24年(1949年)のキティ台風の被害を受けたため、解体されました。
●構造:木造本瓦葺の入母屋造り、二階建(二層二階)
●1階:3間(約5.6m) x 4間(約7.4m)= 約12坪(約41.5m2)
●2階:2間(約3.7m) x 3間(約5.6m)= 約6坪(約20.8m2)
サイズ出典:パンフレット「茨城県指定史跡・土浦城」
サイズ的には東櫓よりも小振りのものですね。
「霞門」櫓門ととも現存する薬医門

本丸裏手にあたる東側にある霞門(かすみもん)。こちらの薬医門も実は現存遺構なんですね。
本丸とその外側にあった亀井郭に通じる門だった、と記録されています。
土浦城跡(亀城公園)の詳細・アクセス情報
土浦城跡(亀城公園)
住所:茨城県土浦市中央1丁目13-48(GoogleMapで開く)
アクセス:
電車)
・JR常磐線「土浦駅」西口から徒歩15分
・JR常磐線「土浦駅」西口バス停(4)(5)番から「亀城公園」下車徒歩1分
・TX「つくば駅」つくばバスセンター(3)番から「千束町」下車徒歩8分
車)
・常磐自動車道「桜土浦IC」又は「土浦北IC」より約10分
・駐車場は博物館利用者専用の第一駐車場(13台)と、亀城公園などと共用の第二駐車場(38台)あり。
土浦城東櫓(土浦市立博物館附属展示場)
開館時間:9:00~16:30
休館日:月曜・祝日の翌日(ただし、翌日が土日の場合は開館)、年末年始(12/28~1/4)、特別展示開催に伴う展示替え期間ほか
入場料:一般 200円、高校生以下無料 ※博物館本館も入場できます。
「土浦市立博物館」「郁文館正門」土浦城への理解を深めるスポット
「土浦市立博物館」霞ヶ浦の水運の歴史に触れる

亀城公園に隣接して土浦市立博物館があります。
観覧券は土浦城東櫓の入場券との共通券になっているので、併せて立ち寄ってみましょう。

エントランスホールにはかつて霞ヶ浦の水運で活躍した、高瀬舟の復元模型が展示されています。
高瀬舟の最大の特徴は、水深の浅い場所(高瀬)でも航行できるよう底が平らに設計されている点。
江戸時代にはこの高瀬舟が江戸との間を行き来しました。
●江戸までの一般的なルート:土浦 → 霞ヶ浦 → 利根川 → 江戸川 → 隅田川 → 江戸(日本橋河岸など)
●一般的な所要日数:約2日
帆を張った風貌が一見優雅に見える高瀬舟ですが、流れに逆らう際は岸から人間が綱で引く「曳き舟」がおこなわれるなど、人力を要する過酷な部分も多々あったようですよ。

天保12年(1841年)に造られた大砲。
19世紀に入り日本近海に外国船が現れるようになると、沿岸警備が急務に。
土浦藩は江戸に近い要衝だったため防衛に対する幕府からの期待も厚く、洋式砲術が導入されました。
土浦市立博物館
公式ページ
住所:茨城県土浦市中央1丁目15-18(GoogleMapで開く)
開館時間:9:00~16:30
入館料:一般200円/高校生以下無料
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始、展示替えに伴う臨時休館など
アクセス:
電車)
・JR常磐線「土浦駅」西口から徒歩15分
・JR常磐線「土浦駅」西口バス停(4)(5)番から「亀城公園」下車徒歩1分
・TX「つくば駅」つくばバスセンター(3)番から「千束町」下車徒歩8分
車)
・常磐自動車道「桜土浦IC」又は「土浦北IC」より約10分
・駐車場は博物館利用者専用の第一駐車場(13台)と、亀城公園などと共用の第二駐車場(38台)あり。
「土浦藩校 郁文館正門」土浦藩藩校の唯一の遺構

土浦博物館からは比較的近い場所にある、土浦藩藩校・郁文館(いくぶんかん)の正門遺構を最後に紹介。
元々土浦城内に置かれていた郁文館ですが、天保10年(1839年)に新築にてこちらに移築されました。
明治以降、建物は学校校舎として使用されましたが、昭和10年(1935年)に解体。
現在は土浦第一小学校の門として残る、これが唯一の遺構となっています。
【記事の参考にした情報】
・文化遺産オンライン「旧大徳呉服店元蔵」 文化庁
・土浦市・土浦市教育委員会・土浦城跡第三次調査会「史跡土浦城跡Ⅱ」 土浦市教育委員会
明治時代の初めにはまだこれだけ様々な城が残されていたんですね。
貴重な写真の数々に思わず釘付け!
タモリさんならではの視点で、水戸の歴史が解き明かされてゆきます。
読めば出かけてみたくなるはず!
土浦城下町めぐりのお役立ち情報
土浦城の日本100名城スタンプ設置場所、御城印販売所

続日本100名城スタンプ設置場所
■土浦城東櫓(亀城公園内)に設置
※土浦城東櫓の休館日(月曜日)は、まちかど蔵・大徳でスタンプを押すことが可能。(9~18時)
御城印販売所
■土浦市立博物館、土浦城東櫓、まちかど蔵・大徳にて販売
価格:1枚300円
町めぐりにはレンタサイクル利用も便利!
レンタサイクル情報
土浦市でレンタサイクルをおこなっているので、街巡りの利用するのも良いと思いますよ。貸出・返却場所:土浦まちかど蔵「大徳」
利用時間:9~16時(11月~2月)/ 9~17時(3月~10月)
休業日:年末年始(12月29日~1月3日)
利用料金(/日):シティ・ジュニアサイクル 1,000円、クロスバイク(トレック) 1,500円、クロスバイク(ジャイアント) 2,000円、電動アシストサイクル(ヤマハ) 3,000円
備考:
・貸出しには本人確認書類(運転免許証・パスポート・マイナンバーカード等)が必要。
・事前予約不可で先着順。
・複数日にまたがっての貸出しは不可。
近隣の食事処紹介
保立食堂(天ぷら ほたて)
中城通りの入口にある明治から続く、雰囲気抜群の風情のある老舗の天ぷら屋。ボリュームのある天丼が人気のようですよ。
保立食堂(天ぷら ほたて)
住所:茨城県土浦市中央1丁目2-13(GoogleMapで開く)
営業時間:11~18時、定休日:水曜日
吾妻庵 総本店
中城通りにある、こちらも明治創業の雰囲気たっぷりの老舗の蕎麦店。趣のある店内で、喉越しの良い蕎麦が頂けます。
吾妻庵 総本店
住所:茨城県土浦市中央1丁目6-11(GoogleMapで開く)
営業時間:11~15時、17~ 20時、定休日:水曜日
喫茶 蔵
土浦まちかど蔵・野村にある、明治時代のレンガで造られた蔵にある、レトロな気分を味わえう喫茶店。
カレーやピラフ、平日はオムライス・パスタ類も注文できます。
吾妻庵 総本店
住所:茨城県土浦市中央1丁目6-11(GoogleMapで開く)
営業時間:11~15時、17~ 20時、定休日:水曜日
土浦ランチは事前予約やクーポン利用で、並ばずお得に!!
土浦城跡へ出かけてみませんか?
土浦城跡の魅力は遺構の保存状態だけでなく、今も町の中に息づく城下町の構造にあります。
歩くほどに見えてくるのは、城を中心に広がった生活と交通の歴史。
地図と史料を片手に、往時の人々の動線を想像しながら歩けば、何気ない道や風景も歴史遺産へと変わります。
次の休日は、時代を遡るような城下町散策へ出かけてみませんか。
記事の訪問日:2025/5/5



土浦周辺の立寄りスポットを探して予約しよう!割引プランも!
近隣スポットもチェック!
あわせて読みたい
「鹿島神宮」徳川家康・秀忠奉納の貴重な社殿が揃い踏み!【茨城・鹿嶋市】
日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社「鹿島神宮」は、二千年以上の長い歴史を持つ古社です。古くから武の神として皇室や武将から崇敬された神社で、徳川家康と徳川秀…
あわせて読みたい
息栖神社、東国三社の玄関口”おきすの津”の面影が今も残る【茨城・神栖市】
鹿島神宮・香取神宮とならぶ東国三社の一社として、古来より信仰を集めてきた息栖神社。三社はかつての内海の名残りである水郷地帯にありますが、特に息栖神社の鎮座地…
あわせて読みたい
徳川綱吉が寄進した香取神宮の楼門と本殿は、元禄期ならではの華やかなもの【千葉・香取市】
下総国の一宮「香取神宮」は全国に約400社ある香取神社の総社で、その創建は初代天皇である神武天皇の時代と伝わる古社です。また、鹿島神宮・息栖神社とともに東国三社…
あわせて読みたい
小江戸・佐原、古い町並みと伊能忠敬ゆかり地をレトロ散歩【千葉・香取市】
千葉県香取市佐原(さわら)は江戸時代より水運で栄え、町を流れる小野川沿いに商家が続く景観は「小江戸」と称されました。重要伝統的建物群保存地区に指定されている佐…

城下町歩きが楽しめるスポットをさらにチェック!
あわせて読みたい
武士の暮らしが体感できる佐倉武家屋敷で、江戸時代にタイムスリップ!【千葉・佐倉市】
江戸時代の武士たちは、どんな家でどんな暮らしぶりを送っていたのでしょう?それを体感できるのが、日本100名城の一つである佐倉城の城下に残る「佐倉武家屋敷」です。…
あわせて読みたい
上田城城下町めぐり、歴史好きにお勧めの7スポットを紹介!【長野・上田市】
上田市は、戦国時代の名将とうたわれ、NHK大河ドラマ「真田丸」でも注目された武将・真田氏ゆかりの地です。真田氏が築城した日本100名城にも数えられる上田城を中心に…
あわせて読みたい
ぐるっと松江堀川めぐりで、船からの松江城下町さんぽ【島根県松江市】
現存天守が国宝指定されていることで知られる松江城ですが、城郭や城下町を取りまく広範囲におよぶ堀も、水の都といわれる松江ならではの特徴です。その堀を小船に乗っ…
あわせて読みたい
岩槻城下町には江戸時代の藩校跡が残り、今も時の鐘が鳴り響く【埼玉・さいたま市】
かつて岩槻城があった城下町である、埼玉県さいたま市の岩槻。しかし城があった痕跡は?というとイメージが希薄で、岩槻城址公園があるものの、城跡を思わせるような櫓…
さらに「城」に関する記事を探す
<a href=”//ck.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/referral?sid=3694017&pid=890454465″ rel=”nofollow noopener” target=”_blank”><img src=”//ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/gifbanner?sid=3694017&pid=890454465″ border=”0″></a>
クラブツーリズムはバスツアーやテーマ旅行が充実!